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#日記
金のインゴット、ほんものとにせもの、一回性と複数性、あと挨拶だいじ
2024年1月1日(月)
部屋の整理をしていたら、11月の文学フリマで吉川浩満さんから「金のインゴットです」と手渡されたオマケが出てきた。謎の購入特典。適当に「おお、うれしい!」などとリアクションして受け取ったものの、これがなにを意味するのかわからずにいた。小さな金のインゴット。まさか本物の金ではあるまいし……。まあいいやと放り出して、そのうちに忘れていた。
まじまじ眺めると、「FINE GO
日記 誰のせいでもないこと
7月4日(日)
投票へ行った。新聞社の出口調査員に激怒する高齢男性がいた。理由はわからない。思いもよらないことで怒りだす人は多い。理由なき反抗かもしれない。そういうお年頃とか。肌寒い雨の日だった。家に帰って上着のシャツを脱いだとき、腕に蟻が這ってきた。すこし焦る。すぐ窓をあけて外に放った。蟻が腕を這うくすぐったい感触、いつぶりだろう。
脚に蜘蛛が這ってたことはさいきんあった。蟻は何年もない。
終わり、感謝、痛みの逆説
転載。
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それと、外来診療を続けている患者さんがすっと元気になった時は、別れを告げに来た時と思ってもいい。わけもないのにすっとよくなっているんですね。帰りに飛び込もうかと思って来ている時は、うつ状態がずいぶんよくなるんですね。p.177
ようやく読み終えた『座談会 うつ病治療 ―現場の工夫より―』(メディカルレビュー社)。引用は、神田橋條治医師の発言。「出口が見える」とか
さびしさ、「理解」「信」、翻訳ラジオ
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1月24日(日)
年が明けてはじめて、介護施設の祖母と面会した。相変わらず施設内に入れてもらえない。当面は無理か。いまにも雪へと変わりそうな雨のなか、窓ガラス越しに電話をかける。短い時間、短いことばを交わしあった。人はすこしずつ名前をなくしてしまいたい生き物なのではないか。帰り際に、なんとなく思う。
施設のなかではおそらく、なにをするにも名前が必要になる。自分の名をいちいち意識せ
幸せのかたち、言語以前のからっぽ
檜山:石河さんよろしくお願い致します。
石河:よろしくお願いします。
檜山:もし石河さんでしたら、じゃんけんをするときは何を出しますか?
石河:やっぱり、負けたくないですからね。
檜山:はい、負けたくないですよね(笑)。
石河:やってみますか。
檜山:え、いいですか。え、うれしいです。やります。
石河:いいですか。
檜山:はい。
石河:じゃん……
檜山:さいっ……あっ、じゃん!
疲労困憊した日の夜は
疲労困憊した日の夜は、入眠時に幻聴が出る。幻聴は「出る」のか。うーん。湧き立つような感覚だと思う。幻聴が湧く。覚醒時と睡眠時の接地するみぎわに。それでもすぐに眠れるため、問題ない。内容はシンプルで、とにかく名前を呼ばれる。10代のころからずっとある症状。
それと関係するかわからないけれど、人に名前を呼ばれるのがすこしこわい。とはいえ、社会生活に支障をきたすほどではない。すこし。しかしやはり、人一
かゆみ、痛み、ころび、ほころび
蚊に刺された患部をどうしているか。わたしは極力なにもしない。かゆみがおさまるまで待つ。最初はムズムズするが、そのうち忘れてなんともなくなる。気にとめない。出来事の多くについて、こんな態度でいるのかもしれないと、ふと思う。たとえば「好き」という感情。これって、かゆみにとてもちかいのではないか。
触れたくて仕方がないところ。適度に触れると、気持ちがいい。しかし強くやりすぎると痛みに変わる。弱く触
「なくし方」の表現形
2019年11月5日(火)
湖のほとりで、ご年配の方々が集合写真を撮っていた。和気あいあいとたのしそうに位置を確認している。しかしカメラを向けられ、「撮ります」となると全員が一気に静まりかえるのだった。息を殺すように。空気が張り詰めるの。それがまたおもしろかった。
なんてことのない習慣的な光景かもしれない。でも変だ。写真に音声は入らない。さわいでいたってかまわないはずなのに。「魂が抜かれる
2月4日(月) 世界が滲み出してしまわぬよう
四海、波穏やか。
どうすればなんもかんもみんな綺麗に得心がいって終わるのか、みたいな「最終回答」を探している気がします。自分の考え方の核には「終わらせること」が、ずしんと重い腰を据えながら鎮座して動かない。答えなんか得られはしないのだろうとわかっていつつも、暗闇の中で薄明の射す時間を幻視している。夢見ている。夢見る頃を過ぎてもなお。
納得できない物事には圧倒されます。気圧される。ときに迫り