見出し画像

人生思い出づくり

教師を辞めて文部科学省に入ったり、自ら志願して離島に出向したりと、経歴だけを見れば、私のことを挑戦に前向きな性格のように感じる人もいるかもしれません。
けれど、実態は全くの逆で、私は仕事もプライベートもできる限り平穏でいたいと願っていますし、波風を立てるのも嫌いで、日々の何気ない日常の中にこそ、変わらない大切なものがあると信じている人間です。
むしろ、学校の働き方改革が旅の出発点である私にとっては、挑戦やチャレンジ、改革といったキーワードに対して、ネガティブなイメージを持っていました。
平穏でいたい、波風を立てたくないという性格や何気ない日常にこそ変わらない大切なものがあるという考え方は、今でも変わっていません。
それでも、海士町での日々を通して、挑戦に対して持っていたネガティブなイメージだけは180度変わりました。
そのキッカケとなったのが、タイトルにある「人生思い出づくり」という言葉です。
この言葉は、島前高校魅力化プロジェクトを陰ながら支え続けてきた海士町の吉元操副町長(当時の財政課長)の口癖です。
吉元副町長が仲間と共に統廃合寸前の島前高校の魅力化を始めたときも、最初は批判の声の方が大きく、上手く行かないことの連続だったと話をしてくれます。
また、AMAワゴンというネーミングで島外の若者との交流イベントを立ち上げた時も、世代や文化のギャップもあって住民との間にたくさんの波風が立ったようです。
けれど、吉元副町長はそれらすべてを良い思い出だと楽しそうに語ってくれます。
人間はいつか死ぬのだから、その時までにたくさんの思い出を創ることが大切で、苦労したことや失敗したこと、それでも挑戦を続けた先にある小さな成功は、一生の思い出になるのだと。
当時の私が挑戦に対してネガティブだったのは、無意識に失敗したくない、批判されたくないと考えていたからだと思います。
でも、吉元副町長は、それが思い出になるのだと、挫折しそうになったり、困難な場面に直面したりしたときにこそ「人生思い出づく」と呟いて、むしろ楽しそうに気持ちを切り替えていく。その揺るぎない後ろ姿に、私は何度も勇気をもらいました。
そして、そんな挑戦に対する前向きな思想は、吉元副町長だけでなく島全体に流れているのです。若手の役場職員から住民まで。だからこそ、海士町は失敗を恐れずに、島全体でまちづくりの挑戦を続けることができているのです。
その視点で教育現場を振り返ったときに、文部科学省や教育委員会は学校と共にどんな挑戦ができているのだろうか教師と生徒は一生の思い出となるような挑戦ができているのだろうか、と考えずにはいられませんでした。
自分が最初に教師として赴任した中学校では、学年主任の先生が、新しいことや周囲から無理だと言われていることでも積極的に挑戦していく人だったので、真冬のフォークダンスだったり、修学旅行でのカラオケ大会だったりと、たくさんの思い出をつくることができように思います。
私自身も理科の授業で毎回(科学手品のような小ネタばかりでしたが)実験を取り入れようと試行錯誤したことやその時の生徒の反応は強く心に残っています。
それでも、海士町で挑戦することの意味を学んだ今、生徒にもっとたくさんの挑戦の機会を創ってあげられたと反省します。
何よりも、教育行政に携わる今の立場から「教師や生徒が思いっきり挑戦できる、一生の思い出づくりができる環境をつくることができているのだろうか」と自問自答したときに、まだやれること、やるべきことはあると感じています。

海士町がまちづくりの挑戦を続ける原動力には、人口減少や財政破綻などで「このままでは島が無人島になる」という強烈な危機感があります。そして、その危機感の源泉にあるのが「文化や伝統の継承」なのです。
何百年も前から受け継がれてきた祭や神楽などの文化や伝統を自分達の代で途絶えさせるわけにはいかない、そんな想いが挑戦の根底にはあります。
海士町役場から片道切符で第三セクターである株式会社ふるさと海士に出向し、漁師の所得向上や雇用創出のために、商品開発から販路開拓までを指揮する奥田和司ジェネラルマネージャーは、挑戦する意味を「変わらないために変わり続ける」と語ってくれます。
私が海士町で学んだこと、それは、学校もまた変わらないために、変わり続ける必要があるのだということです。
教師と児童生徒との信頼関係の上に築かれる学びの場や、子どもを守るためのセーフティーネットとしての役割、そのための教師と子ども達の何気ない日常、、、それらを変わらず未来に継承するために、変わり続けていくための挑戦をしていく。
それも、挑戦の過程でのたくさんの失敗や挫折も「人生思い出づくり」と考えて、教師と生徒が、文部科学省と教育委員会が、本当に変わらないものを守るために、協働しながら挑戦していき、そのプロセスをも教育活動に昇華していけるような学校であって欲しいと願っていますし、そんな環境を教育行政の立場からつくりたいと考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?