記事一覧
| リサーチ日記 | 橋としての箸
現在探求中のテーマの一つが「箸(と食具)」だ。
人間がつくる道具の中でも、食にまつわる道具だし、かなり必需品に近い機能性重視の生活道具なのでは?と思っていたが、実はそんなことはない。
なぜなら最もシンプルで機能的な食べ方は「手食と口食」だから。わざわざ箸やスプーンやフォークなど、めんどくさい道具を作らなくても、食べることができる。考えてみれば、お寿司や饅頭など、日本でも手で食べても良いとされる
| リサーチ日記 | 文様とはなにか。
ずっと調べなきゃと思いながら、滞っていた数々のテーマがある。
最近あらためて認識した自分の特性として、こうして何かしらのテーマを定めて調べて文章にしないと身にならないことをつくづく感じたので、せっかくだからリサーチ日記として記録を残してみることにした。
第一回目のテーマは「文様」。うなぎの寝床にきて久留米絣と出会ってから、なぜここまでの手間をかけてわざわざ柄を生み出すのだろうか、と思ってきた。
「新たな創業」という気持ちで継いでいく / 久留米絣の織元シリーズ@丸亀絣織物
8回目の開催となった久留米絣を体感するイベント「もんぺ博覧会」。うなぎの寝床のオリジナルのMONPEだけではなく、さまざまな久留米絣の織元さんのもんぺがずらっと見られる年に一度のイベントになっています。
そんな中、ハーフパンツやサルエルパンツなど、毎年新たな形や柄などを提案し、独特な大柄やドキっとするような色でも固定ファンの多い織元が「丸亀絣織物」さんです。
4代目の丸山重徳さんから、息子さん
織元たるもの、生地を作ってなんぼ / 久留米絣の織元シリーズ@野村織物
福岡県南部の筑後地域では、約200年前から「久留米絣」という綿織物が作られてきました。ときには普段着の着物用の生地として、ときには嫁入り道具でもあった布団の生地として、ときには農作業着のもんぺの生地として。時代に合わせて変化し続けてきた織物です。
しかし最盛期には300件あったといわれる織元も、時代の流れで減少を続け、現在では26件ほどが久留米絣の織元として残っています。
激しい時代の変化の中
竹細工職人として選んだ生き方 / 九州ちくごの作り手⑪石田淳・長岡由記
いわゆる伝統工芸の職人というと、家業を継いで、家族でやっているようなイメージが強いのではないでしょうか?
しかし実際には、まったく縁のない育ちながらも、職人としての道を志したり、違う職種から転職したりする人も少なくありません。
最近では大学の中に染織・工芸コースがあったり、博多織や有田焼や別府竹細工など、産地に職人の養成学校があったりと、職人としての技術を学ぶ入り口が数多く準備されています。
家業に見つけた「やりがいのある仕事」/ 九州ちくごの作り手⑨筑前津屋崎人形巧房
いわゆる「職人」という仕事に対してのイメージというのは、この数十年の間でも大きく変化してきているのではないでしょうか。
取材先の様々なジャンルの職人さんからよく聞くのは「子供には継がせるつもりはなかった」とか「子供の頃は継ぎたいと思ったことはなかった」という言葉。どんどん日本が経済的に豊かになり、発展していく過程で、昔ながらの職人というのは後進的なものに見えていったのでしょう。
私は小学生の頃
木と向き合う人たちが持つ、不思議な時間軸 / 九州ちくごの作り手⑤木工 関内潔
うなぎの寝床で働き始めてから、ありがたいことに様々な分野の作り手の現場で、学ばせてもらう機会を得てきました。染織物、木工、土、竹、ガラス、食品・・・素材も工程も本当に多種多様です。
その中で面白いなーと感じるのは、素材や物の特性と、作り手の人柄や佇まいに、なにかしらの共通点を感じてしまうこと。すごく直感的で説明がしづらいのですが「あぁ土っぽい人だ」とか「木っぽい人だ」とか「織物っぽい人だ」とか「
かつての日用品としての工芸 / 九州ちくごの作り手たち③【桶】松延工芸
いま「伝統工芸」と呼ばれている、日本全国の様々なものづくり。「伝統」と名前がつくのは「現代」との比較としてであり、「工芸」といわれるのも大量生産の工業製品との対比があるからです。かつてはただの「もの」だったのではないでしょうか。
そんな「もの」が生まれ、工芸として代々続いていったのは、なぜでしょうか。需要があったからです。しかも「伝統工芸」としてではなく、日常の中で必要とされていたからではないで
産地のトレーサビリティを考える / 九州ちくごの作り手②角田製茶
みなさんは、スーパーで野菜やお肉を買うとき、どこの産地のものか気にするタイプですか?私は近所のスーパーで、生産者さんの名前が入って売られている「地元の野菜」コーナーが結構好きで、いろんな想像をします。
生真面目そうだなとか大雑把そうだなとか、商売っ気ありそうだなとか、何歳くらいの人なのかなとか、全く的外れかもしれませんが、考えるのは楽しいです。そして向こう側にも人間がいる、という感覚が得られるの
作り手と出会うべきなのか / 九州ちくごの作り手たち①木工作家 國武秀一
こんにちは、うなぎの寝床の渡邊と申します。しれっと初noteはじめます。私たち「うなぎの寝床」は九州ちくごのものづくりや人などの地域資源を、情報と流通を通して広める、地域文化商社として活動しています。
近年、大量生産・大量消費の中で知る機会が失われていった、ものづくりの背景に興味を持つ人たちが増えてきています。どこで、誰が、どんな風に作っているのか?どうしてその土地で生まれたのか?
かくいう私