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【海士町】海士町の公務員の人

私qbcこと栗林は、東京生まれ、東京育ち。地方というものに縁遠いのですが。さらに離島というものにもかなり距離を感じているのですが。
無名人インタビューをしていて、思ったよりも離島関係のインタビューをしているんだなあと。

でも自分自身は行ったことがなくて。
いや、20代の頃に、伊豆大島に行ってますね。
遠かった。島の人に夜、車に乗せてもらって、ドライブしたな。
懐かしい。
また、そろそろ離島に行くタイミングなのかもしれない。
ということで無名人インタビューゴッ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

 今回ご参加いただいたのは 宮原 颯 さんです!


現在:仕事や働き方をデザインしていくようなことをやっています

ナカザワ:宮原さんは今何をされている方ですか。

宮原:今は島根県海士町の公務員をしています。仕事の内容としては、最近始まった特定地域づくり事業協同組合というものがあるんですけど、その事務局の業務を主に担当しています。

ナカザワ:具体的にどんなことをされているんですか。 

宮原:海士町は結構田舎というか、2300人ぐらいしか住人がいない土地なんです。
産業は結構あるんですが、どうしても通年で雇用することが難しい事業者さんが多いので、忙しい時期や忙しいタイミングだけを繋ぎ合わせて一つの仕事にするっていう制度になってます。

ナカザワ:閑散期と繁忙期があるっていうイメージですか。

宮原:そうです。離島なので、観光業だと夏場はめちゃくちゃ人が来るけど、冬は全く人が来ないとか、そういうお仕事もそうですし、あとは漁師さんも、イカ漁だと秋口から冬にかけては忙しいんだけれども、他の時期はそんなに人手がいらない方がいたり。
そういったニーズに合わせながら、働き方をデザインしていくようなことをやっています。

ナカザワ:なるほど。仕組みを作るとか支援するとか、そういったイメージなんですか。 

宮原:そうですね、どちらかというと実際に働く方と事業所の方を繋ぐ役割といいますか、コントロールするような役割を持っています。その方の特性もそうですし、やりたいこととか、やりたい暮らしのオーダーなどを聞いて、例えば勉強の時間が欲しいという方であれば、週4で40時間働けるようにしたりとか、いろんな調整の仕方をしていますね。

ナカザワ:どんな方が島での仕事を求めていらっしゃるんですか。

宮原:基本的には島の外の方、いわゆるIターンと呼ばれるような方々が組合の中でも100%を占めています。年齢層でいうと圧倒的に多いのが20代。20代が大体半分ぐらいで、30代の方も40代の方もいるっていうような組織の構成にはなっていますね。

ナカザワ:あ、なるほど。海士町で働きたいけど、通年雇用するわけじゃないからこそ、協同組合に入ってそこから派遣されるんですね。

宮原:そうですね。協同組合の方で無期雇用して、その無期雇用した方々をいろんな事業所さんに派遣するっていう感じですね。

ナカザワ:この取り組みは実際いつからやってらっしゃるんですか。

宮原:令和2年の6月4日に新しい法律(地域人口の急減に対処するための特定地域づくり事業の推進に関する法律)が施行されて、実際に組合が立ち上がったのが、同年の11月。なので今ちょうど3年ぐらい経ったことになりますね。

制度詳細↓

ナカザワ:宮原さんはその事業の立ち上げからいらっしゃるんですか。

宮原:立ち上げのときから関わらせていただいてます。
自分自身は役場に雇用されているんですけど、この制度自体が行政の補助が入る仕組みになってまして、行政側もお金を出す立場として関わらせてもらっているっていう感じですね。

ナカザワ:事業としてはイメージがついたんですけど、宮原さんご自身は普段のお仕事ではどんなことをされてるんですか。

宮原:立ち上げ当初は調整ばかりで事業所と職員を行ったり来たりずっとしていた感じでした。最近になってようやく事務局側の人間の層も厚くなってきたので、連絡調整する機会は減ってはいます。今は人が増えたら増えたで、やらないといけないこと、やりたいことに向けて、いろいろ考えてるって感じですね。

ナカザワ:設立当初とはちょっと違う状況なんですね。

宮原:そうですね。最初は派遣職員の方1名からスタートしたんですが、現状は16名、来年が25名~30名ぐらいまで増えそうなので、どんどんスケールしていってる状態ですね。スケールしたことによってやっぱりいろんな問題が出てくるので、それに都度都度対応しています。

ナカザワ:宮原さんがお仕事する中で今面白いなと思ってることや楽しいことはありますか。

宮原:組合のお話に限ったところでいきますと、まだ黎明期の制度なので、無限の可能性が広がってるといいますか、どんなことでもできますし、もっと言うと、国の法律をこちら側から変えていける、自分たちでやってる感がものすごくあると思いますね。

ナカザワ:なるほど。使いながら変えていけるものなんですね。 

宮原:最初は国会の政治家の方々が考えて、行政の方々がそれを書面に落とし込んで作ってくださってるんですけど、現場側から声を上げていって、制度に反映していくっていうのが、翌年度とか来年度ぐらいに実現しそうな感じなので、いいなと思いますね。

ナカザワ:ありがとうございます。お仕事の話はお聞きしたんですが、生活の中で、お仕事以外の趣味とか普段されてることはありますか。

宮原:インタビュー申し込みの際にも書かせていただいたんですけど、元々ダーツのプロやってて、最近、再加熱というか、練習するようになっていまして。

ナカザワ:へえ、ダーツですか。

宮原:あとは、公務員だけじゃなくて他のことでも副業のように稼げたらいいなと思いながら、いろいろ手を出してはやめて、みたいな感じですね。
カメラ買ったり音響の勉強したり。いろいろ手を出し、いろいろ中途半端になり。

ナカザワ:一度はまったものはどのくらい継続するものなんですか。

宮原:全体的にちまちまとはやるんですよ。でもがっつり継続してやっているというよりは、例えば月に1回どこかに写真撮りに行って、ツイッターでも上げるかみたいな。音響とかだと、イベントがあれば都度都度呼んでもらってやったりとか。細くやってる感じですね

ナカザワ:素朴な疑問なんですけど、ダーツをするには設備も必要だと思うんですけど、町内で練習されているんですか。

宮原:ダーツ自体も結構大衆化してきていて、家庭用の、練習ができるダーツボードも結構販売されてるんですよ。そのボードでオンライン対戦ができたりもするんです。

ナカザワ:なるほど、自分で家で投げて、点数をオンライン上で共有して。

宮原:そうですそうです。

過去:せっかくだからもうちょっとぶっ飛んだことでもやるかみたいな感じで、島に住もうと思って、海士町に流れ着いた

ナカザワ:今海士町に住んで仕事されてると思うんですけれども、そもそも出身はどちらですか。

宮原:福岡県の久留米市というところの出身です。それこそIターンですね。 

ナカザワ:小さい頃とかどんなお子さんだったか覚えてますか。

宮原:よく言われてたのは負けず嫌い。自分自身でもめちゃくちゃ自覚があります。

ナカザワ:人に言われるようになったのはいつぐらいのことですか。

宮原:小学校に入って、野球をやるようになってからそういうふうに言われるようになりましたね。周りの大人たちから。小学校と中学校の1年ぐらいまでは野球少年でした。

ナカザワ:中学1年生以降は野球以外のことをされてたんですか。

宮原:そこで初めてダーツが出てくるんですよ。
たまたま同級生のお父さんがいわゆるダーツバーとかにあるような機械を買ってて、誘われてやりだしたのがきっかけでした。その同級生、今もめちゃくちゃ仲がいいんですけど、最初はボコスカに倒されるわけですよ。そこで、「なんやこいつ、めっちゃむかつく」って思って、倒したろうと思って一生懸命やってました。

ナカザワ:野球をやらなくなったのはダーツをやり始めたからですか。

宮原:そうですね、ダーツをやりだして、野球はやめて。

ナカザワ:ダーツの方が野球より面白かったんですか。

宮原:なんていうんでしょう、個人がやった結果がそのまま個人に返ってくるところが結構ハマったのかなとは思います。

ナカザワ:それが中2。

宮原:そうですね、中学校2年生だったと思います。

ナカザワ:そこから部活を辞めてダーツをやり始めるにあたって、中学生のときはどんな思いでそちらを選んだんですか。

宮原:記憶が定かではないんですけど、普通に楽しかったということと、ちゃんと目の前に同級生っていう明確な目標が身近にあったっていうことが大きいんじゃないかなと思いますね。 

ナカザワ:ダーツに打ち込むようになってからは、ダーツ一直線な生活だったんですか。

宮原:当時はたくさんお金があったわけではないので、ゲームセンターで15分ぐらいやるような感じで、ダーツも細くやってたような感じでした。
高校に入ってからですかね。夏休みにめちゃくちゃバイトで稼ぎまくってしまいまして。それをもう全部ダーツに使っていたら、そのタイミングでめちゃくちゃ上手になっちゃって。上手になったら楽しくて、またずっと通い続けて。そのサイクルでダーツに完全に肩まで浸かって、気づいたら学校の単位が足りなくなっちゃったんですね。

ナカザワ:高校の単位ですか。

宮原:そうですね。 

ナカザワ:働いて、その分ダーツに。

宮原:そうですねもうほとんど使ってましたね。

ナカザワ:ダーツは練習をすること自体にお金が必要なんですか。

宮原:家庭用ダーツボードも、もちろんあるんですけど、当時はオンライン対戦とかはなくて。対人戦ができるような場所となるとどうしてもダーツバーとか、お金がかかる場所だけでした。

ナカザワ:最初に誘ってくださってそのご友人ともずっと一緒にやってたんですか。

宮原:その友人は私と同時期に高校に進学はしてるんですが、そのタイミングぐらいでもうほとんどやらなくなってはいましたね

ナカザワ:そこからは1人でその熱量を持ち続けてひたすらやってらっしゃったんですか。

宮原:そうですね。実は中学校のときにその同級生を倒せるようになったんですよ。当面の目標を達成しつつも、やっぱ楽しいなっていうので、やってましたねずっと。

ナカザワ:で、単位が足りなくなって、っていうところですね。単位が足りなくなって、そのときってまずどうしようと思ったんですか。

宮原:単位が足りなくなるっていうと、普通だったら徐々に足りなくなって、多分学校の先生から直接言われると思うんです。ただ当時、あまりにも急に学校に行かなくなってしまったので、全く気づくことなく母親に言われて気づいて。急だったので、「え、留年って本当にするんですね」みたいな。だったらもうダーツのプロになるので辞めます、と。

ナカザワ:それはいつ頃の話ですか。

宮原:高校1年生の、10月とか。少なくとも年越さないぐらいで留年は確定していましたね。
家庭科のような1週に1回しかないような授業は特に出席しないと単位が取れなくなっちゃうらしいんですけど、それにことごとく出席してなくて。家庭科で単位を落として留年しました。

ナカザワ:さっきおっしゃってたところだと、夏休みぐらいにお金をしっかり稼いでやるようになったっていうことで、短期間にダーツの方に入っていったように感じるんですけど、ダーツへの熱量みたいなのはそこで急に高まったんですか。

宮原:まさにその通りで、なんて言ったらいいんですかね。当時高校生なので、今でいうと大した金額じゃないとは思うんですけど、当時だと多分20万円ぐらいをひと月のバイト代で稼いで、何に使おう、と。それでお金もあるから、ダーツバーにもたくさん行けるな、ぐらいで考えてたんです。
でも実際やってみると、それまでの練習時間が足りなかったのかちょっとわからないんですけど、急に上手くなっちゃったので、全能感というか多幸感がめちゃくちゃあって。アドレナリンが出まくって、学校なんて行ってる場合じゃねえ、ぐらいの、一種の中毒みたいな感じでやってましたね。
学校行かずに練習して警官の方に何やってるのって言われたりとか。普通に学校の制服で真っ昼間からダーツしてたので。

ナカザワ:なるほど。

宮原:正式に退学したのは高1の年度末、3月に退学しました。

ナカザワ:実際その後はどうされたんですか。

宮原:当時プロになる年齢が20歳からだったので、17歳のときはもうひたすらバイトしながら、ずっとダーツをやっていました。その2年後にプロの年齢が18歳まで引き下げられたので、19歳のときにプロの資格を取って、大会にプロの大会に参加できるようになったんですね。
それで、プロダーツプレイヤーになったんです。でも、ダーツのプロ資格を取った時点でもう、私自身の実力の全盛期が終わってて、全然勝てなくなって。結局勝てないと、お金も稼げないわけで。どうしようかなって考えて、せっかくだからもうちょっとぶっ飛んだことでもやるかみたいな感じで、島に住もうと思って、この海士町に流れ着いたっていう感じですね。

ナカザワ:なるほど。まずプロになろうっていうタイミングでは、周りの方からはどんな反応がありましたか。

宮原:自分自身は何も考えていなくて、言ってしまえばその場しのぎの選択だったと思うんですよ。急に学校の単位が足りなくて留年が決まって、その場であんたどうすんのって母親に聞かれ、だったらプロになります、みたいな、本当にその場しのぎ。
周りの反応は、めっちゃ反対する人はそんなになくて、まあ、いいんじゃないぐらいの感じでしたかね。母親にも別にあんたがそう言うんだったら、わかりましたぐらいの感じでしたね。

ナカザワ:高校留年して続けるっていうよりは、その目の前にあるものに向けて進むような感じですかね。

宮原:そうですね。

ナカザワ:ダーツのプロっていうのはプロの大会に出られるっていう意味で合ってますか。

宮原:そうですね。イメージが正しいかどうかわからないですけど、麻雀のプロのようなイメージで、プロになるのは比較的簡単なんだけれども、プロになってから大会で勝つのが難しいっていう感じなんですね。野球のプロだとプロになってしまえば、それだけでお金がもらえると思うんですけど、そうではなくて、大会で勝つための資格を得る、という感じですね。

ナカザワ:なるほど。変な聞き方ですけど、やっぱり勝つ想定でプロになるものですか。

宮原:私の場合は勝てる見込みは全くなくて。一番ダーツが上手だったと個人的に思ってるのが18歳のとき。プロになる1年前でした。そこから逆に下手くそになっちゃっていたので、プロになったときは勝てるとは一切思ってなかったんです。

ナカザワ:なるほど。

宮原:なんていうんでしょう、今までやり続けてきた時間、高校辞めてまでやってきたことを自分自身でも否定したくないというか、続けるための口実というか。そういう思いで、プロを取った。っていう感じですね。

ナカザワ:ダーツは積み重ねていったらうまくなっていくものではないんですか。

宮原:もちろん練習量も必要だとは思うんですけど、どちらかというと精神的なものの方が大きいんです。一応、ダーツ界の一般常識として、ダーツは究極のメンタルスポーツと言われていて。

ナカザワ:なるほど。

宮原:精神状態一つで、その日の調子が違ったりとか、大会で勝てる勝てないが変わってくるっていうことが結構あるんですね。
18歳のときまではもうガンガンイケイケで、誰が相手でも勝てる。という感じだったんですけど、私の場合は、突如ダーツがダーツボードにに届かなくなることがあって。今まで普通に届いてたのに。2m半ぐらいしかない、実質的には2mぐらいしかないんですけど、その距離が届かない。そこから調子が落ちるのは早かったですね。

ナカザワ:プロ資格を取ってプロだった期間は実際どのぐらいでしたか。

宮原:ライセンスを持っていた期間でいうと1年。ライセンスを更新すれば、引き続き資格を持った状態でいけるんですけど、それ以降は実力的に勝てないこともわかりきっていたので、これは更新する必要性とか意味はないだろうということで、更新せず、1年だけプロとして活動していました。

ナカザワ:その後でもっとぶっ飛んだことをしようってことで島に行くと思うんですけど、「ぶっ飛んだこと」が「島に行く」だったのは、なぜですか。

宮原:よく聞かれるんですけどどう答えたらいいかわからなくて、自分でも。そんなに何も考えてなくて。島に行こうかな、ぐらいだったんですよ。
例えば、そろそろお酒が飲めるような年齢にもなるので島のおっちゃんたちとわいわいいいながら、何かそれっぽいことできたら楽しそうだなぐらいの感覚で。

ナカザワ:うんうん。

宮原:割と何も考えてなくて、なんで島にしたのかっていうの自体はですね、自分の中でも言語化ができてないんです。

ナカザワ:何かやり遂げたいとか、そういうビジョンがあるっていうものではなかったんですね。

宮原:そうですね。そういう暮らしができたらいいな、ぐらいの感覚だと思います。島で一旗揚げるぜみたいなことは何も思っていなかったです。

ナカザワ:そもそも海士町に住むとか島に住むっていう選択肢は、元々持ってたんですか? 

宮原:全くルーツもないですし、そういう場所に住んでいる知り合いがいるわけではなくて。離島との繋がりとかで言ったら、『Dr.コトー診療所』を読んだことがある、ぐらいしかない。私の当時の離島観はもう『Dr.コトー診療所』に出てくるあの風景だったんです。

ナカザワ:なるほど。そもそもプロを続けるかどうか、っていう選択があったり、その後どう過ごそうかなとかっていう思いがあった状況で、島暮らしという選択肢が出てきたのは不思議な感じがしますけどご自身としてはどうですか。

宮原:なんでそう思ったんだろうな、とはやっぱり自分でも思うんですよね。多分いろんな要因があるとは思うんです。深層心理的に。
例えば、島に行こうって思った年齢が20歳とか19歳とかだったと思うので、高校卒業して就職する友達が出てきたりとか、大学でこんなことやってる、みたいな友達がいたりとか。それを見て、自分も何かやらないといけない、何者かにならないといけない、このままでいいんだろうかみたいな思いはあったと思います。

ナカザワ:実際島に行こうと決めて島暮らしを始めたのはいつですか。

宮原:22歳、大学生だったら4回生の年齢ですね。
島に住むといっても、さすがにダーツプロで島に行くわけにいかないので、何かしらの仕事はやらないといけない。それで仕事の情報を探してたんですけど、特にやりたいことがあるわけでもないし、工業高校に通ってたとはいえ、半年ぐらいしか行ってないので大した技能があるわけでもない。何があるんだろうと思って探していたんですけど、よくよく考えてみると、公務員だったらどの島でもあるんじゃないか、と。

ナカザワ:なるほど。

宮原:そして安易に、島に行きたいので島の公務員になろうって決めて、公務員の専門学校に行って、いろんな島の採用試験を受けて、採用されたのが海士町だったんです。
なので他の島とかに採用されてたら多分今海士町にいなかったでしょうし、それそのものも失敗してたら、路頭に迷ってたのかもしれないですし。 

ナカザワ:仕事の一つとしての公務員だったんですね。

宮原:そうですね。

ナカザワ:実際島に行ってみて、やってみたかった暮らしはできたんですか。

宮原:そうですね、結構地元のおっちゃんたちと一緒にいろんなことをやる機会は多いなと思いますね。

ナカザワ:公務員としてはこれまでどんな仕事をされてきたんですか。

宮原:いろいろやらせていただいてるんですけど、最初は総務課で消防のお仕事をやらせていただいて、次の配置換えでは環境整備課でゴミ処理や公衆衛生の関係とか、林業の関係のお仕事をさせていただいたりですとか。
あとは、イベントの担当、観光のお仕事も少しさせていただいたりとか、いろんなことをやらせていただいてるなという感じです。

ナカザワ:ダーツのプロからの転職って相当な変化だと思うんですけど、その中で、どういう点で島に住んでよかったなみたいなことを感じましたか。

宮原:自分で言うと恥ずかしいですが、最初はもちろん合うかどうか全くわかんない状態で島に急に飛び込んだわけなんですけど、結構性には合っているなと思っています。地元のおっちゃんたちと話したりするのも好きですし、急にイベントに駆り立てられて慌ただしく動いてるとかも結構好きですし。
逆に、よく皆さんが想像しているようなスローライフとかそういう島ではなかったので、逆にそれがよかったのかなと。ずっといろんな役割が回ってくるというか、与えてくれるので、結構合ってるなとは思いますね。

ナカザワ:今何年目ですか。

宮原:今年で6年目になりますね。

ナカザワ:あ、本当に仕事の入れ替わりが激しいんですね。

宮原:そうですね。組合の立ち上げに関わるようになってからは異動していないんですけど、それまでは毎年異動していました。

ナカザワ:なるほど。普通そんなに異動するものなんですかね。

宮原:基本的には2年とか3年ぐらいで異動するよっていうことだったので、毎年異動するとか聞いてないんだけどみたいな感じでしたね。

ナカザワ:それは予想とは違ったところですか。

宮原:全然予想とは違いました。

未来:お金ではない、共感とか、おすそ分けが可視化される通貨が地域から出てきたら面白いんじゃないか

ナカザワ:ありがとうございます。今後、宮原さんが町でやりたいことや、将来携わってみたいものはありますか。

宮原:町でやりたいことでもあるんですけど、もっと大きく言うと、日本円から解放されたいなっていうのはずっと思っていて。
島って結構閉鎖的なコミュニティというか、人がめちゃくちゃ近いコミュニティなんですね。おすそ分けがあったりとか、何かやってもらったらそれを物で返してあげるとかっていう経済が普通にあるんです。であれば、別に日本円がなくてもいけるんじゃないかと漠然と思っていて。
お金はもちろん大事ですけど、お金ではない、新しい、共感とか、おすそ分けが可視化される通貨といいますか、そういうものが地域から出てきたら面白そうだなと最近はずっと思ってますね。

ナカザワ:なるほど。

宮原:行政の側からなのか、はたまたそういうことをやりたいと思ってるベンチャーなのかわからないですけど、そういう方たちと一緒にやってみたいなと思っています。

ナカザワ:おすそ分けで生活できてる部分は実際あるんですか。

宮原:さすがにおすそ分けだけだと生活はできないんですけど、海士町の中でも地域通貨があるので、少なくとも日本円がなくても生活ができる素地はでき上がっていると思います。それを流通させるような仕組みというか、流通させてかつそれを他の地域にもスケールしていくっていうことがないので、それができると、地域、地方の唯一無二の価値になっていくんじゃないかなと、最近ずっと思っていますね。

ナカザワ:想定されているのは普通の地域通貨とも違うんですね。

宮原:そうですね、現状の地域通貨だと、円と等価交換。めちゃくちゃ不便なんですよ。デジタルも発展してきてるので紙の通貨をデジタルにしていくっていうのも大事だと思いますし、レートが変動するとかも面白いなと思うし。
例えば、死んでいく通貨って言うらしいんですけど、有効期限がついてるものだったり、誰かにもらった通貨をおすそ分けして初めて使えるようになるものであったり、いろんなことができるなと思っていて。そういうことは日本円にはできないですよね。

ナカザワ:うんうん。

宮原:正直、離島ではたくさんお金を持っててもしょうがないんですよ。使う場所もないし。だから稼げば稼ぐほど、島の外にお金がどんどん出ていっちゃう。これって多分本末転倒というか、あんまり意味がない。
そうであれば、共感とかそういうものが見える通貨で、こういう言葉はあんまり使いたくないんですけど、ウェルビーイングにつながっていけばいいのかなと思っています。

ナカザワ:なるほど、お金にまつわる感覚は島に住む前と後では変わりましたか。

宮原:多分、島に来る前からお金に対する価値観はあまり変わってないです。ちょっと言い方は難しいんですけど、結構お金に対して、緩いというか寛大なところももちろんあると自覚はしつつ、一方でシビアな部分も見てきた自覚はあって。
ダーツのプロをやってたとき、ダーツショップで働いてた時期があったんです。当時19歳とか。
ダーツのプロはツアーがあるので、全国に行かないといけないんですね。大会に出ようと思ったら旅費がかかる。それを出してあげるからうちおいでよって言ってくれた会社が、実際は一銭もお金をくれなくて、実力ないから出さないよって言われたりとか、めちゃくちゃ労働環境が悪かったりとか。そういう経験から、お金に対しては結構、思うところはあって。
それがこの島に来て、なるほどこういうものがあれば、自分自身ももっと気持ちよくお金を使えるなと思えるようになったというか。元々そういう感覚はあったんだろうけども、それが磨かれる時間があったのかもしれないです。

ナカザワ:その活動も、基本的には海士町から発信していくイメージですか。それともいろんな場所に自分自身がこれから行ったりする可能性もあるんですか。

宮原:そうですね、全然どちらもあると思ってはいます。
「日本円から解放されたい」とか言うと、大体の人たちは何言ってんのっていう反応になるので、同じことを考えてる人と出会ってみたい、今はそれが一番大きいですかね。

ナカザワ:うーん。確かに、どういうところから始めたらいいんでしょうね。

宮原:そうなんですよ。そこがめちゃくちゃ難しくて。未来がこうなったらいいなっていうのはあるんです。そのビジョンはあれど、無知が故に、戦略というかプロセスがわからなくて。

ナカザワ:そういう意味も込めてやっぱりまずは同じ思いを抱える人と出会いたいと。

宮原:そうですね、同じ感覚とか、日本円はいらないんじゃないかと思ってる方、法定通貨じゃないものの重要性というか、そういうのをものすごく考えてる人とかとお話してみたいですね。

ナカザワ:普段の仕事もかかわっていきそうですか。

宮原:もちろんそれもあると思っています。どこから始めるかってことでもいうと、例えばですけど社内通貨から始めてみるとか。
複業協同組合はいろんな事業所が合わさって一つの組合になってるので、そこで職員の方たちに社内通貨を配れば、事業所の方々はそれを欲しがるわけじゃないですか。売り上げに繋がると言ったらあれですけど。なので、そういう流れでスケールできていくんじゃないかと考えてはいるんですけど、もっと詳しい、もっと説得力を持った資料が作れればいいんですけど、なかなか伝えられなくて。1人でやるのも限界があるなと思っていまして。

ナカザワ:なるほど、たしかに取っ掛かりはいろいろ考えられそうですね。

宮原:そうですね、取っ掛かりはめちゃくちゃあるなとは思ってます。社内通貨もそうですし、今まで身を置いていたダーツ界のお話でいくと、ダーツPayみたいなのがあってもいいんじゃないかと思ったりとか。

ナカザワ:うんうん。

宮原:いろんな方面で、日本円に変わるような仕組みを考えたらいいなと思いながら。

ナカザワ:なるほど。そういう言葉が出てくるとは思いませんでした。

宮原:結構突拍子もないことを言ってしまったんですけど。

ナカザワ:いえいえ。
ちょっと話が戻ってしまうかもしれないんですけど、島に行きたいと思った際に理想としていた暮らしっていうのは、具体的にどんなものだったのかやっぱり気になっていて、今のライフスタイルについては率直にどのような認識をされていますか。

宮原:最近、いろんな性格診断とかあるじゃないですか。そういったものをやる中でわかったのが、負けず嫌いっていうことに加えて、めっちゃ目立ちたがり屋なんですよ。その目立ちたがり屋な部分が、こういう小さいコミュニティの島だと満たされるんです。いろんな出番が回ってくるので。それはめちゃくちゃ大きいと思います。
私自身が東京に行って、従業員が1000人とかいるような大きい会社に入ったら、すぐ辞めちゃうんじゃないかなって。
それを島に行こうと思った当時に想定していたかっていうと多分違うんですけど、島に来てみて、そういう性格の側面も含めて考えると、負けず嫌いの部分は島だと満たされないんですけど、目指ちたがり屋の部分はめちゃくちゃ満たされているなと思いますね。

ナカザワ:なるほど。

宮原:島だと結構、みんな平等とかみんな同じとかっていうことが重んじられるんですね。比較的海士町は緩い方というか、出る杭は打たれない方ではあると思うんですけど、田舎はそういう側面がどうしてもあるので、目指ちたがり屋な部分と、負けず嫌いの部分が同時に生きるような土地があれば、それはそれで行ってみたいなと思います。
なので今後町に住み続けないんだとすれば、さっき言ってた二つの軸が自分の中で満たされるような場所とか組織とか地域に行きたいなとは思いますね。

ナカザワ:ありがとうございます。何か話し足りなかったこととか、最後に言いたいことがあればお願いします。

宮原:先ほど言った通り、日本円から脱却したい方がいらっしゃれば、ぜひ一度お話をさせていただければなと思います。

ナカザワ:確かにつながりができるといいですね。ありがとうございます。

あとがき

島根県隠岐郡海士町(あまちょう)。人口減少、少子高齢化による課題の先進地であり、その状況からまちづくりの先進地域になった大変有名なまちです。
「ないものはない」、つまり「なくてもいい」と「すべてがここにある」というキャッチフレーズが有名で、廃校寸前の島内の高校の再生をはじめ様々な先進事例があります。
宮原さんが事務局を務める海士町複業協同組合もそのひとつ。
まちづくりに日々かかわる私にとっても海士町は特別な場所で、無名人インタビューを通して聞くことができるなんて、こんなにうれしいことはありません。(もちろん、他の参加者の皆さんと同様、お申し込みをいただいたうえでのインタビューです)(そのことがなおさらうれしい)
一方、矛盾するような言い分ですが、
まちづくり先進事例に対するインタビューとなるとやはりその人が何をしたか、その人がまちにとってどんなヒーローだったのか、という話になりがちです。それで本当にまちづくりの正しい姿を伝えられているのかというと、疑問も持っていたところでした。まちづくりという複雑なフィールドでは、ヒーローがいれば課題が解決するというものではありません。今回、宮原さんという一人の人間にフォーカスしてお話を聞くことができたのは非常に面白かったなと思います。
というわけで、法定通貨にかわる新たな価値基準の創造でしたり、そもそも通貨による価値の作られ方についてのご意見などある方はぜひご連絡ください。私もお話してみたいです。

【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】

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