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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2024年5月の記事一覧

兎がほざく1153

兎がほざく1153

世界の語る言葉を聞き取る。

それはもの書きや芸術家だけがしていることではないです。

勘といわれるものもそういう聞き取りの力だと思います。

勘がいい人はとてもよく聞き取るのでしょう。

人間だけでなく動物も必要な情報を聞き取って動いているはずです。

兎がほざく1152

兎がほざく1152

人とのご縁はつながったり切れたりまたつながったりです。

自分の思うようにならないのですがよく考えれば不思議で面白いめぐり合わせです。

だから自分としてはできる範囲で他人と付き合うほかないのでしょう。

健康、時間、懐具合、どれも無理しないでいいのだと思います。

兎がほざく1151

兎がほざく1151

創作とは世界の語ることを聞き取ってそれを表すことだと先日書きました。

世界が語る場所は誰もいない静かなところとは限りません。

日々の暮らしにおいても、多数の観客を前にしても、人と対話していても、雑踏でも、聞き取れるものがあります。

もちろん自然の中でもです。

兎がほざく1150

兎がほざく1150

明日の希望がたとえ小さくてもあるのは幸せなことです。

希望を奪われると目先の欲の充足に走りがちです。

それは他の人の希望を奪います。

奪った希望を食らう宴席。
楽しくないからもっと、もっと。

明日も日が上るという希望ならば奪われないでしょうか?

兎がほざく1149

兎がほざく1149

すごろくの一回休みは誰も早く上がりたいので歓迎しません。

でもわれわれの生活では手間取ることがかえってよかったということもあります。

再考したりやり直したりの時間になります。

力をつけることができるかもしれません。

今日も自分に言い聞かせる話で恐縮です。

兎がほざく1148

兎がほざく1148

言葉と身体との関係を考えるうえで舞踊や音楽のアーティストの話はとても有益です。

生きた身体が意志によってどんな表れ方をするかが重要なようです。

生きた言葉が意志によってどう語られるかが重要なように。

表れる前の身体や語られる前の言葉はどこかで待っているのです。

兎がほざく1147

兎がほざく1147

こんなことを考えてみました!

世界の語りかける言葉を聞き取って文字にするのが創作です。

自分の力だけで書いているというのは錯覚です。

筆力とは聞き取る力の言い換えです。

作品に読者がいないとすれば世界がぼくとの間だけの秘密にしたかったのです。

兎がほざく1146

兎がほざく1146

自分の手に負える範囲を知るのはむずかしいことだと思います。

たいていは範囲を大きく超えることをしたくなります。

身体と富と時間とはその範囲のアラートを出します。
それらの制約は束縛にも思えますがきっと必要なのです。

24時間戦えないのは誰にとってもよいことです。

兎がほざく 番外 南方熊楠とデリダ

兎がほざく 番外 南方熊楠とデリダ

南方熊楠は親友で高野山の高僧の土宜法龍につぎのような不思議な話を書き送っています。

「胎蔵大日」の「大日滅心」により「金剛大日」の「心」が生じる。
それにより「力」が生じ「物」「事」が生じる。
そして「名」が生じ、心に「印」が生じる。
「心」「物」「事」「名」の四つの要素が様々に組み合わされる(「四マンダラ」)。

哲学者デリダの著作を読んで、その謎解きが少しできた気がしています。

デリダの考

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兎がほざく1145

兎がほざく1145

文を読むとき作者が言おうとしていることよりも文自体の雰囲気が好きになることがあります。

洋服の生地の手触りみたいに。

テキストとテキスタイルとは語源が同じらしいです。

きっと生まれて以来織り続ける長い長いテキスタイルの一部分を切り取ったのがテキストです。

兎がほざく1144

兎がほざく1144

マンダラというととても神秘的な感じですがコレクションといえばグッと身近な感じです。

アイテムが集まってきてできたのか、アイテムを集めてできたのか、微妙なところが面白いです。

分類と並べ方とが加わってコレクターの世界を表現します。

本棚は身近なマンダラです。

兎がほざく1143

兎がほざく1143

芸術についてはとかく才能ということが言われます。

才能という漢字をかりにとりえというかなにしてみます。

途端に天賦といった仰々しい形容は似合わなくなります。

創作には大げさなものは要らないと思います。

気持ちにうそがないというのは最もだいじなとりえだと思います。

兎がほざく1142

兎がほざく1142

最近ぼくは辛辣な風刺を聞くのがつらくなってきました。

胸がすく気がしないのです。

言われた人は自分の言い分をグッと飲み込んでいるかもしれないです。

ぼくは飲み込まれた言葉が聞こえるようになったのでしょう。

言われた人も苦笑するような洒落た風刺は別です。

兎がほざく1141

兎がほざく1141

人間は言葉を知って語り始めてから実に長い長い話をし続けます。

声で、体で、文字で。

時に独り心の中で。

文は人なりといいますがむしろ人は文なりといいたくなるほどです。

文の外にある世界は人間にはわからないのでとりあえずは置いておいていいような気がしています。