Underdog52

人間50年、無駄に生きてるような… 現在52歳バツイチのおじさんです。今ここに『半生を…

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人間50年、無駄に生きてるような… 現在52歳バツイチのおじさんです。今ここに『半生を反省するブログ』です。チャレンジから逃げていた半生と対峙し、残りの半生をなんとか良いものにしようとする負け犬人生からの逆転を狙い未来を良くする為のブログです。

最近の記事

修学旅行と人魂

小学生の時の修学旅行 隣の県のお城や観光地を巡り少し遅くに、ホテルに着きました。 辺りはすっかり暗くなっていました。 ホテルに到着しご飯、お風呂を済ませ割り当ての部屋へその頃仲の良い友達と3〜4人で和室に泊まりでした。 もちろん布団を敷くタイプですので、恒例の枕投げなどをし遊びきったら床につきます。 少し眠くなりうとうとしながら、布団に入りながら友達と話していました。 寝ぼけ眼のせいか、壁のいわゆる欄間のある辺りに何やらゆらゆらと灯りが見えます。 私は友達に

    • 子供の頃好きだったもの(原点)

      昔の事を思い出していくと、何が好きでどういう理由だったかを遥かな時を経過して気がつかされる事があります。 小学生の頃から私は、プラモデルを作るのが好きでした。まさしくガンダム世代、いわゆるガンプラです。 その後は、バイク🏍️のプラモ、車🚗のプラモと作るのですが… バイクは、モリワキのマフラーやタケヤリをえんぴつを削り出して塗装し自作してました。 雑誌などを参考に自分で鉛筆を削り出し、プラ板をカットし貼り付ける。 こういう事に没頭します。 そう私の原点、好きなこと

      • ロマンスの詐欺様

        絶コォーちょぉー、真冬の恋❤️、スピードに乗っぉてぇー🚗 って具合に話は変わりまして 過去の事ではなく 現在2023年6月の事を書きます。 これは世間へ注意喚起というか、こんな事をやってる輩がいるという事を記しておきます。 インスタグラムにDMよこす人で、あたかも素敵な写真ですね?などとメッセージを送ってきて返信あれば何度かやり取りしLINEに誘導する奴がいます。 面白さ半分でLINEでやりとりし、あたかも日常的なメッセージをしばらくし仲良くなります。 そしてプラ

        • バイクが好きになる(リスクとは)

          ちょっと記憶は飛んで中学生の頃、好きになったものの一つにバイクがありました。 時代的にも、TVでレース中継などもあり盛り上がっていた時代です。 分かる人には分かる、平忠彦 TECK21、水谷勝 Walter wolf、ヨシムラ、モリワキ🏍️ エディ・ローソン、ケニー・ロバーツ その時代です。 今検索したらチョーカッコいい😎 バイク欲しくなりました。 その影響で、中学生時代はチャリンコで、 近くの山に頑張ってチャリを押して登り 下りで峠を攻める❗️そんな事をしてお

        修学旅行と人魂

          記憶のかなた、冬のどなた?

          私は寒いのが嫌いです、苦手です。 北の生まれ北の育ちですけど。 小学生の冬の頃は、家ではこたつにストーブ、いわゆるちゃんちゃんこで身を固めて宿題をしていました。 当時は雪❄️も降りましたので、家の前の雪かきもしなくてはなりませんでした。 また暖房に灯油ストーブを使う地域でしたので、暖かい部屋から外に出て、灯油の大型タンクからストーブの灯油缶に移す作業、これが特に寒いと🥶感じました。 当時は、母親に付いていって手伝ったような記憶があります。 また近くの小さな川なども凍

          記憶のかなた、冬のどなた?

          愛はワンコと共に

          半ば強引に子犬を連れて帰った小学生の私。 犬なんて飼えないと、頑なに嫌がる母親。 親子での葛藤の末、外でなら飼ってもいいという事で粘り勝ち💪 何とか家で子犬🐶を飼えることに、まぁ母親も犬が嫌いな訳ではなく、 子供二人の面倒と生活費を稼ぐのが精一杯なので、犬なんて飼えないが本音。 今ではドッグフードとかを与えるんでしょうが、昭和50年代ですのでごはんのあまりをわんちゃんに与えてました。 そして母親が大工さんに作ってもらった犬小屋もできたので外で番犬として活躍してもらい

          愛はワンコと共に

          さらにお引越し

          過去を思い返し記憶を遡りながらブログを書いています。 小学生時代には、さらにボロ屋に引っ越します。確か小学3、4年の頃だと思います。 これも母親の実家に近い所で、こちらも農家さんが以前に使っていた家でした。 母屋と離れになった農機具がおける小屋があり、その小屋の裏にトイレがある家です。 そうです、トイレが外のパターンです。 こちらの家は、より土間から和室に上がる高さがありました。居間の和室からに続いて三室あるタイプの平家のお家です。 居間から奥にキッチン、お風呂があ

          さらにお引越し

          小学校生時代と現在の心境

          そうして再度の父親が逃避生活を送り 私たちは母子生活を送ることに。 もともと父親がいる記憶がほとんどないので、それに違和感はなくこれが当たり前という感じでした。 小学の低学年では近くの田畑でバッタを取ったり近所の友達と遊び、UFO研究会や料理研究会を作るもののどちらも各1回ずつの活動で終わったり(笑)と色んな事に興味はあったんだと思います。 ただ人に対しては好き嫌いが強く、苦手な人には近づかなったり自ら積極的に人と絡むのはなかったのだと思います。 この家では、家庭環境

          小学校生時代と現在の心境

          ちょ〜男もつらいよ

          母親の実家近くに戻ってきた、私たち家族。 家は、古い二階建ての借家でした。 玄関を入ると、土間今思えば10畳位あるでしょうか?元々農家さんのご自宅だと思いました。 土間から小上がりで、和室の居間にお風呂、トイレ、2階に和室が2部屋だったと思います。 転校生として、やってきた小学校は歩いて行ける所にあり転校してからは、また僅かですが仲の良い友達もでき母親の実家にいる、いとこ達とも年が近くいつも遊べる存在となりました。 田舎なので、時代性もありますが、遊びといえばザリガ

          ちょ〜男もつらいよ

          ばっくとぅーざ東北

          なんとか学校生活を始めたわたし、その後クラスメイトとは可もなく不可もなく過ごしていたようで、特にこれと言って思い出す事もありません。 近所で遊んでもらった友達や北海道では雪まつりやクマ牧場などに連れて行ったもらった記憶がかすかに残っています。 この頃私は、やはり人に対して積極的にはなれず自分から話しかけたりするのは苦手な子供でした。 そして北海道にきて2年ぐらいでしょうか、またもや転機が訪れます。 学校に慣れたか慣れないかのタイミングで、小学1年生にして転校となるので

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          小学校への入学

          北海道での生活は、小学校へ入学する前の私は相変わらず家での勉強とたまに弟や近所の子供達と遊んだりという生活のようで、覚えているのは冬に借家の横に作ってもらった雪の滑り台🛝で遊んだこと。 この頃母親は、近所に頼れる人もいなかったので どこかのパートで働き私を家において生活費を稼いでいたんだと思います。 その頃の父親がどこにいて、何をしてるのか?は全く知る由もありませんでした。 そんなこんなで、いよいよ小学校に入学となりました。幼少の頃から周りに同年代の子供達と接していない

          小学校への入学

          北の大地

          次に記憶があるのは、北海道の港湾都市です。 そこでの記憶には、私と母親と弟の3人家族の記憶です。 父親との記憶は、ほぼ皆無です。 なぜなのか、その当時は理由が分かりませんでした。 そこで、私は小学校に入学するまでを過ごすのでした。 当時の私は、母親一人だった為、幼稚園や保育園には通えず家で母親から本やドリルを渡され一人家で自習していました。 今思うと、幼少の頃に人と関わるのが苦手になった要因がここにあるような気がします。同じ年代の子供達とケンカしたり遊んだりを私は

          北の大地

          島と住職と私

          生後、周りが360度海に囲まれた島で育った自分 お寺でお経を聞いたり、近所の子供と遊んだりしていたようです。 私には3歳下の弟がおり弟もこの島で生まれ育ちました。 当時お寺の仕事とは別に、島の港付近で商店を営んでいたそうです。 これは私が大きくなってから聞いたことなのですが、当時このお店用の車がありその運転席に確か4・5歳の私が座り遊んでいたところ、車が発信し海に突っ込みそうになったそうです。 当時バンだったのでコラム式シフトで、サイドブレーキがかかっておらず多分遊ん

          島と住職と私

          生誕

          私は東北の田舎、本土から少し離れた離島で昭和45年に生を受けました。 両親は、お互い東北人で、二人のなれそめはお見合いだったそうです。 当時両親は、結婚をし親戚で世継ぎのいない離島のお寺の住職の跡を継ぐ為に、お寺兼住居の親戚の家に住んでいたそうです。 そこで私は、産まれたのでした。 住職である叔父と叔母夫婦は子供がいなかったので、ひと際私をとても可愛がってくれたそうです。 その島での生活は、遠い記憶となりいまやあまり記憶に残っているのが少ないのですが、お寺の座敷であ

          序章

          私は現在52歳のバツイチ男性です。 今まで特に可もなく不可もなく目標ばかりを高く掲げ、しかしさしたる成果もなくただダラダラと生きています。 50代ともなると人生の折り返し地点を過ぎ余生をどう過ごそうかなんて思う方も多いのではないでしょうか? 現在貯蓄なし、家と車はあれどローンもある。 40歳の時に裁判で離婚、そこから11年間女性と付き合わずに生きてきました。 変化しなくてはいけない、そう思いつつ ただ楽な現状に甘え未来を本気で変えようとしてこなかった事を今更ながら