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小学校への入学

北海道での生活は、小学校へ入学する前の私は相変わらず家での勉強とたまに弟や近所の子供達と遊んだりという生活のようで、覚えているのは冬に借家の横に作ってもらった雪の滑り台🛝で遊んだこと。

この頃母親は、近所に頼れる人もいなかったので
どこかのパートで働き私を家において生活費を稼いでいたんだと思います。

その頃の父親がどこにいて、何をしてるのか?は全く知る由もありませんでした。

そんなこんなで、いよいよ小学校に入学となりました。幼少の頃から周りに同年代の子供達と接していない私、不安とワクワクだったんだと思います。

入学式は、人並みの格好とランドセルを背負い母親と参加できたようです。

いざ学校生活が始まると、元々私の母親は子供が男の子二人だった為か、余計に女の子が欲しかったらしく、弟は幼少の頃、女の子のような髪型をさせられたりとしていました。👧

その影響なのか、ある時私はピンクのズボン👖を履かされ登校させられたのでした。

時は昭和50年代です。

ランドセルも、もちろん黒か赤しかない時代です。

周りの子供達と接触が少なかった私は、何の疑問もなく親にあてがわられた服で登校します。

すると、まわりの反応が凄い!

「えー😱男なのに、ピンクのズボン履いてるよ!」

と周りの男の子にからかわれ、指を指されあざ笑われたのでした。

私の頭の中は、「???」

周りの子供達と多く接してないわたしには、周りの常識というのが理解出来なかったのです。


日本の良いところでもあり、逆に悪いところでもある。

周りと、一緒が正しい

という常識に苦しまされる第一歩になったのではないかと思います。

その時、私は多分泣きは、しなかったものの
とても強い違和感を感じたのは、間違いないと思います。


今も続く私の性格…

【人と違っていたい!】

でも違いを出すと

【日本では生きにくい!】

この狭間を行ったり来たりする人生を送るなんて思ってもいなかったことでしょう🤨

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