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【海士町】海士町に教えてもらったこと

こんにちは無名人インタビュー主宰の私、栗林、qbcです!
2月の26から29まで、島根県の離島、隠岐島の中の海士町というところまでイン旅ュー(=インタビュー+旅)に行っておりました。
海士町の場所はこちらです!!!!!

陸>海で移動したんで、自宅から約13時間!
人口2,300人の日本海の離島!!!!!
日本海!!!!!
島!!!!!

結論:可能であれば今すぐ海士町に住め

海士町に行ってきて、私栗林、qbcから皆さまに伝えたいことは一つ。
経済的、時間的自由が今のあなたにあるのなら、まず海士町に行きなさい、そしてできるなら海士町に住みなさいよ!!!!!
です。
自然が多いとか、人があったかいとか、そういうのもあります。
でも、じゃなくて、これは今、海士町がホットな場所だから行ったほうがいいよ、という意味です。
夏目漱石だってイギリスに留学してたじゃない。それと一緒です。
少し前の上海とか、シンガポールとか、新しいものが生まれる可能性に沸いている場所に、若者をちゃかぽこちゃかぽこ留学やら駐在やらさせたりしてたじゃない。それと一緒。
今、熱意のある人が集まっている場所があり、それを可能な限り自由にさせてくれる行政があり、そしてまわりにはそれを見つめている住民、さらに住民以外の人たちもその動静を見つめている。

ファンミーティングのある自治体、私初めて知りました。みんなの推し自治体なんです、海士町は。

もちろんね、熱い鉄も時が経てば冷えますよ、と。
残念だけど。
この熱気もいつかなくなる時もあると思う。沈まぬ太陽はない。もちろん、その熱気は思ったより長続きするかもしれないし、冷えた熱気がまた再燃することもある。
でもね、あなたがこの海士町に行くことで、その熱く燃えている時間が変わることは確か。
そういう場所だ、海士町は。
この濃密で熱い感じ。
この考えにちょっとでも感じたり思うことがあるならば、さっさと行きなされ。
あなたのアイデアで、あなたの行動で、島のパワー、熱量動く。島->県->国->世界で動く。

離島生活、田舎ライフ、人間のあったかさ。そういう側面もここにはもちろんあると。ゆったりとした時間の流れ。

でも、私qbcはちょっと違うなと思ったんです。
この場所の本質は、変化だよって。
去年、ChatGPTに触ったのと一緒の感性で、海士町に行けって思ってる。
未来に、きっと、当時の海士町について知っていることを話してください、って言われる場所だと思う。約束された場所。だから今、海士町に行きなさい。
島の人全員当事者、スタートアップコミュニティのフロントランナー、始まりの地に行け! 見てこい! 可能であれば住め!

ないものはない。という町のスローガンは、「ないなら作ろうぜ!」精神

1,海士町でのイン旅ューについて

いきなり冒頭、唐突にテンション高く書いてしまいました。
すみません。

いやそれだけねー、ほんと「海士町」の魅力は強かったです。
もちろん「インタビュー」+「人の話を聞く旅」=「イン旅ュー」の力もあったとは思うんですけど、純粋に「海士町」の力が強かったです。

と、いうことで「イン旅ュー」!!!!!

まず、海士町でのインタビューは、こちらの記事の宮原さんはじめ、島の方たちに調整をお願いしました! 誠に誠にありがとうございます!!!!!

「宮原さんはじめ」という書き方がものすごくあいまいなのですが、「無名人インタビュー」に興味を持った人の集まりになっているので、なんというか、そういう書き方になってしまうのですよね。

島を散策していて、今回の企画と直接関係していない方からも「インタビューの人ですか?」と声を掛けられることもあって、誰が関与していて誰が関与していないか、と考えるのを途中から止めました。
たぶんこの島では、基本的に「みんなが関与している」から。

情報自体は、例えば下の記事に書かれた島独自の情報ポータルアプリ「あまとめ」や、島の回覧板、島のケーブルテレビ局での告知を通じて知っていただいていたようなのですが。
ともかくこの距離感は「東京」にはない感じでしたね。東京だって町の情報はばんばんあがっているのですが、そのほとんどに無関心です。自分には関係ないから。
でも、島の人にとっては、島で起きることは、きっと自分と関係あることなんだろうなと。

(アプリに興味を持った方、島外の方でも使用できますよ! 私は存在を知ったと同時にインストールしました。)

で! 海士町イン旅ューですが、
・大人8名
・高校生3名
・高校生グループ1(4名)
の計15名の方にご協力いただきました!
あらためてありがとうございます! ただいま鋭意編集中です!

インタビューの量的には、3人で15名、けっこうヘビーでした!
今回、3泊4日のうち、2日は移動日だったので、実質2日で15名のインタビューだったのですが。インタビュー場所からインタビュー場所への移動もあり、思ったよりも疲労ありましたね。
もっと人数を増やすのも可能なのですが、増やすとしたら、インタビュー場所を限定して、そこにインタビューを受けにきてもらう、という形式にするのがいいのかな、とか。
いやでも、ちょっと手間でも現地に行く、という不便さもまたイン旅ューの楽しさでもありましたかね。時間をたっぷり遣うのって贅沢ですから。

一方で、普段のカメラオフのZOOMオンラインインタビューがどれだけ楽にインタビューできるように設計されたものか、再確認する機会でもありました。
で、記事ですが、このマガジンをたどっていけば全部拾えるようにしておきますのでー!!!!!


通常の無名人インタビューと同様、インタビュー中のお写真はありませんので、
フェリーのチケットの画像をのせておきますね。

その土地に行かないでその土地の人の面白さなんてわかるはずない

さて、その「イン旅ュー」についてですが、控え目に言って、めちゃくちゃ良かったです。

当初、「無名人イン旅ュー」のコンセプトを、
「その土地に行かないでその土地の人の面白さなんてわかるはずない」
としていたんですが、これは、
「その土地の人の話を聞かないで、その土地の面白さなんてわかるはずない」
と書くべきだなと、東京に帰ってきてから思い直しました。
「その土地に行かないでその土地の人の面白さなんてわかるはずない。
その土地の人の話を聞かないで、その土地の面白さなんてわかるはずない」
ってことですね。
そりゃまあ、こう書いてしまえば当たり前のことだったんですが。人間なんて、環境の影響をもろに受ける生き物ですし。そして環境を変化させるのが人間ですし。
そうですね。今回の「無名人イン旅ュー」は、土地と人が相互に関連しあっていることを、インタビューを通して確認する作業でもあったのかな、とも思います。

例えばですね。
あるインタビューで、「隠岐神社の桜の下で小学一年生の入学祝で写真を撮った」話を聞いた後、隠岐神社に行ったんですけど。でも実はその時、もうそのエピソード忘れちゃってたんですね。
でも、隠岐神社に入って参道の脇に木がつらつら並んでいたのを見た瞬間、あーあのインタビュー参加者さんが話してくれた桜のところだ! って点と点がびゅん! って脳内でつながったんです。

2月なので桜は咲いていない。
でも思い出の風景になってしまった。

よく、旅先でも日常の休日でも、有名人が紹介したりテレビに出ていたお店に行ったりするじゃないですか。そこで、あーここがあのお店なんだな、なんて、聞いた話と目の前の風景を重ね合わせて思ったりする。
でも、この記憶の点と目の前の風景という点を結んで線にする感覚って、別に有名人やテレビ、雑誌に取りあげられた場所じゃなくっても、ぜんぜん良かったんですよね。
この、記憶と目の前の風景が、脳内でびゅん! って結ばれる感覚。びゅん感覚。
そこに知名度って関係ないんだなって。関心を寄せた相手からの情報であれば、このびゅん感覚は味わえる。そしてむしろ、このびゅん感覚は、普段住んでいるところから離れているほうが、その情報がほとんど見知らぬ誰かから得られたもののほうが、ありがたみがあるのかもしれないな、って。
自分の住んでいるところから13時間も離れた離島で、四方日本海に囲まれたただ中で、はい! インタビューしてください! って目の前に座っている人から聞いた話が、目の前の風景と、びゅん! って重なった時、脳汁出ました、びゅびゅん! って。
目の前の桜は、冬枯れで、オフシーズンの海士町には他に観光客なんていないのに。観光には決して適さない何気ない風景が、もしかしたら自分にとって生涯忘れえないものになったかもしれない瞬間。(こうなったらまた来て桜も見たくなるよねえ)
人が人に与える影響の強さ、強かさ、強靭さを感じました。
不思議なものですね人間って。

リアル対面インタビューの可能性

そして無名人インタビューとしては、今回の海士町無名人イン旅ューが、初めての計画的に行ったリアル対面インタビューでした。
過去に、偶発的に対面でのインタビューはありましたが、それ以外は基本的に、Zoomオンラインのカメラオフで60分インタビューするというものです。
した結果は、
・参加者の没入感にはそこまで影響しない(オンライン、カメラオフは没入感のための環境構築の一環でした)
・通常のコミュニケーションのように常に目を合わせたり、うなずいたりあんまりしない、と一言伝えておけば、日常的な感覚でいうぶっきらぼうさがあっても問題なさそう。
・とはいえインタビュアーはオンラインに比べやや疲れる
・文字起こしのための録音品質は、悪い。(ワイヤレスマイクをいれるかどうか)
といったあたりです。

おおすじ、問題ないな、というのが今回の収穫です。
いやまあ、このリアル対面インタビューに関しては、単に私がめんどくさがって進めてなかったというのもあるから。
ひとまず回数を重ねて、インタビュー技術の構築をしたかったんですよねえ。

イン旅ュアーズのチームワーク

さらに今回、あまり想定していなかったメリットとして、3人のインタビュアーで参加したので、チーム内で濃い振り返りがオンタイムでできた、というのがあります。
インタビュー前に、どういったインタビューにしようかといったイメージを話したり、ちょっと不安に感じていることなどをチームの中で言葉にするだけで、インタビューの方向性が固まったりリラックスしたりできます。
通常はオンラインで1対1で参加者に向き合っているわけですが、チームで挑むとこんなに変化があるんだなど。

インタビュー前の簡単な打ち合わせをブリーフィング、
インタビュー後の簡単な打ち合わせをデブリーフィングと言いますが、このセットの繰り返しによって良いフィードバックループが回るようですね。

2,海士町でご挨拶した方々

インタビュー以外にも、宮原さんのご紹介でご挨拶のお時間をいただいた方たちがいらっしゃいます。

海士町 吉元操 副町長

来島翌日に副町長の吉元操さんにご挨拶いたしました!
副町長、ありがとうございます!!!!!

島の役場!

副町長に無名人インタビューの概要説明を一通りした後で、高校生に島の人をインタビューしたら面白そうですよね、とお話したんですが。
実はすでに近い企画があるということを教えていただきました。「人生劇場」という名前の企画。
なんとnoteで読める! こちらです!

人の人生から学びを得る、という感覚はなんというか、人間の感覚として、けっこう原始的で素朴、かつ力強いものなんだと思ってます。
何かしらコラボしたいですねー!!!!!

そして。
吉元副町長についてですが、この海士町の現在に至る文脈で言うとですね。
まず始めに、海士町というところは、人口減少を様々な施策で食い止めている、地方創生界隈では有名な場所でございまして。例えば島の人口の20%が島の外部から来た人である、とか。
「平成の大合併」というのがこの日本ではあったんですが、例えば私の本籍地の田無市は無個性な西東京市という名前に変わりましたし、さいたま市、南アルプス市といった、ひらがなカタカナを使った市の名前になりました。まあ名前の変化は本質的なところではなくて、2000年代に、市町村の合併が推進された時期があったんです。理由は行政の効率化だったり財政の健全化だったりと。

そのときにですね、海士町は他と合併せずに一島一町を選んだんです。
そして当然、副町長はその決断の時代を知っている。そういう激動の時代の時から海士町の行政に携わっていた方、言ってしまえばレジェンドが、今もこうして役場にいること自体が、めちゃくちゃ熱いですよね。

もちろんね、こういう空気が合わない人もいると思いますよ。でも、自分の肌に合うか合わないかを判断する以前に、この空気を知っておく、ということがまずものすごく大事です。
一流を知らないとだめだよ、だから一流ホテルに泊まるんだ、一流のレストラン、一流のサービスを知るんだ、みたいな話と同じ意味合いで、海士町行っといたほうがいいよ、と思うんです。
いかん! また脱線した!

株式会社風と土と 阿部裕志 社長

海士町で出版社「風と土と」をされている阿部社長にご挨拶のお時間いただきました!
阿部社長、ありがとうございます!!!!!

阿部社長とは主に「聞く」ことについてお話しました。
阿部社長の過去の出版をたどっていくと、「聞く」ことが中心にあり、かなり無名人インタビューの活動内容と重なる部分がありまして。

特に印象的だったのが、「話を聞いているとその人の心臓に触った」感じがする、というところで。
自分もインタビューをしていて、必ずではないですが、やはりその人の心を直接触ったな、という感覚が確実にあって。そしてこういう感覚があった時は、インタビューに参加していただいた方も、感動していたりするんですよね。
(感動することを目的にインタビュウーしているわけではありませんが、この感覚があるからインタビューを止めていない、とも言える)

それで、この感覚は、インタビュアーが自分本位の質問ばかりしていると到達できないものです。
自分の知りたい知りたい欲求をぶつけてばっかりだと、心には触れないんですよ。自分を抑え、相手がどこへ行きたいのかをしっかりと見定めながらつかず離れずの位置を維持することで、このポイントにたどりつくことができます。
同じ感覚(のはず!)を共有している人に出会えて、感激しました。
まさかこんなところで! ねえ。
いや、これも必然なのかなあと。

3,島で気になった場所

島前高校(どうぜんこうこう)

「島前」で「どうぜん」と読みます。
驚きの、「島の外から来る生徒7:地元の生と3」の高校だそうです。特色しかない。
今回、この島前高校の高校生たちにインタビューしたのですが(大人の方にインタビューでも卒業生がいましたが)、とにかく熱気やばかったですね。
高校生でもこんなよどみなく、自分のしたいことを喋れるんだ、と思うと驚愕です。

お別れのとき、インタビューした高校生が見送りに来てくれました。

しかもこの高校生は別件でYahoo!ニュースにも出てました。
パワフルすぎる。

高校生インタビューは多くはないものの、経験はあったのですが、島の高校生たちは、群を抜いてお話がお上手でしたね。
ただ、この「話すのが上手い」は実は島の人に共通しているっぽい特徴みたいで。阿部社長の時に示唆いただいたんですが、たぶん外から取材や、外部から見られることが多いので、自然にそうなっていったのでは? というお話でした。
高校生インタビュー、公開の時にはお楽しみくださいませね!!!!!

隠岐國学習センター

隠岐國学習センターとはなんぞや? ということなんですが。

「隠岐島前高校と連携した公立塾です。「グローカル人材の育成」という島前高校と共通の目標を掲げ、ひとりひとりの進路実現を支援しています。

です!

インタビュー場所としてお借りしたのですが、なんかもう、塾って言うかインキュベーションオフィスみたいでしたね。
活気がある。
学生と、自分のスモールビジネスを立ちあげているような人が仲良く話している。上のほうで書いたファンミーティングの開催場所はキューズといって、東京、渋谷にあるインキュベーションオフィスというかスペースなんですが、そこもフロアの中央に広場みたいなエリアがあってかなり開放的だったんですが。
ふつうに隠岐國学習センターのほうがグレイトでしたね。
古民家をイノベーションした施設で、土間が玄関になっていてそこはそのままオープンスペースで、中は中でちょっと入り組んでたり、梁が見えるようになっていたり、面白みがありつつ、スペースもしっかり確保されていて居心地の良い空間になっています。
すごい。けっこうびっくりしました。おどろき。

そういう意味では、ここの海士マーレもすごく良かったですね。

やばい。

てか、ほとんど写真なくてすいません、ごめんなさい。
見に行ってくださいね。

4,無名人イン旅ューの今後について

2つあって。

1、まず、海士町でインタビューをなんらかの形で根付かせる。
これはチャレンジですね。今回お知り合いになった皆さまを通じてガッツしていきます。

2,そのほかの地域でもイン旅ューする。47都道府県制覇、世界制覇。
これもチャレンジですね。まあ、できるでしょう。てか、私、栗林、qbcだけがやるってわけじゃないので。チーム目標なので、たぶん、いけます。
軽くはないかもしれないけどね。行きます。

海士町ではセミナーも行いました!
想像してたよりも大きい場所をご用意いただき、ほんとにほんとにありがとうございました!

で、今回の無名人イン旅ュー@海士町で得た、個人的な結論があるのですが。

ひとつめ。

「Iターン者だろうがUターン者だろうが地元民だろうが、それ以前に人は人」

これは島から出て気づいたことなんですが、インタビュー前に、結構その人が島出身か、島外出身かってことを気にしてインタビューしていたな、と。

でも、それって変じゃない? と。
帰りの新幹線で、はたと思ったんですよね。

海士町は離島です。島根県からフェリーで、オフシーズンの冬場2月は、約3時間半かかります。
海士町は、隠岐諸島の一つである中ノ島にあります。
ありますというか、中ノ島全体が海士町です。一島一町です。
人口は約2300人。
面積は33.5平方キロメートル。(世田谷区は58.05平方キロメートル)
島出身か、それとも島以外の出身か。
離島でアクセスしにくい場所なんだから、内か外かを気にするのは自然なことだと思います。

でもね、私たちは無名人インタビューって名乗って、普段から有名であることと人の価値は関係ない、性別、国籍、人種、もちろん住んでる場所だってその人の価値とは関係ない、って言ってる私たち無名人インタビュアーズが、「島の内とか外か」って気にしてるのおかしくない??????
って!!!!!
もうほんと、どこから来たかなんて関係ないですよね。
だってその人はその人だから。
人は、何をしてたってその人ですよ、って。

うん。
息抜きに、今回のイン旅ュアーズの一人tokiさんのイラストをここに置いておきます。

そしてふたつめ。

「その土地に住みたいかどうかは、都会か田舎かで決めるんじゃない。自分が好きかどうかで決める」

住むところは、自分が好きかどうかで決める。
なんか、これは、言われたらめちゃくちゃ当たり前のことのように思えるんですけど。
これも、自分は案外わかってなかった。

海士町=離島=不便みたいなイメージが最初、思いこみとして自分の頭の中にあったんですよね。そのモードで島のもろもろを眺めていた。
でも、海士町って、不便っていうか、かなりいろいろあるんですよ。
まず湧き水があって、お米を作っていて、野菜も作ってるんですよ。で、牛もいてむしろ隠岐牛ブランドはおいしい。

うまい!!!!! うまい!!!!!

島なので魚もおいしいし。
特にサバがめちゃくちゃうまい。居酒屋でサバ鍋が出たのですが、サバ鍋初めて見ました。ぜんぜん臭くない。
コンビニはないけど、商店はあってぜんぜん困らない。外から来たもの、惣菜パンとかがちょっと高いくらいで。
夜、街頭ほとんどないから真っ暗で懐中電灯必須なんだけど。でもこれはもうどっちかと言うと良いところで。
海士町のコンセプトは「ないものはない」なんですけど、肌感覚としては、結構ある、あるっていうかむしろ豊か、でした。

そりゃー東京と比べたら、ないものたくさんあります。渋谷も原宿も三軒茶屋も海士町にはない。巣鴨も秋葉原も大手町もない。
でも、そんなの関係ないですよね。
だって違う場所だし。
そもそも東京が一位ってわけじゃないし。

海士町には、海士町独自の魅力があるから。
それは、先ほど挙げた食べ物の自給自足(しかも、もちろんおいしい!)や、人間関係の近さで。

そう、人間関係の近さ。
インタビューの中で、「あなたにとって海士町はどんなところですか?」という質問をしたんです。
その回答は、「学校」。
最初、学校みたいにいろいろ教えてくれるところなのかな、と思ったら。違って。
「噂話がすぐ広まったり、みんなの参加する行事があったり、人間関係が近い」んだと。

私qbcの感覚だと、なんかマンガの世界の学校がそのまんまリアルに再現されたところ、という感じです。
インタビューすると、綱引き大会の話がしょっちゅう出てくるとか、Facebookでサバが大漁だった画像があがると、目の前の人がその話をしだすとか。
つながってるんですよ。
つながってる。話が、世界が。

東京だったら、誰かのインスタストーリーで流れた出来事は、その人のフォロワーに伝わるのみで、あるいはまったく伝わらなかったりもして、たぶん、この島の中では、そういうのが少ないんじゃないかな。
東京は疎。疎で、小さな集団が小さな密を無数に作っていて、ひしめきあって競いあってる感じ。そのカオスも面白いと思うけど。

海士町には学校みたいな密な人間関係がある。そしてこの学校は、いっつも盛り上がってる。島で産業を作ろうとしていたり、島の人口を増やそうとしていたり。
島には綱引き大会やソフトボール大会があって、多くの人がそこに参加していたり。
海士町は、激しい、猛々しい、場所だと思う。

私は最初に海士町に「行け」「住め」って言ったけど、それはここがそういった、熱意や希望といった、人間くささのあるところだったから。
そこには成功と失敗があり、もちろん嫌な部分もあると思う。でも、それらが密に前に進んでいる生命力のるつぼ、行ってみたくない? 行って自分の目で確かめてみたくない?

例えばさ、日本で言ったら戦後のドサクサや、バブル期の六本木とかさ、私はもちろん行ったことない世代だけど、そういう場所に行ってみたくない?

私、東日本大震災後の5月くらいかな、吉里吉里という津波の被災地域にボランティアで行ったんですよね。体育館に寝ている人たちのために布団を支援物資として届けたんですけど(当時、布団屋だったんでね!)。
その時にそこの責任者っぽい人と話をして。
その人、60代くらいの男性だったんですけど、ぜんぜん被災で滅入ってなくて。めちゃ元気で(興奮でそうなっていたのかもしれないけれども)、沿岸でとれる蛎について、フランスから支援したいって連絡があったんだと口早に言っていて。
震災後の状況はともかく、その人は自分という世界の中心にいて、生きるためにその生命力をぎらつかせて動いていた。
その時の、その人の熱量に触れた感覚を思いだしました。

やばい。また長くなった。
これが推し自治体の力なのか。

だからね、東京と海士町、この二つの地域を、都会か田舎かって判断軸で眺めちゃいけないなって思って。
都会だから便利とか、田舎だから不便とかそういうのじゃなくて。
それぞれが違う魅力を持った、違う場所なんだから、同じ判断軸で見ちゃいけない。
(無名人インタビューでやっているように、ニュートラルに、その人をありのままに見つめるように。)

それで、「住む」となったら、自分がその土地が好きかどうかで判断するべきなんだと。
(短期間、島にいて学校行ったり働いたりできる島留学制度は、そういうお試し居住として天才的だと思う)

イン旅ュアーズの一人、ナカザワさんの撮った写真を置いてまた箸休めしておきましょう。

うつくしい海。

私、副町長に挨拶しに行った、って書いたじゃない?
その時に、「人生思い出づくり」って言葉をいわれたんですね。

で、その数時間後のインタビューで「副町長から人生思い出づくりって言葉を言われてさ」って話を聞いたんですよね。

ついでこのnoteでも見つけました。

なんかね、こういう人間関係の近さって、私初めてなのよね。初めてだから感動しているだけなのかな。
それとも、これが人間関係の距離として適切なものなのか。

と、東京生まれ東京育ちは考えたとさ。と。

今後の海士町関連記事と、無名人イン旅ューも楽しみにお待ちくださいませ!!!!!


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