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2ブロックの人って2ブロックに人格が乗っ取られてるように見えませんか?

最近、意外にも仕事を探している。
何かというと、ウェブライター系の仕事を見ている。
リモートワークのある仕事しかしたくない。かなり我儘な事を言ってるとは思う。
そもそもの話、文章なんて誰でも書けますからね。
あと、こういった日記形式であったり、個人の主観や思想が入り混じったような文章はおそらくあまりウェブライティングに向いていない。
つまり、私にはあまり向いていないということだ。

グーグルで検索したらウェブライターのなり方や始め方を解説してるブログが山ほど出てくるのだが、私は彼らの生き様が嫌いだ。
なんというか彼らの書く文章やブログを見ていると、人格そのものが、あまりに、社会と適合していると思うのです。
マーケティングがどうとかいう事をTwitterでもブログでも、ず~っと言っててぶち壊したくなる。本当につまんねえ世界だなと思っちゃうのです。
私はビジネス的な価値観に対する嫌悪感がある。

もちろんご飯を食べるために、お金を稼ぐために、そんな子供じみた我儘が通じるわけもない。
フリーターだってフリーと言いながらバイトの時に自由はないだろうし、好きな事を仕事にしているクリエイターなんかも、本当に自分の描きたいことじゃなくて利益が見込めることしかできないであろうし、激しい競争を勝ち取らなくてはならない。

仕事というものをある程度の苦痛なしにやるためには、"私"という人格をもはや書き換えてるんじゃないかという恐怖があるんですよね。

フリーライターと呼ばれるであろう人々というのは、仕事そのものが日常であり、フリーライターの仕事の人格が"私"そのものであって、人格そのものが社会に飲み込まれているのではと思うのです。
ある種その人柄そのものが社会的に適合していて、ある程度の安全性と社会的規範があるからこそ仕事があるというか、それが私にとっては恐怖の対象だ。

分かりやすく言うならば、2ブロックの営業マンの人格は2ブロックにした瞬間に2ブロックの人格に書き換えられる、ということです。

楽しく生きるって、人格を社会の入れ物に入れる形にするってことなんですよね。社会ってそういうものなんでしょうけど。

「私、私、私」と何とも疲れる文章でしょうけど、つまりウはニートの自分が大大大だ~いすき♡ということですよね。
いつか働くことになるときには、自分の人格なんてどうだっていいと思うけど、このブログくらいはなるべく素でやらせてほしい。人の悪口を言いまくりたいです。


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