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利権、思惑もつれ泥沼化のシリア ~大国のパワーゲームに翻弄されるクルド人~

※この記事は「月刊ジャーナリズム」2020年9月号に掲載された記事に加筆修正をしました。

 前回の記事ではトルコにおけるクルド人の置かれた状況について書いたので、今回はトルコと北で国境を接するシリアに住むクルド人たちの今について書いてみようと思う。

 シリアには元々そこまでクルド人は住んでいなかったが、第一次世界大戦後、トルコ政府のクルド人迫害から逃れてきた人々が多く住む。シリアでも市民権の剥奪などクルド人が体験してきた出来事は厳しいものがあるが、2011年以降のシリア戦争でクルド人は欧米諸国から対ISの地上実動部隊として大きな役割を任されてきた。早いもので2011年にシリアで始まった民主化運動が戦争に発展し、今年で12年が経った。当初はシリア政府軍vs.反政府軍というシンプルだった構図に、国外から様々な勢力が流入し、戦いは泥沼化した。その騒乱の中で、シリア領内に住むクルド人はシリア北東部を中心に勢力を拡大し、手中に治めた地域を「ロジャバ」と呼んだ。クルド人は推定人口が2500万~3千万人とされ、主にトルコ、シリア、イラン、イラクに住む「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれている。彼らは欧米の有志連合による空爆支援を受け、過激派
組織「イスラム国(IS)」の支配地域を奪還しつつ西へ西へと進撃。ついにはユーフラテス川を越え、シリア北西部のクルド人支配地域アフリンへの到達も夢ではなくなった。
 もしクルド人がアフリンまで掌握すると、トルコとの国境沿いであるシリア北部は全て彼らの勢力下に入ることになる。トルコ政府は、このクルド人勢力をトルコ国内で武装闘争を40年近く続けるPKK(クルド労働者党)と一体であると考えており、クルド人たちが勢力を拡大してその影響が国内にも飛び火するのを恐れていた。
 2016年から、2度にわたってトルコ軍はシリア反体制派と協力して軍事作戦を展開し、シリア領内の国境沿いおよそ200kmに及ぶ地帯を占領した。そして2019年10月9日、トルコ軍はその3日前に発表されたトランプ大統領による米軍撤退決定の報を待っていたかのように、国境を越えてクルド人実効支配地域のロジャバに侵攻し始めた。ISという共通の敵が弱体化し、シリアでの戦争も多少落ち着くかと思われたが、次から次へと新たな戦いが始まるのだった。

シリア領内のクルド人支配地域にトルコが建設した壁。これが実質的な国境線になっている。

アメリカが駐留する理由

 シュメール文明に始まり、アレクサンドロス3世(大王)の遠征によって終焉えんを迎えた古代メソポタミア。世界最古の文明を生み、人類の歴史を見続けてきたチグリス川の流れは今も変わらず、現在はイラクとシリアを分かつ国境線としてそこにある。
 頂上に真っ白な雪をいただいた山脈が地平線に沿って堂々と聳そびえたち、放牧された羊たちが緑の大地をゆっくりと歩いているのが見える。ここがアルプス山脈だと言われても疑わない、牧歌的な光景だ。しかし、羊たちの群の向こうで何か大きな金属の塊かたまりが上下運動をしていた。
 規則性をもって、しかし無機質な動きで鋼鉄の頭を地面に振り下ろすその姿は、餌をついばむ鳥のようだ。一つではない。舗装されていない山道の両側に、はるかかなたの地平線上にも見える。色の薄い冬の青空に、黒々とした煙が溶けていく。
 石油採掘施設だ。トランプ大統領が米軍の撤退を決定した後も600人ほどの部隊をロジャバに置き続ける理由である。大統領はクルド自治政府のバルザニ議長との会見で、隠すことなく、はっきりと「我々は石油のためにここにいる」と発言した。石油はロジャバのクルド人たちにとっても貴重な収入源である。イラクから陸路でシリアに入り、すぐさまこの地域で戦争が終わらない理由の一つを目撃した。

もともと山岳民族だったクルド人にとって山は友達であり故郷である
トルコとの国境沿いに広がる油田採掘施設。シリア北東部を収めるクルド人たちにとって非常に重要な資源である。

新たなパートナー

20万の人口を抱え、シリア北東部ロジャバ地域で最大の街であるカミシリは驚くほど活気に満ち、中心部に広がる市場や路面店は品物で溢あふれてた。ケバブ屋の店主がこんがりと焼かれた大きな肉の塊にナイフを入れると、肉汁が滴った。警官が警棒を振り回しながら慌ただしく交通整理している。夕焼けに赤く染まる街を忙しく行き来する人々の姿からは、ここが様々な勢
力が入り交じる国際情勢を動かす現場とは思えなかった。
 ホテルアジアという宿の屋上からは、1kmほど先のトルコ側の街が見える。レストランでサラダ、ナン、チキンのスープの夕食をすませ、翌日からの取材に備えて部屋でカメラ機材のチェックをした。長距離の移動で疲れた体を休めようと、早めにベッドに入った。このホテルは外国人の報道関係者もよく利用する場所で、数年前には自爆テロに遭っているので万一のことを考えて窓から一番遠いベッドに横になる。
 ウトウトし始めた頃、急に窓の外が騒がしくなった。クラクションが鳴り響き、街の人が騒ぎ出した。何事かと思い、カーテンを開けて道路を見下ろすと、装甲車を先頭に兵員輸送車や幌ほろ付きの小型四輪駆動車など10台以上の車列が街のど真ん中に止まっている。カメラをつかんで外に出た。目立たないよう群衆に紛れながら、車両に近づいた。
 ロシア軍だ。やじ馬たちがトラックの中の金髪のロシア人兵士に向かって歓声をあげた。若い男が装甲車の小さな窓越しにロシア人兵士と握手をして騒ぎ立てた。どこからか現れた地元テレビ局の女性リポーターが興奮した声で現場の状況をリポートした。ロシア軍は、その存在を街の人々に見せつけるようにその場所にしばらく停車したのち、街を練り歩くようにゆっくりとどこかに走り去っていった。
 昨年までは米軍が街の基地に駐留し、地元のクルド人たちから温かい歓迎を受けていたが、もう彼らの姿を街中で見ることはない。10月にトランプ大統領が部隊の撤退を決定した時、クルドの人々は裏切られ、見捨てられた思いで、基地を去る米軍の車列に石などを投げつけた。
 多くの犠牲を払いながら、自分たちの存在を国際社会に認めてもらうために5年以上もISと戦い続けたクルド人、そしてそれをサポートしてきた米軍。誰がこのような結末を迎えると思っただろうか。様々な国に囲まれ、歴史の中で翻ほん弄ろうされ続けてきたクルド人は裏切りにも慣れているが、いまの状況はまるでシリア戦争の縮図のようだと街の人たちは言う。

カミシリの街中を走るロシア軍車列の装甲車


共闘するシリア政府軍とクルド人民防衛隊

 カミシリの街から車でおよそ2時間、トルコ軍が侵攻してきている国境の前線地帯は落ち着いていた。草原の中に泥とレンガで造った素朴な家がポツポツと立ち並ぶ。スカーフをかぶった女性たちが洗濯物を干し、痩せたヤギがトコトコと道を横切った。男たちは庭に椅子を出し、日なたぼっこをしながら談笑を楽しんでいる。
 のんびりとした風景の村に紛れるように、前線で戦うクルド人民防衛隊(YPG)が詰めている民家はあった。彼らは2011年にシリアで戦争が始まってから、シリア北東部のロジャバ地域を狙うあらゆるグループと戦ってきた。欧米各国の地上部隊として、ISに対して1万人以上の犠牲を払いながらも激しく戦い、壊滅させた功績は広く知られている。勇猛果敢な部隊だ。
 YPGの兵士と共に歩いて前線に向かった。村のはずれに元々は農業関係の大きな倉庫だったという建物があり、その敷地が前線基地だった。
「地雷が埋まっているから後ろをついてこい」
YPGの兵士が警告した。
 ジャンボジェットが丸々入るであろう大きな倉庫の屋根にはシリア政府軍の旗が翻ひるがえっている。倉庫を抜けると、赤土がむき出しになった荒れ果てた庭に出た。2mほどの高さの外壁に沿って兵士たちが張り付いている。ジーンズやワークパンツにミリタリー柄のジャケットとラフないでたちのYPG兵士たちに交じって、シリア政府軍兵士が見える。今までは時
に敵対することもあった両者だが、この前線では共通の敵を相手に共に戦っている。
 「自由シリア軍の戦車が見えるぞ」
大きな双眼鏡で相手陣地の方角を観察していた一人が言った。スナイパーに撃たれないよう、そろりと頭を壁から出した。だだっ広い草原を挟んだ向かいの丘に、民家らしき建物。その横に二つ、戦車のシルエットがこちらに砲塔を向けて不気味な静けさとともに停まっているのが見えた。トルコ軍はシリアの反政府勢力である自由シリア軍に訓練を施して武器を提供し、前線で戦わせている。
「向こうまでの距離は1・3kmだ」シリア政府軍兵士が言った。
「やつらは夜間か早朝に、暗闇に紛れて近づいてくるんだ。ヒットエンドランさ」
 そう彼が言った直後、「キュンッ」という音が連続して聞こえてきた。自由シリア軍がこちらに向かって撃ってきたのだ。
それまで呑気にたばこをふかしていた兵士たちが「きたな!」とばかりにライフルを持ち上げた。黒いニット帽をかぶった精せい悍かんな顔つきの若いクルド人兵士が土嚢の上に飛び乗り、長い銃身に大きなスコープがついたスナイパーライフルを壁に開けた穴に突き出して撃ち始めた。大柄なひげ面の兵士が軽機関銃を連射して薬莢があたりにばら撒まかれた。少年のような顔つきのアフリカ系兵士がひげ面の兵士にどやされて、ドタドタと新しい弾薬帯を運んだ。
 もし戦車が撃ってくれば、目の前の厚さ数十㌢の土壁ごとこちらは吹き飛ばされるだろう。戦力差は火を見るよりも明らかだ。戦車が撃ってこないのをただただ祈りながら、頭を低くして兵士たちを撮影した。数分間撃ち合いが続いたあと、辺りは静かになり嘘のようにのどかな草原の風景が戻った。どうやら本気でこちらを殲せん滅めつする気はないようだ。

国境沿いの前線基地にシリア国旗が旗めく。遠くに見える山はトルコ領だ。トルコの携帯電話会社の電波が拾えるくらいに両者の距離は近い。
トルコ軍にバックアップされたシリア反政府組織と交戦するクルド人民防衛隊(YPG)の兵士たち。装備は貧弱で、火力では圧倒的な劣勢だ


「朝もやつらは攻撃を仕掛けてきた」
たばこを美味まそうに吸いながらシリア政府軍兵士が言った。全員が銃撃
戦で分泌されたアドレナリンの、緊張と高揚が入り交じる余韻に浸ってい
た。冬の澄み切った空はいつものように青かった。
 自由シリア軍のさらなる攻撃はなかったが、やがてドローンが飛行する
音が聞こえてきた。
 「トルコ軍のドローンだ。お前はすぐこの場所を離れろ。急げ!」
兵士たちに村の方に戻るよう指示を受けた。現代の戦場ではドローンは大きな脅威の一つだ。見えない距離からミサイルを放ち、撃たれた側は逃げる暇もなく殺される。シリア政府軍兵士とクルド人兵士たちは笑顔でこちらに手を振って別れを告げるのだった。
 凄惨で酷いISとの戦いがようやく終わりを告げ、つかの間の安息を享受していたクルド人たちだが、ISの背後にはトルコというさらに大きな敵が待ち構えていた。このシリア北東部は複数の勢力が入り乱れ、政治と暴力の駆け引きが行われる舞台となった。

共に行動するクルド人部隊とシリア政府軍兵士たち


 シリア政府を強力に支援するロシアと、ISを倒し石油利権のために駐留するアメリカ軍は、お互いの活動地域を巡って小競り合いをしばしば起こしている。両者とも日常的に幹線道路や街中をパトロールしているが、ハサカという要衝の街では、アメリカ軍の車列がロシア軍の車列を追い回し、自分たちの縄張りから追いだそうとしているのを目撃した。地元民がSNSに投稿した映像では、パトロール中の両者が路上で車列を止め、口論になっていた。
 一日の取材の中で、米軍、ロシア軍、シリア政府軍、トルコ軍、クルド人民防衛隊と複数のグループを目撃し、狭い地域の中でそれぞれの軍の車両や兵士とすれ違うというのは今までに経験したことがない。これは今まで取材した中東のどこの地域とも異なる、複雑な状況だと言えるだろう。それぞれが自分たちの利権や思惑のために動き、もつれた糸のように複雑に絡み合っている。その絡まった糸でこの地に住むクルド人たちはがんじがらめにされているのだった。彼らには自分たちを守る十分な武器も、資金もない。大国同士のパワーゲームの中で、どこかの勢力に頼らなければ生きていけないのだ。今日武器を捨てれば、あしたには虐殺される運命が待っている。クルド
人たちはサダム・フセイン時代に行われたアンファール作戦の大量虐殺の歴史を昨日のことのように覚えている。いくら素晴らしい思想や信念を持っていても、自分たちを守る術を持っていなければ現実世界では生き残れないということを彼らはよく知っている。

"M4ルート"と呼ばれる主要幹線道路を見張る米軍の車列

逃げ惑い続ける市民たち

 クルド人の台頭と、国内経済を圧迫するシリア難民問題を解決したいトルコは、2016年以降、3度の越境攻撃により国境地帯の一部を占領、そこに難民を帰還させている。トルコ政府の狙いとしては国境地帯に全長400km、幅30kmに及ぶ干渉地帯を設置し、国内におよそ370万人いると言われる難民を返そうというのだ。しかし、このトルコの越境攻撃そのものによって新たな国内避難民が続々と発生し、その数は30万人(2020年1月段階)を超えると推測されている。
 1万人近くの難民たちが暮らす国境近くのワショカニキャンプでは、急増する難民の数に支援が足りず、これ以上の受け入れができないという。ごく少数のNGOが活動するが食料配給も足りず、いつまで継続できるかは不明だ。多くの難民たちは故郷の家をトルコの空爆によって破壊されるか、自由シリア軍によって追い出された。
 「自由シリア軍は家のもの全てを略奪していった。この子の車椅子さえも
よ!」
知的障害を持つ12歳のモハンマドの母、アミラは言った。彼女たちはアラブ人であり、自由シリア軍が敵とみなすクルド人ではない。しかし兵士たちは、クルド人民防衛隊が掌握する地域に住んでいた彼らを、クルド人に協力的だとして因縁をつけ、殺すと脅した。

知的障害を持つモハンマドと兄弟、彼らの母アミラ



 5人の子供の父で農業を営むオマールは、トルコ軍の空爆によって家を破壊され、着の身着のままに家族みんなで逃げ出してきた。今は14歳の長男アジズがプラスチックや鉄くずなどを一生懸命拾い集めて、1日1・5㌦ほどの収入を得ている。しかし、生後7カ月のムスタファが飲むミルク1缶が5㌦するという。ムスタファと、その横に顔色悪く虚うつろな目で横たわって
いる6歳のホザンの2人は、不衛生で栄養が足りていない難民キャンプの環境で体を壊し、嘔吐を繰り返している。
「なんとか働きに出たいが体をけがして動けない。どうやってこの子たちを食わせていけばいいんだ」
オマールは涙を流した。
 そしてタイミングの悪いことに、新型コロナウイルスの感染拡大によって、各地の難民キャンプへの支援が滞り、戦争難民となった弱い立場の人たちがさらに追い込まれるという事態に陥っている。

家族で唯一働ける14歳の長男アジズと、体調が悪く横たわっている兄弟たち。


いまだ終わらないISとの戦い


 トルコの侵攻が生み出した混乱は、シリア北東部の刑務所とキャンプに収容されているISの戦闘員たちとその家族、再結集を試みるIS残党にもチャンスを与えることにもなっている。暴動や脱走を試みる機会を与え、ISのスリーパーセルはシリアとイラクの各地でテロ攻撃や誘拐を活発化させている。BBCによると、イラクではISによる攻撃が2020年4月以降急増しているという。
 トランプ大統領はISを倒したと宣言したが、今も戦いは終わっていない。ロジャバにあるIS戦闘員たちを収容するグウェイラン刑務所では、5千人もの戦闘員たちが今後どういう形で裁かれるか国際社会の判断を待っていた。囚人たちの汗や負傷者たちの傷の臭い、病気が蔓延している牢屋の空気は呼吸するのもためらわれるほど濁った空気で満ちていた。戦闘員たちは虚ろな目をした虚無の人間もいれば、心の奥底に憎しみと怒りを湛たたえたゾッとするような目つきをした者たちもいた。あまりの空気の重さと、何百もの戦闘員の視線に晒さらされた私の足は誰かにつかまれたかのように動かなくなるのだった。恐ろしさで体が動かないというのを実感した、あのIS戦闘員たちに囲まれた閉鎖空間は私の人生で最も緊張した瞬間の一つで今も忘れることができない。  
 このグウェイラン刑務所は2022年1月にISの大きな攻撃を受け、クルド人が率いるシリア民主軍、イギリス軍地上部隊とアメリカ軍の空爆支援も参加する10日間の激しい戦闘に発展した。この戦闘でおよそ500人のIS戦闘員が死亡、数百人の囚人が脱走したと見られるが正確な人数は今もわかっていない。 今もISは組織の再編成を行い、再びその旗を上げながら大きな攻勢に出るチャンスを窺っている。彼らは永遠にいなくならないだろう。

グウェイラン刑務所に収監されているISの外国人戦闘員たち


戦場を越えて: シリアの終わりなき闘いから教訓を見出す


 2013年以来、シリアの戦争と戦争難民問題、ISとの戦いなどをこの地域で撮り続けてきたが、戦いは一向に終わる気配が見えない。一つの戦争が終わると、また新たな戦争が生まれる。様々な国、民族、政治組織、武装組織の利権やパワーゲームが戦争をだらだらと継続させ、国や人々が疲弊していく。しかし、戦いの中で犠牲になるのは民間人、兵士を問わずいつも名もない人々である。
 この地域で繰り返される戦争を体験して、思うことがある。私たち日本人が「平和」と呼んでいるものは、戦いと戦いの間に存在するわずかな「隙間」にすぎないのだと。有史以来続いてきた人間の戦争の歴史の中で、それは脆く儚はかないものだ。何かがあれば穏やかで当たり前だと思っていた毎日はあっという間に壊れてしまう。民族の存亡と自由をかけて、大きな力に必死に抗うシリア領内のクルド人たちの姿は、それを物語っていた。残念ながら未だ世界は暴力が支配していて、力無きものは食われてしまう。故郷や家族、仲間を守るために、戦わなければ待っているのは存在の否定であり死である。話し合いで物事が解決するのは、お互いが譲歩する気持ちがある場合のみだ。人間は戦争をやめられない生き物であり、これからも続くだろう。ではどうするのか?
 終戦から78年目を迎えた私たちは、クルド人が何十年も置かれている現状から移り変わる世界の今を見つめ、いま一度、戦争とは何か?平和とは何か?民族や国家とはなにか?を学び直す必要がある。そして戦争が私たちが望まなくても起こってしまう不可避の存在であるならば、それにどう備え、国際社会の中で日本はどういった役割を果たし、もし戦争が起こった場合はどう行動していくのか、最悪の事態を避けるためにも我々は議論しなければならない時が来ている。多くのことをいま起こっている戦争から学べるはずだ。


ISの攻撃でなくなったクルド人治安機関要員サミール・セイードの棺を運ぶ同僚や友人たち
サミール・セイードの葬儀で、棺に張り付いて泣き叫ぶ 家族や親族たち。
泣き崩れる父親を慰める小さな男の子

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