見出し画像

パニック障害が教えてくれた事〜発達障害/HSP/愛着障害と気づいた話 序章

初めまして
主婦の「うつろぎ」と申します。
現在コロナで不安な方や生活が一変してしまった方も沢山いらっしゃるかと思います。
特にパニック障害の方、予期不安が強い方は無理をなさらないようにして下さいね。

今日からパニック障害についての記事を公開したいと思います。
ここではパニック障害になって気づいた事、知った事、パニック障害を受容できるようになった過程などを綴っていきます。

私は2005年にパニック障害になり、一時期は全く車の運転や閉所にいることができなくなり絶望しましたが、現在は薬なしで車の運転ができるようになりました。
パニック障害になってから経験者の方々のブログを読んだりするうちに、発達障害の情報に行き着き、自分もそうではないかと思うようになりました。
そこで2012年に心療クリニックに行き検査したら、広汎性発達障害だと診断され、発達障害の特性や生育歴がパニック障害を引き起こした大きな要因になったと判明しました。

これはあくまで私個人の例なので、パニック障害になった方が全員発達障害でHSPでアダルトチルドレンとは限らないと思います。
また、症状には個人差があり、改善する期間も個人差がある事を了承の上、お読み下さい。


私の場合は自分が発達障害だと知り、その特性を調べる事と、体調管理と生育歴の洗い出しをする事でパニックの症状が劇的に改善しました。
それまでは車の運転や閉所は死の恐怖と戦っているようなものでした。
私はパニック障害になった時は妊娠していた時期で薬が飲めなかったので、結果的に薬を飲まずに症状が改善しました。
今では1人で他県まで高速道路を使って運転できるようになりました。
「車に乗って鍵を回す」というイメージをするだけで心臓がバクバクして発狂して気を失いそうになる時期に比べれば、格段に症状は良くなりました。
しかし、完全に克服しているわけではありません。
未だに数キロ続くような長いトンネルを高速で運転すると発狂しそうになるし、MRIも高所も死の恐怖と対面するくらい今でも怖いです。
なので、パニック障害は一生付き合っていくつもりで考えています。

今ではパニック障害になってよかったと思っています。
パニック障害になった事で自分の弱さや情けなさやみっともなさを受け入れることができたんです。
パニック障害になった事で、物心ついた時からずっと抱えていた生き辛さと向き合い、自分が発達障害でHSPで愛着障害だと気づくことができました。
もし身体的な病気になっていたら、その病気を治す事だけを考えていたと思うのです。
病気になる背景や原因や自分の特性を探ろうとはしなかったかもしれません。


以下はパニック障害を改善するためにこれまでやった事です。

・どういう状況でパニックの症状が出るか分析する、その時の自分の体調やパニックになった時の環境も分析する

・経験者の方のブログを読み、その人と自分の共通点を考えてみる(考え方の癖や生育歴、特性など)

・体調がいい時に少しずつ段階を踏んで運転する機会を設ける。(毎回少しだけ無理をするが、無謀な無理はしない。)

・自分の生育歴を思い出し、思い出したエピソードやその時感じた気持ちをありのまま記録する

・本を読む(心理学、毒親関係、アダルトチルドレン、愛着障害、発達障害、HSP、レジリエンスなど)

・夢日記をつける

・心療内科で診察を受ける、発達障害の検査、知能検査(WAIS-ⅲ)を受け、自分の特性を知る。

・カフェインをやめた
・筋トレ・散歩
・瞑想
・不眠状態を改善する
・創作活動

これらのことは症状改善に大きく役に立ちました。
よかったら参考にしてみて下さい。


私の場合は自分が発達障害であり、HSPであり、愛着障害があるアダルトチルドレンだと気づき、それらを受け入れるのは自分がパニック障害になったのを認めるくらい最初の頃はショックで苦しかったです。
今では個性だと思っていますし、強みでもあると思っていますが。

私は物心ついた時から”世界 VS 私”という意識でした。
味方がいなくて心細くて、自分1人でこの世と戦っている感覚のまま大人になってしまいました。
物心ついた時から傷つきやすくて不安が強くて毎日泣いていて、それは発達障害の特性の1つでもあり愛着形成の欠乏による心の安全基地の未発達が原因でもあったのですが、そんな自分をずっと弱くて臆病な人間なんだと責め続けていました。
そして、いつしか時を経るごとに、周囲に適応するために、自分を守るために、合理的で強い人間になろうと武装するようになりました。


パニック障害を発症する前は、とても気が強く、白黒はっきりさせないと気が済まず、自分にも周囲にも正しさと強さを求めるような人間でした。
自分がたまたま難なく出来る事を他の人が出来ないと、「なんで出来ないの?」「努力が足りないんじゃない?」と平然と言い放つような人間でした。とても冷たく傲慢な人間だったと思います。

パニック障害になった自分を認めなかった頃の私は、潜在意識の私に向かって「なんで運転できないのよ!運転できないと困るでしょ!」「もっと頑張りなさいよ!」と自分を責め続けていました。
まるで「パニックになるような弱い人間なんて”私”とは認めませんからね!」とヒステリックに怒りまくる恐母のような存在だったかもしれません。


弱かったり、臆病だったり、後ろ向きだったりする自分も丸ごと認めよう。
傷ついてわんわん悲しく泣きたい自分も認めよう。
世界中の人がなんと言おうと、自分が自分の最大の理解者であり、味方であり続けよう。
と自分に誓うようになってから、自然と少しずつですがいろんな自分を受け入れることができ、パニックの症状も改善できたと思っています。

パニック障害は「敵」ではないし、人生から排除すべきものではないと思っています。
むしろ、私が人格的に破綻しそうなのを一生懸命教えてくれた味方なんじゃないかと思っています。

パニック障害になった事はある意味私の”傷”でもあります。
「”傷”というのは物語の入り口である。物語ができた時に傷は癒されていく」と心理療法家の河合隼雄先生は著述で語っています。
私も身を持って実感しています。
”傷”というのは自分を知るためのきっかけであり、個性の1つだと。
そして、傷を消そうと躍起になるのではなく、一旦できた傷はそれをどう活かすかと考えた方が、今後はより深く豊かな生き方が出来るのではないかと思っています。

このnoteでは、私がどのようにパニック障害の症状を改善し、またパニック障害を受容できるようになったかを今後も綴っていきます。

どうかこれらの記事が現在パニックの症状に絶望している方の改善のヒントになりますように。
または、貴方の大切な人が現在この状況に苦しんでいるとしたら、この症状の理解の助けになれたらと願います。


次回は初めてパニック障害の症状が出た日の事を綴ります。

①パニック障害になった日

https://note.com/utsurogi/n/n80757926eaa6

(写真・文 うつろぎ)

よろしければサポートをお願い致します。頂いたサポートは、パニック障害/発達障害/HSP/愛着障害/心理学関連の書籍費や記事作成の為の研究費などに当てさせて頂きます。