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2024年10月17日 金木犀の香りで「私」を捉える
数日前から、
「もしかして?」と思っていましたが、
今朝、はっきりと金木犀の香りを認識しました。
おめでとうございます。
本格的な秋の到来です。
まだ、かなり気温は高いですが、
この香りがするということは、秋なのです。
数日前の香りは、もっとぼんやりと淡く、もう一度嗅ごうとしたら
空気の中へ消えてしまいました。
今朝の香りは、くんくんと何度か嗅いでみても消えませんでした。
良い香りだとしみじみ吸い込んだものの、
気温が高めなので、
香りの立ちが濃厚で、少し、くどい気もします。
きりりと冷たい澄んだ空気に差し込まれる金木犀の香りは
もっと研ぎ澄まされていたように思うのです。
そういえば、花粉症のある人の中には、金木犀の香りがダメな人もいると言うことを知りました。
その時は、「あんなに素敵な香りなのに…」と思ったのですが、
今朝嗅いだような濃い香りであれば、そういう可能性もあるだろう、と妙に納得しました。
鼻腔内を刺激するようなこってりした金木犀の香りだったのです。
敏感な人ならくしゃみがでるほどの。
何でも思い込みはよくないな、と思いました。
金木犀は、「素敵な香り」ではなく、
「くしゃみが止まらない香り」や「吐き気を催す香り」と思う人だっているのです。
結局、人間は自分の感じている世界が1等普通で、
1番、当たり前だと思うものなのでしょう。
そうでない人がいるかどうかというのは、他者と交流しなくては、わかり得ないことです。
そう言えば、昨年も金木犀についての記事を書いた、と思い出しました。
なんと、びっくり!
去年も10月17日付で、金木犀と香水について書いています。
ということは、うちの近所の金木犀は、毎年10月17日前後に、花を咲かせるということでしょうか。
いやいや、日付で花を咲かせる植物などいませんから、
金木犀の花が咲くような気温になったということでしょうか。
だとすれば、
暑い、暑いと思っていましたが、今年も昨年同様
順当に秋は深まっているわけです。
そして、去年の私は、金木犀の香りを心地よく、美しく、素敵なものとして捉えていたわけですが、
2024年の私は、やや体調を崩しており、
金木犀の香りが苦手だという人の存在を知って、
「あの香りは、少しばかり濃厚かもしれない…」と感じています。
同じ香りを嗅いでいる、同じ人間だと言うのに、この違い!
1年前の私はもはや違う人のようにも感じます。
時折、以前書いた記事を読んでみるのですが、
自分が書いたものなのに、新鮮な驚きがあります。
「私」というものは、
以前の「私」と少しばかり連続しているものの、
決して、同じ存在、ではないようです。
去年の「私」は、金木犀の香りを楽しみ、夏の間、試したいくつかの香水について感想を書いています。
先の記事に書いた香水は、今も愛用品で、日常でよくつけています。
今朝も、Olivia Giacobetti VAPEUR BLANCHEを、ワンプッシュしました。
変わらず、よい香り、仕事に向かえる香りだと感じます。
ですから、根本的な香りの趣味嗜好まで、変わったわけではないようです。
それでも、金木犀の柔らかい香りを胸いっぱい吸い込んで、嬉しさに満ちていた去年の「私」はここにはいません。
今、ここにいるのは、金木犀の香りで、浮きぼりになる「私」にの輪郭を触ろうとしている、
少し哲学めいた「私」です。
「私」は連続しているけれど、完全に同じではないのです。
以前には、「私」がなくなることを恐ろしいと感じることがありましたが、
最近は、気づいてないだけで、
常に「私」は変化している、と思えるようになりました。
私たちは常にアップデートされるアプリのようなものです。
気づくと今の状況にあった「私」にアップデートされており、
初期の機能がなくなっていたりします。
アプリ名が変わることもあるかもしれません。
生きている限り、アップデートは続くのです。
一方で、「私」は何をもって、「私」だと自覚しているのかという疑問も有ります。
来年の「私」は金木犀の香りを嗅いで、何を思うでしょうか。
金木犀の香りにそもそも気付くでしょうか。
来年の「私」は「私」ですが、何を考えているかはわからないのです。
先のことを思い悩むことは、そういう意味で、あまり建設的ではないのかもしれません。
未来の「私」が今の「私」と同じ保証はどこにもないのですから。
実は、今年も、香りの源、橙色の小さな花をつけた植物としての金木犀は、発見できていません。
どこかの家の中庭にでも植えられているのでしょうか。
それともずっと遠くから?
向こうの通りのお庭から?
あっちの公園か街路樹から?
香りの源を見つけることはできません。
姿が見えない香りと言うもので、
変わりゆく「私」の輪郭を
縁取ることができるという不思議。
そして、香りの源である金木犀そのものを
見つけることができない不思議。
金木犀は、一体、どこに植っているのでしょう。
それは、「私」とは一体、何かという問いとさして変わりはないことのように、
思えた、秋の1日でした。
私も金木犀も、
どこにでもあって、どこにでもなく、
同一性があって、同一性などない、のです。
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