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酒を飲まないと健康になる。とても簡単な話である。

酒というものは、常に本人の理解を超えて健康を阻害しているのである。


かれこれ4週間ほど断酒しているのだが、日々どれだけアルコールが自分の中心になっていたのかを、実感を伴う形で理解することができた。結果、その健康に対する悪影響っぷりを再認識するに至った。

日々、年間およそ360日ほど酒を飲んでいる私にとって、飲酒というのは日常であり、特筆するような行動ではなく、平日は晩御飯と同じタイミングで飲み始めるし、休日はやることがなければ夕方くらいから家事をやりつつ飲酒する。酒の種類の幅は広く、ビールに始まり、ワイン、ウイスキー、日本酒、焼酎と、一般的に手に入る程度のものはなんでも飲む。特に日本酒が好きだが、おいしいものを手軽に手に入れるという観点でビールと赤ワインは優秀で、たくさん飲むときはこのあたりに頼ることが多い。

ビール350mlを1缶を前提に、ウイスキーならストレートシングル3杯くらい。赤ワインならハーフボトル弱。日本酒なら1.5合。だいたい平均するとこれくらいの量を飲んでいた。毎日である。すごいなと思う。残念ながらそこそこ強いせいで、これだけ飲んでいても痛くもかゆくもなかった。

健康診断においては、大学生のころから肝臓の数値が若干悪くなっていて、でもまあその程度というか、危険なレベルでは全くないだろう、と放置していた。まあある意味で今も放置しているのだけれど(断酒の理由は健康診断結果ではない)、しかし断酒で価値観は変わりつつあって、ただ酒を飲んでいるというだけで数値に異常がでてくるということには少し身震いするようになった。

また、高校生くらいから体質的な脂質異常があって(体脂肪率は5%未満だったので、たぶんあんまり関係ない)、多少「経過観察」くらいがあっても気にしないようになってしまっていた。それもあって、肝臓(まさにγ-GTP)が要治療程度の数値になっても、自分でインターネット上で調べて、これくらいならまあ問題ないだろう、と高を括っていた。多分、実際、アルコール起因のものなのであればまだ取り返しのつく程度の数値ではあって、酒をやめればいいだけだ、とほざいていた。酒をやめるつもりがないのに、である。

振り返るとこれってまあまあアルコール依存症なんじゃないかと思う。今となっては思う。依存症の症状って手が震えるとか朝から飲んでしまうとか酒を飲むとまともになるとかそういう肉体に出てくるものだと思っていて、出てきていないのであれば問題ないと思っていたのだけれど、出てきてからでは手遅れなんじゃないかと思うと、やはりぞわっとする。思考が酒前提になっているということ自体が、ちょっとした(ちょっとじゃないかも)依存症じみているように感じる。

ということで、本人の認識の甘さというのは断つことでしか再認識できないのだということがよく分かった。酒を飲まないようになるまで、私は、いつでも健康体になれるものだと完璧に思い込んでいた。本当に疑いなく、心の底から、いつでも酒をやめることができるのだと思っていたのだ。止めていないのに。よほどの理由がなければ、軽い体調不良なら禁酒なんてしなかったんじゃないかなと思う。

ということで、シンプルに、たった4週間の断酒でも、依存症からの脱出に一歩踏み出すことには成功したように思う。依存症や内臓の負担の大きさは、健康診断というあいまいなもので測るしかないのである。それらからの脱出は、健康のために分かりやすく重要だろう。


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そういえば、飲酒は時間を消失(SKIP)するのに便利である。思考力を低下させるため、退屈を排除してくれる。しかしその分、飲酒が前提になることは、夜の文化的な活動(勉強、運動、読書、ゲーム、その他趣味)を阻害する。そもそもすべてに対してのやる気がなくなるため、動きづらくなる。運動なんかは、そもそも飲酒後に激しいものを行うのが危険なくらいだし、如実に頻度が下がる。ジョギングとかはその典型で、全くできなくなってしまう。

逆で、飲酒がなくなると時間が生まれる。今まで何をしていたんだというくらい、やりたいことが目の前に並んでくる。運動ができる。合間のスクワットが捗る。晩御飯を食べた後、落ち着いたらジョギングに出かけることもできる。実質的には飲酒をやめただけなのに、自動的に運動するような身体ができあがってくる。


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更に、アルコールの血糖値を下げる作用がなくなることで、食事量が適切になる。先日、飲酒なしで居酒屋で飲み会をしたところ、信じられないほど食事が進まなくなったことに気が付いた。味も全体的に塩辛く感じた。

酒とのマリアージュによる食べやすさも無く、摂取カロリーも下がる。酒自体のカロリーは大したことないだろうが、酒のせいで不要な炭水化物を摂取するようになる。〆のラーメンのようなものは、本当に全く食べたくなくなった。そもそも腹八分くらいでちょうどよいと思えるようになった。思考力の低下がないためなのか、健康への意識の問題か、やはり血糖値低下がないことなのか、どれかは分からないが、たぶん全部だろう。全部が重なって、普通ならありえないほどの量の食事を摂取させようとしてくるのである。

アルコールというものは、行動のやる気は削ぐが食欲は増大させる。改めて、不健康の権化のような存在だなと思う。


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ただ酒を飲まなくなっただけで、肝臓をはじめとする内臓の調子が上がり、運動するようになり、過度な食事を控えるようになる。ついでに勉強するようになり、日々考えるべきことを考えるようになる。これぞ健康である。

酒を止めればそれだけで、ほとんど自動的に健康になる。まずそれが一つ間違いのない事実である。ちょっとした習慣の捻じ曲げによって得られる健康は、飲酒している本人が思っているよりもはるかに貴重で、尊いものである。これからも飲酒を続けるために、一度腹をくくって長期間の断酒をしてみることをぜひお勧めしたい。

私はわけあって約1年間(具体的にこの日まで、とは決まっていないが、おそらく1年間くらいだと思う)禁酒を続けることにしている。もともと健康のために始めたわけではないため、いやだからこそ始められたともいえるのだが、副次的に期待していた健康への効果が予想以上だったことでこの記事を書くに至った。飲酒が習慣になっていない人からは鼻で笑われるような話だろうが、もし一ミリでも反省のよぎる人は、ぜひ健康以外の、なにか他の理由をつけて、長期間の禁酒を検討してみてほしい。

本当に長期間飲み続けたいなら、1年間の禁酒なんて安いものである。



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※経験則で、健康を理由にして断酒するのはかなり難しいと思う。本人は健康に問題があるという自覚が(依存症の関係で)難しいためである。個人的には、家族のことを思って、願掛けや一緒に断酒するというのがいいんじゃないかと思う。以下にその例を挙げておく。

・親の病気:親が病気で飲酒できなくなった。親の完治まで、一緒に(でなくても願掛けとして)禁酒する

・子供の受験:子供が大学受験のために娯楽を排して勉強するようになった。受験終了までの間、願掛けの気持ちで禁酒する

・妻の妊娠:妻の妊娠中、妻が飲酒できないことを考えて一緒に禁酒する。何か急な体調不良があっても対応できるようにという意図も含む

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