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構造の世界で、自由を生きる。 #114

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前回、3つの思考の軸について書きました。簡潔に紹介すると、ほとんどの知識はこの3つの思考の軸で説明ができるのではないかという仮説を立てたという話でした。

今回は、3つの思考の軸の1つ目である「構造主義と実存主義」について少し詳しく書いてみます。


構造主義の世界の中で、自由意志を信じるか

構造主義によると、人間が何を考えて何を大切に思うかは、人間がどの構造にいるかで決まるということになります。また、この構造は大きく分けて生物的構造、社会的構造、個人的構造の3つに分けられという仮説を個人的に立てています(それぞれについては今後の記事で詳しく書く予定です)。

生物である以上、お腹がすいたらご飯を食べたくなる、痒くなったら掻きたくなる。日本語を母語とするならば、日本語で思考をするしかない。資本主義を採用している国に住む以上、お金を稼きたいと思う。受験生ならばテストの点数を上げたいと思う。noteで記事を書いているなら、スキやコメントがもらえそうな内容を書きたくなる。

人間の思考、発言、行動がどうやって決まっているのかを辿ると、人間の意志とは関係のない構造によって決められていることが明らかになります。これこそが構造主義の持つ力です。この構造主義の力を認める現代では、ある問題の原因特定から解決策の考案まで、その全てが構造という概念によって説明することが主流となっています。

構造主義的な考え方を採用すると、この世界で生きる人間の思考や行動を上手く説明することがでいます。しかし、この構造主義を「私」にも当てはめた時に直面するのが、「自由意志」という概念との対立です。自分が何をするのかは自分で選択できると「私」が思っていても、「私」以外の存在が「私」を観察すると、「それはあなたが○○という構造に所属しているからそう思っているだけで、あなた自身が自由に考えたわけではない」と説明できてしまうのです。

こうした議論は決定論か自由意志かという根源的な哲学の問いに収斂します。この2つのテーゼのどちらが正しいのか、その答えはまだ出ていない(または、答えは出ないというのが答え)というのが現時点での哲学界での結論のようです。


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