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抹茶の時間 Urala

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#tea_ceremony

11月 開炉

11月 開炉

爽やかな秋晴れが続いています🌸
秋の行楽シーズンですね。だんだんと東京も葉が色づいてきています。
二十四節気では立冬(11月8日頃~)に入りました。
まさに冬のはじまりです。今年はまだあたたかな小春日和が続いていますが、気付いたらすぐそこまで冬が迫ってきています。
記事のUpが少し遅れてしまいましたが、とうとう開炉の月がやってきました!お茶の世界のお正月です。まずは七十二候から。

七十二候では

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お稽古(10/25)中置/五行棚

お稽古(10/25)中置/五行棚

先週から急に冷えてきて、着物が着やすくなってきました。
季節は二十四節気で霜降。
「霜降」とは、読んで字の如く、北国の方から徐々に霜が降り始める時期、という季節です。関東ではもう少し先になりそうですね。

七十二候では次の3つの候に分かれます。
10月23~27日頃 霜始降
秋の霜は農作物に大きな打撃をもたらします。そこから、「秋霜烈日」という言葉も生まれました。秋の霜と、夏の猛烈な日差しの過酷さ

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10月のお稽古は中置(10/11)

10月のお稽古は中置(10/11)

10月と言えど昨日は夏日で、先生と「季節感がないわね〜」と笑ってしまいました。
季節はもうすでに二十四節気で寒露。
「寒露」とは、朝晩の冷え込みがはっきりと感じられなるようになり、明け方、草や葉に宿る露の冷たさに驚かされる、という季節です。

七十二候では次の3つの候に分かれます。
10月8~12日頃  鴻鴈来
燕が南へ帰ると入れ違いに雁が渡ってきます。遠くシベリア、カムチャッカから海を越えてやっ

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“茶道と禅” #4 織田信長と茶の湯

“茶道と禅” #4 織田信長と茶の湯

★いよいよ織豊時代へ
織豊時代に入りますと、とたんに茶の湯が政治的な意味合いを帯びてくることがうかがえます。
茶席は接待や密談、交渉に使われたり、茶道具はそれひとつでお城が建つと言われるほどの価値あるものに、また茶人も政界へ関係を広げていくこととなります。
また織田信長とともに日本史に登場する、現代茶の湯の祖である千利休が登場するわけです・・!

★力を持っていた堺の商人たち
室町時代では幕府お抱

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“茶道と禅” #3 重要人物(鎌倉~室町)

“茶道と禅” #3 重要人物(鎌倉~室町)

★栄西→鎌倉幕府3代将軍源実朝へ
栄西が鎌倉寿福寺(じゅふくじ)の住職であった1214年に、二日酔いで悩んでいた源実朝に、良薬として一服の茶と「喫茶養生記」を献上したところ、すっきりと回復した、という出来事から関東地方へも伝播してきました。

※栄西は実は禅僧ではなく、天台密教の僧だそうです。宋に渡って禅宗を学びましたが、天台宗内における兼教として禅を学んだということなのだそうです。

栄西は、高

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“茶道と禅” #2 日本へ渡った喫茶

“茶道と禅” #2 日本へ渡った喫茶

以前”茶道と禅” #1 「禅」とは、で日本へ伝わってきた禅宗と、その教えの基礎的な部分、また現代に伝わる禅、といった内容で記載しました。
♯2では、喫茶という文化、茶道と禅がなぜ関係があるのかについて個人的に勉強したことを記載してみたいと思います。

★茶は中国から日本へどのように入ってきたか
茶は、日本に臨済宗を伝え「喫茶養生記」の著者である栄西(ようさい)が茶の湯の歴史に関する第一人者であると

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“茶道と禅” #1 「禅」とは、、?

“茶道と禅” #1 「禅」とは、、?

茶道のお稽古をしていると、掛け軸に禅語が書かれています。
禅ってよくわからないけど、なんだか有難いお言葉なんだろうなぁくらいに思っていました。今回は改めて、茶道と禅のつながりについて考えてみたいと思います。

まずは「禅」って何ぞや!?っていうね。
ジャカルタに住んでいた時、お友達のインド人がとても日本が好きで、
「ZENの本、私いくつも持ってるのよ!さぁ語りましょう!」
と。。 ご、ごめんなさい

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