本当の姿
自分のことって分かってないもんだなと、この休職中につくづく思う。
えー!
と支援員さんに言われたのだが、私は自分のことを、「頑固だけど、ちゃんと融通のきく人」だと思っていた。
融通というか、自由度の高い人。
日々、自分の好きなこと(仕事を含め)しかしていないし、自分の好きなことを追求して満足している。
好きなことを、自分の思うようにやってて、自由がありませんって、逆に変じゃない? と思っていた。
でも実際のところは、自分の中のルールや決め事、ルーティン、こうあるべき、こうするべきが、ものすごく多くて、自由でいいことで、不自由になっている、おかしな状態であると、知ることになった。
やってもやらなくてもいいこと、勝手にどうぞなことを、大量に、後生大事に詰め込み、背負い込み、毎日、何事によらず、きりきりまいまいしている。
その理由は、私が何につけても考え方に「柔軟性」というものが乏しいから。
こうだ! これだ!
を見つけたら、
真っ直ぐ、真正面から、進め! 迷うな。よそ見するな、とにかく邁進!
私が大嫌いな体育会系の、軍隊みたいなのをひとりでやってる感じである。
何やってるんだか、と今なら思う。
どこが自由な人なんだろうって思う。
融通がきくって、どこを見て? と思う。
背負い込むものが日々多すぎ、体力的、精神的に疲れてキャパオーバーになってくると、多すぎるルールがどうにもこうにも、当たり前に果たせなくなる。誰でもそうだと思う。
そうなると、今までの私は、すぐにこれは頑張りが足りないせいである。もっと工夫や努力をして、ルール厳守を遂行するべく、ルールを追加し何かをしなければならない、と思っていた。
全然、融通きかない。
そこは、ルール厳守を遂行すべく、工夫をしてさらにルールを追加する所じゃなくて、ルールを見直して、今やってるルール自体をやめる所だ。キャパオーバーなのだから。
そういう柔軟な判断ができない人。自分ルールだけを大事に走り回る、暴走列車みたいな人間だった。
それが悲しいかな、見えてない自分の本当の姿だった。
今回の休職の件でも、自分には「柔軟性」が欠けているのだと、まだ分からなかった。
主治医に、「あれもこれもルールやルーティンでガッチガチ。すべき、あるべきが多すぎる」「真っ向勝負で戦えるのは、ルールが同じ人、価値観が同じ人とだけでできること。会社も社会も、たくさんの価値観と考え方の人の集まりで、柔軟性のない森うさぎさんのやり方は、効率的でもないし、結果正しくもないし、あなたの健康にもよくない」と言われた。
その後毎日、色々自分で考えた。
日々、反省系のnoteが続くのは、そういうわけだ。
頑固の上に、頑固を塗り重ねて、懸命に自分で作ったルールで自分を縛り付け、苦しい苦しい言ってる、傍から見たら、私は単なるおばかさんなのかも……。
柔軟性って言うけど、問題として根深すぎて、どこから手をつけて良いやら分からない。
とりあえず見てわかりやすい、朝のルーティンから壊してみようか。
やらなきゃならないことを、あえてやらない。へそ曲がりの法則。
12月の振り返りをする時に、もっと違う見方ができないか。やってみたのが、先日のnote。
柔軟性というワードを掲げて生活してみると、がちがちごちごち、と言われる考え方が、そこかしこにあって「ここもか!」「もしかして、これも?」と発見例、疑い例がぞろぞろ。
解決策がすぐ思いつかないことでも、がちがちごちごち部分を発見するだけでも、違うんだろうなと思うことにしている。
あれもこれもダメだ。あれもこれも、がちがちごちこちだ。と発見する度に苦しくなって、「どうしたらいいんだろう」とうっかり独り言が出る。
この「どうしたらいいんだろう」も、正解や正しい答えを求める言葉であって、世の中には正解も不正解もない(曖昧なもの)ということと矛盾するので、まったく抜け出せていない証拠だ。
完璧に抜け出そうとせず、完璧には正解を求めない、その中途半端を許す。
休職期間は、自分見つめ、自己分析をするいい時間になっている(はず)。
まだ時間はある。
のんびり体調の回復を待ちつつ、考え方も見なおしていけたらと思う。
でも本当の自分の姿って、重たいな。
見つめるの、苦しい。辛い。
【今日の英作文】
それはさておき、私は自分の決断に自信を持つべきです。
Anyway, I should have confidence about my decision.
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