疲労困憊した日の夜は
疲労困憊した日の夜は、入眠時に幻聴が出る。幻聴は「出る」のか。うーん。湧き立つような感覚だと思う。幻聴が湧く。覚醒時と睡眠時の接地するみぎわに。それでもすぐに眠れるため、問題ない。内容はシンプルで、とにかく名前を呼ばれる。10代のころからずっとある症状。
それと関係するかわからないけれど、人に名前を呼ばれるのがすこしこわい。とはいえ、社会生活に支障をきたすほどではない。すこし。しかしやはり、人一倍こわく感じている。それは確かだと思う。わたしにとって、名前は首輪だ。
言語は首輪だ、と言い換えてもいい。ことばをこわがっている。畏敬にも似たおそれ。この首輪がわたしと現実とをつないでくれる。入眠時に名前を呼ばれるのは、夢に閉じ込められないための抵抗なのかもしれない。リードを引っ張るように、「そっちへ行くな」と。言語が言う。
幻聴というのは、やたら現実感がある。聴覚にはたぶん覚醒的な性質がある。いっぽうで視覚はすべて夢のようだと感じる。寝ても覚めても。写真がそのいい例証だと思う。なにを撮っても夢の断片みたいにうつる。
にゃん