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夏の午後、パリ・リュクサンブール公園で 日仏比較文化-感性私的論-vol.2

ある夏の日

当時、決まって週末の午後は、恋人とリュクサンブール公園で過ごす事が常でした。大学で心理学を専攻していて、誰よりもフランス人らしい彼女は、ファッションデザイナーを志し、パリに留学した私にとって、先生のような存在でもあったと想います。日本人の男の私には感じることが出来なかった、女性である彼女の服に対する私的心理を解いて伝えてもらっていたからです。

陽射しが眩しい夏の午後でした。樹々の木陰に並ぶゲームテーブルにはチェスやオセロに興じる老若男女、その傍でペタンクの一投に一喜一憂する男たち。噴水では、暑さを愉しむ犬と子供が水と戯れ、周りには読書に心を満たす人たち、何時もの週末のリュクサンブール公園でした。ただ、その日は、適度な風が樹々の深緑の葉を騒つかせ、汗ばんで火照った肌を優しく撫でて通り過ぎ、心地良く皆の体温を少し下げてくれていました。

フランス人は、人懐っこいと云うべきか、興味を口に出さざるおえない気性というのか、公園で行き交う人々は、誰かれ構わず良く話しかけてきます。私は、東京の下町で生まれ育ちました。幼少の頃までの私を取り巻く地域の人々と私との関係性の様な懐かしさを感じ、安堵と面倒臭さが混在した様な気分でした。

身を包む気怠い熱気を冷ますには、うってつけの木陰を見つけ、大地に身を委ねた。
美しすぎる石の城壁のように立ちはだかる重厚な建造物に被われたパリの街は、広く開放的な空が恋しくなる。
週末の公園は、砂漠を彷徨う民がオアシスに辿り着く如く、皆の乾いた喉を潤してくれる人口楽園なのです。そして、其処では誰もが哲学者に成り、感性を開花させる魔法の学校でもあるのです。

ココ・シャネルはこう語っていました。「モードは服にだけあるものではなく、空気の中にもあって、風も持ってくる。空にも舗道にも、どこにでもある」と。

パリの空ロング

女と男

彼女は、白のシャツを纏っていました。夏の陽射しに薄っすらと赤く滲んだ肌に、とても涼しげで周りの人たちも清々しく感じさせるようでした。

彼女は私に伝えるように話してくれました。
「夏は、綿か麻が肌にしっくりする。化学繊維の入った服は肌が苦しくて息が出来なく不快になる。」
フランスの上流階級の家系では、幼少の頃から生活の中で長い時間をかけ、時と場所、場合に応じた方法・態度・服装等の使い分けを学ぶと云う。
「大学で学んでいる時と、あなたと会う時とは全然違う恰好なの」
「何が違うか解る?」
大学の帰りに彼女と会った時、同様のシャツを身につけていた事は覚えている。何が違うのかと尋ねると、こう諭してくれました。
「あなたが隣に居る時には、いつもより一つボタンを多く外しているの」
「それは、あなたが隣に居てくれるから出来ることなの」
「だって街は戦場よ」
「沢山の人々に紛れてメトロに乗らなくちゃいけないし」
と言って微笑むのだった。
「ヒールの靴もそうなの」と彼女は続けた。
「街では、歩調も男性に合わせて歩かなければいけない時だって多いし」
「走ることさえ困難な、こんなに不安定で、頼り無い靴は、一人の時には履けない」・・・

彼女にとっての女と男は、封建的とも捉えられる程、極めてシンプルな関係でした。だからこそ、殊更自身の青臭さを磨く必要にかられる焦りを抱きました。

公園 影

青年から成人への決意

青年を謳歌していた私は、大人に成長しなければいけないと、そして成長する為には多くを学び、多くを体現しなければいけないと決意しました。

フランスの少年は、まず靴からレッスンが始まると云います。十歳を過ぎる頃、革靴を新調します。革靴は日々手入れが必要で、履き始めは硬く、靴擦れをおこし、踵から血が出るほどですが、徐々に自分の足形にすっぽりと収まり、永い時間人生を共にします。

イギリスのウインザー公だったか、シャネルの恋人であったウェストミンスター公であったか、はっきりと覚えていないが、靴紐に毎回アイロンをかけていたとか、新調したスーツは、一週間程ベッドで一緒に過ごし、身体に馴染んでから街に出るとか、後に書籍で読んだ事を覚えています。
身嗜みの徹底ぶりが、伺えるエピソードです。

自分自身を変える、もっと率直に表現すると、成長するには?

私の導き出した答えは単純でした。いくら時間を掛けて考えたところで、立ち止まって時間が経過するだけだからです。
間違って居るかもしれませんが、私は、直ぐに変わりたい、変わらねければいけない。と云う心の衝動が、自ずと答えを導き出してくれたのです。

次の週、シャンゼリゼのJ.M. WESTONへ向かいました。失礼の無いように、最善の注意を払い、準備をして向かいました。

店では、身体に馴染んだピンストライプのチャコールグレーのスーツを着こなした、私の父親よりも年上の老紳士が、不相応であったであろう若僧の私に、とても礼節に富んだ立ち居振る舞いで、快く対応してくれました。老紳士は、何度も何度も私の足元に跪き、私の為のベストな一足を見い出す為に、フィッティングを繰り返ししてくれました。

この一歩が、青年からの脱却になり、新たなスタートに成りました。

スプリットトゥダービー ブラックボックスカーフが、私のファースト・シューズです。

ウエストン

J.M. WESTON https://jmweston.jp/





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