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パニック障害が教えてくれた事〜①パニック障害になった日


私がパニック障害になった日の事を綴りたいと思います。
具体的にどういう症状なのか私の例を挙げて綴ります。
もし、現在パニックの症状が酷い人はここから先読む時は注意して読んで下さい。
私が一番酷い時はイメージするだけでパニックの症状が出た事があったので、それでも読む場合は体調が万全な時に読み、心の安全基地を持ってお読み下さい。くれぐれも無理はしないで下さいね。
(心の安全基地とは、これをやっていたらor持っていたら安心するとか、ここなら大丈夫と言える場所など、心を安心させるためのものです)

ちなみに症状は個人差がありますので、パニック症状がある方全員に当てはまらない事をご了承ください。
私よりもっと症状が軽い人もいるかもしれませんし、逆にもっと重い人がいるかもしれません。
あくまで一例としてお読み下さい。


最初にパニックの症状が出たのは2005年秋でした。
その頃は結婚2年目で、要介護の義父と、交通事故に遭った義母のW介護をしていた時期でした。
結婚前から義父は要介護で病院での療養と自宅療養を数ヶ月ごとに繰り返していました。
義母はフルタイムで働きながら10年以上義父の介護をしており、2005年頃は退職して1日中つききりで義父の介護をしている時期でした。
ある日義母が原付バイクを運転中に乗用車と接触事故を起こし、入院しました。
全身の片側半分が真紫になるほど体をアスファルトに打ち付けていました。
その日以降、私の生活は一変しました。
私は義父の3度の食事・着替え・排泄の介助をしながら、合間に義母の病院へお見舞いに行って洗濯物や着替えを持って行く生活になりました。


絶望していた時期でした。
義母の体は事故前に戻るのだろうか。
今後、子供を産んで育てることはできないかもしれない。
自分のライフワークである創作活動はできないかもしれない。
この先ずっと義父母の介護を彼らが死ぬまで続けなければいけない。
それがいつまで続くか分からない。
この先どうなるんだろう、、、、と病院から帰る途中、電車の中で1人で何度も泣きました。


初めてパニックの症状が出たのは、義母が退院し、義母と一緒に義父が入院した病院に向かう車の中でした。
その時は運転に自信が無い頃だったので、義母には後部座席に座ってもらっていました。
よく晴れた日でした。
2車線の道路が1車線になった時、
「もう逃げられない!怖い!どうしよう!」と叫び出したいくらいの緊張感と恐怖が襲ってきました。
ハンドルを持つ手が震え、手に冷や汗が出ます。
自分の手のはずなのに、まるでハンドルを握る手が自分のものではないような感覚。
それに気づいてますます動揺し、混乱する。
ああ、このままだと狂ってしまう、狂ってしまう、叫びたい、ここから出たい!出して!!
シートベルトが私を運転席に縛り付けてる。
席にがっしりと固定されてる。
電気椅子のよう。
離れられない、
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ
怖い怖い怖い怖いこのまま前の車に車を突っ込んでしまうかも。
私の足がアクセルを踏みこんで暴走してしまうかも。
でもここは1車線だから逃げられない、前にも後ろにも車がある、挟まれている、
逃げたくても逃げられない、怖い
死ぬかもしれない、
狂ってしまう、
意識が体から離れてしまいそう。
気を失いそう、怖い!!
自分が自分じゃなくなる。
どうしよう、どうしよう、
叫びたい、助けて欲しい


頭の中が暴走し、大声で叫び出したくなるのを必死にこらえながら、ようやく病院に着きました。
パニックになってから病院に着くまでの間が長く、地獄のようでした。
病院の駐車場に車を停め、義母に
「もう、運転が怖くて」「もう運転できないです」と言い、泣き出しました。
義母はとても心配してくれました。
その後、義父の入院している病院で診察を受けました。
(その病院には精神科は無かったので内科を受診しました)


「頭では落ち着けとか大丈夫とか思っていても、感情ではどうしても受け入れられない事がありますからね」
と診察した先生は言い、続けて自分の経験を語ってくれました。
「私も注射が苦手で、研修中にそのような症状になった事があります。注射するたびに手が震えて、注射する事がとても怖かったんです。
頭では冷静になれ、と思っていても手の震えや恐怖は止まらないんです」
話を聞きながら、医師でもそんな経験をするのかという驚きと、自分だけじゃないんだという安堵感を感じました。

「先生はどうやって克服したのですか?」と尋ねると、
「いや、今でもやっぱり緊張しますよ。場数をこなしていくうちに前ほど震えは無くなりましたが、緊張は今でも多少します」
その言葉に愕然としました。
「もしかしたらこの症状は一生続くのかもしれない。」という考えが浮かびました。
心が真っ暗になりました。
もし、一生この先車の運転ができなくなったらどうしよう、治らないのかもしれないと泣きたくなりました。

続きます。
次回は一番症状が重かった時期の話です。

(写真・文 うつろぎ)



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