「答えのない人生の”すべて”を正解に」~子どもの目の輝きを引き出し、アクセルを踏ませてあげられる大人でありたい~元公立小・中学校教員 (株)QILOT代表 萩原達也
公立小・中学校の教員を経て、子どもの好奇心、探求心を育てる場所(株)QILOTを立ち上げた萩原さん。
そんな彼が語る、”自分軸で考える生き方”とは?
QILOT立ち上げまでの物語を教えていただきました。
自分たちで考える授業の楽しさに触れた学生時代
静岡県沼津市、海の街で生まれ育った萩原さん。
教員を目指したきっかけは、小学校6年生の時にあったと話します。
「当時の担任の先生は産休明けで、小さい赤ちゃんを育てながら仕事をしていたんです。代わりの補欠の先生が入れないなんてこともある大変な学校で。先生がいない場面も多く、子どもたちだけであれこれ言いながら黒板を使って授業したりしていたんですよ。学級委員だったこともあって、子どもながらに一生懸命授業をつくったりしていて。みんなと一緒に授業をつくる事がとても楽しかったんですよね。そして何より、冗談だったかもしれませんが、クラスメイトから『先生よりわかりやすいよ!』と言ってもらえたのが嬉しかったのを覚えています。」
教える、考えるって楽しい。
クラスの仲間と1から授業を考えた経験から、教員を志し始めたそうです。
「みんなで一緒に」に潰されてしまう子どもたち
中学、高校と進学してからも、教員になる夢は変わらなかったと言います。
「高校3年生の時、担任の先生に『いい教員とはブレない心を持っている人だ。萩原にはその心がある。』と背中を押されて教員になることを決意しました。」
その後、入学した静岡大学では教員養成課程(数学)を履修しながら、サッカーやアルバイト、そして音楽にのめりこんでいたとの事。
「色んな事に関心がありましたが、中でも音楽に力を注いでいました。20歳の時に病気が発覚し、食事制限やドクターストップでスポーツができなくなってしまって。その分、ライブ活動や作曲・編曲の勉強など、音楽活動に熱を込めていましたね。」
教員採用試験にストレートで合格し、晴れて小学校の先生に。4年間働き、その後中学へと異動になったと話します。
「教員生活は楽しいの一言でした。自分の幼少期からの夢だったこともあり、本当に楽しかった。でも、中学校で働き始めた1年目、僕の中でターニングポイントとなる出来事があったんです。」
「あれは僕が中3の数学を見ていた時でした。受験直前の生徒達に、対策授業をしていました。そこで勉強の得意な女の子が僕に勇気を出して質問したんです。
『先生すいません。今日の単元は自信があるところなので、自分の苦手な単元をやってもいいですか?』と。
当時の自分は……、何かに縛られていたんでしょうね。『うーん…そうは言ってもきっと、何か得られるものがあると思うから!みんなと一緒にやろう。』と、彼女の思いを受け入れられなかったんです。
『わかりました…。』と、その子はそのまま席に戻りました。
でも、授業の最後。その子を見たときの目はうつろだった。既にわかっている事を”みんなと同じように”やらされている。僕はそんな状況を作ってしまったんです。」
当時の自分の選択を、後悔していると振り返ります。
「そんな中、ふと教室の隅を見ると、授業に全くついていけずに机につっぷしている子がいました。同じ教室の中に、”頭が良すぎて辛い子”と、”授業がわからなくて辛い子”、違う辛さを抱えている生徒がいる、この状況に違和感を感じました。
この授業に限った話じゃない。もしもこの子達の辛さが中学の全部の教科で…、いや、もっと前の、小学生のころから続いていたとしたら。その時間の使い方って本当にもったいなくないか?と。
その膨大な時間をもっと別のことに使えたら、もっともっとこの子達が輝けることってあるんじゃないかな。みんなで揃えるって、本当にいいのだろうか。そう思いました。」
「前例がない。」公務員の壁と変革者のジレンマ
その後再び小学校へ異動となった萩原さん。学校のあり方に疑問をもち始めたその頃、イエナプランに出会ったそうです。
「コロナウイルスが流行し、子どもたちと会えなくなった僕は、何か出来ることは無いかと海外の教育を学ぶようになりました。これはすごい…と。子ども第一に考えられている事、進度にばらつきがあっても良い事、異学年で交流するため過剰な他者比較が起き辛く、自己肯定感下がりにくい事…。こんな教育があると知り、とても興味が湧きました。勉強すればするほど、日本でも取り入れられる事がたくさんあると思ったんです。」
子どもの”自主性”や”個に寄り添う”イエナプランに目を付けた萩原さんは、自分のクラスで「自由進度学習(けテぶれ)」を取り入れる事に。
「宿題のやり方を子どもの裁量に任せるように変えました。テストの実施日を予め提示しておき、それまでの宿題はそれぞれのスピードとやり方に委ねる方法です。5教科の勉強に限らず、自分の興味のあることを調べたものを提出してもよい事にしていました。」
この「自主学習」こそが、QILOT立ち上げの原点だったと語ります。
「その宿題が本当におもしろくて。推しのアイドルについて調べてノートにまとめる子がでてきたり、タイピングを極めたくてそれを宿題にしてくる子がいたり。極めつけは、生理痛についてまとめてきて、それを男子にも知ってほしいとと言う子が現れたり…。
そこには僕の知らない世界が無限に広がっていたんですよ。作業になりがちだった丸付けが、楽しい。宿題をみるのがめちゃくちゃ楽しい。え、あなたこんな事できたの!?が溢れてくる。子どもたちって、それぞれが各々の興味関心をもっているけど、それを学校でみせる機会がなさすぎるんですよね。その宿題を見せあって語りあう子ども達同士も、『こんな勉強の仕方あったんだ!』とか『こんな事得意なんだね』と話していて。お互いを深め合うきっかけにもなっていきました。」
コロナ禍でクラス単位ではもちろん、学校単位でよりよい変化をもたらせないかと考えた萩原さん。海外の教育の実践事例や自分の知見から、実際に今の学校で実走できそうな事を管理職の方や各主任に提案したそうです。
「家庭端末を使ってのオンライン授業、Googleフォームを使っての健康状態の把握、宿題の廃止、他校とのオンライン交流、各種会議や研修のオンライン化……。
でも結果は10提案して9はダメでした。やっと通ったと思った1も、教育委員会に上がったらそこで却下……。
『前例がないからね…。』
『やるならガイドラインをつくらないとね…。』
『萩原さんのクラスだけっていうのがね…。』
ことごとく「前例がない、前例がない…。」あろうことか、『これは萩原先生を守るためでもある。』と言われ。年功序列、トップダウンの公務員の壁にぶつかりました。
目の前に困っている子どもがいて、保護者がいて、それを解決できる術を持っている教員がいるのに、なぜかそこをマッチングできない。教員の仕事は、子どもたちを守ることのはずなのに、それができない。そこに歯がゆさを感じていましたね。」
「自分が校長になるしかない。そう思った時もあります。でも、僕が校長になれるのはいったい何年後だろう?何年もかけて校長になったとして、果たしてその時の自分は輝いているだろうか?と考えた時に、正直、その未来が見えませんでした。」
自分のやりたい教育が思うように出来ず、モヤモヤしていた萩原さんはついに独立の道を選択します。
「僕は、自分が良いと思う教育を体現したい。そこでの実践を公立の学校へ還元したい。そのために、いったん外に飛び出てみよう。そう思って独立を決めました。」
個人事業から会社へ。”おもしろい”をとことん追究して尖らせたい!
9年間の教員生活に区切りをつけ、ついに独立の道を選んだ萩原さん。
現在はオルタナティブスクールの立ち上げを考えていると話します。
「そもそも新しい学校をつくりたいと思って独立したんです。日本で今、不登校の数も増えている。勉強はできるんだけど、詰め込み型がゆえに生きづらさを感じている子もいて。
そういう子たちものびのびできるところがあるといいなと思いました。
現場で取り組んできた「けテぶれ」がその解決のヒントになりそうだったんです。そうはいっても学校でやるとなると、やはり決められた枠の範囲で決まったことをしないといけない。僕はどちらかというと、子どもたちが目を輝かせて興味関心のあることに立ち向かって言った時、どんな子が育っていくのかに関心がありました。それを追究したかった。伴走したかった。”君のその、学校では見えない底知れないものをもっと見たい。”と。
学校で自由進度学習をやっている時も、様々もどかしいところがあって。あぁ、機材や物資がたりない…とか、ここを学校で認めてもらえればもっとやれる事があるのに…とか。そこをクリアして、子ども達の興味関心に寄り添う事ができたら超おもしろそう!という気持ちで、イエナプランでいうところのワールドオリエンテーション、プロジェクト学習を個人事業で始めました。」
子どもたちの興味関心に寄り添い始めて半年ほどで、子どもたちが輝く瞬間を何度も目の当たりにしてきたと話します。
「例えば中学に入学し、知識0の状態からゲーム制作を始めた子がいます。Unityというプロが使う制作ソフトを使って、本気でゲームづくりに向き合い、FPSのゲームをこつこつ作り上げてきたんですね。壁にぶつかるたびに本を一緒に探したり、海外の情報サイトを共に見たり、そんなことを続けていたら、中学2年生の終わりには、プログラミングの知識はもちろん、苦手な英語の力も随分ついてきて。中3のうちにはアマチュアのゲームサイトで販売できそうなところまできました。本気になった子どもたちのエネルギーはすごいなと。
その子とは別に、ずっとやりたい事が見つからない子もいました。中学2年生の女の子だったのですが、何度も対話を重ねて、興味のある事、人生の楽しかった事、苦しかった経験など、どんどん深堀っていったんです。そしたら『好きなドラマの主人公の仕事がグラフィックデザイナーだった。』というところから、『私もやってみようかな』と言い出して。そこから一年間本気でグラフィックデザインをやったんですよ。
最初はお世辞にも上手とはいえなかった子が、昨年12月に開催されたコンペで、他の大人達10人近くをさしおいて見事入選し、賞金を2万円近く受け取りました。自分の才能でお金をもらうって、いやあなたプロですよ、と。」
子どもが「やってみたい」と感じた瞬間に、そのアクセルを踏ませてあげられる大人の存在がとても重要になってくると続けます。
「そういう輝いている子ども達を見ている時が本当に楽しい。周りに同じことをやっている子がいなくても、そこに伴走してくれる大人がいれば花開くんですよ。君には早いとか、子どもの内は勉強しなさいとか、大人は言いがちだけど、子どもの目が輝いている瞬間のエネルギーを逃さない事。それが一番大事だと改めて思います。」
“子どもの前に立つ大人が輝いていないと子どもの目は輝かない。”
を、身をもって感じていると話す萩原さん。
「僕は音楽をやっていましたが、ライブの舞台に立つ本人たちが楽しんでないと絶対観客は楽しくない。例え演奏がそこまで上手じゃなかったとしても、舞台に立つメンバーが楽しそうに演奏していると、見ているこちらも自然と笑顔になります。やっぱり、子どもの前に立つ人は特に、その状況を一緒に楽しめないとダメですよね。
それを形にしたのがここ、QILOT(キュイロット)です。子どもと一緒におもしろがるのが得意な大人が集まって、会社になった。」
個が輝くために、まずは自分が尖った人間になりたい
「教育って目に見えないものの方が多いじゃないですか。テストの結果が、受験が…とかあるけど、僕が大事にしたいのはそこじゃない。その子自身が輝くための考え方や人間性、価値観を育んでいってほしい。
そのためには小手先のテクニックではだめなんです。自分自身が人生を楽しんでいて、目の前の事に目を輝かせている、それを背中で語れる人間でありたいですね。
『萩原先生と一緒にいたら、自然と成長してました。』と言ってもらえるような。」
教員時代には、それが出来ていなかったのだと振り返ります。
「あの頃はとにかく、仕事ばかりしていました。『子どものため』と言って、朝から夜中まで働いて、自分が学んだり遊んだりする時間なんて本当にありませんでした。なんならそれでいいとさえ思っていた。
でも、ふと、『自分の子どもを自分のような先生に預けたいか』と考えたときに、違うと思ったんです。先生なりに頑張ってくれているのかもしれないけど、学ぶ時間も新しい世界を見る時間もない、大切な人との時間もつくれない、そんな先生にわが子を預けたいか?思えねぇよ…。と。」
子どもたちの輝く個を磨くと同時に、自分という人間をどんどん尖らせていきたいという萩原さん。
「失敗なんてない。自分次第で成功にいくらでも変えられるという気持ちで生きています。この先事業うまくいかなくなる事もあるかもしれない。でも、それをどう調理するか?が大事になってくる。教員やめました、個人事業はじめました、会社つくったけど頓挫しました、とか……おもしろくないですか?むしろそっちの方が人生のネタとしておいしくない?っていう。もちろん、そうならないために精一杯考えて努力をしているわけですが(笑)
でも、色んな世間で言われるような失敗を、本人が失敗と捉えなければそれは価値に代わるし、より”僕”という人間が尖っていくと思うんです。そして、その尖った自分を求めている人が絶対にいる。
新しい事に挑戦するのはすごくエネルギーもいるし、大変だけど
”失敗は成功に変える”。そう思っていると色んな事に手を出せるなと思います。
このVUCA(予測不能)の時代、一見危険だと言われる場所や、そこには何もないと言われているところに片足を突っ込む気持ちは大事にしていくべきだと考えています。
学校でも、周りがどうこうじゃなくて、君はどうしたい?どうなりたい?そのために何をしていきたい?っていうのを子どもに問う先生は一部いらっしゃいます。
ただ、それを子どもたちに言うだけじゃ足りなくて、その問いに寄り添い続ける事。一人で自分を見つめるのって難しいし、今の学校ではその時間ってなかなかつくれないですよね。
そこにはやっぱり大人の手が必要で。保護者でも良いのですが、欲を言えば保護者以外の大人に、色んな話を引き出してもらうのってすごく大事。グラフィックデザインの女の子がいい例だと思います。」
物事は自分の捉え方によって、全て成功に、全て価値になる。
「やったことがないことにどんどんチャレンジしていく自分で在りたいと思います。まさに、学校をつくるとか、会社を立ち上げてみるとか、今やっているものも全部その現在進行形で。
うまく言葉にできないけど…、正解のない問いや、人生の生き方、そこに自分の興味があるんだと思います。
人生って、かけ算だと思っていて。
教員 × 独立 × 個人事業立ち上げ × 起業 × その先…と。どんどん他の人とは違う人生のかけ算が繰り返されていく。枠に囚われない何者でもない自分を、もっともっと追い求めていきたいです。
これから何がやりたいとか、目標を決めているというよりは、その時の感性に従っているところが大きいですね。
自分がおもしろいと思ったものに従って生きていくことが、勝手に自分の価値を高めていくことになる。」
「学校を辞めてなかったらあの人には会えてないな。とか、あの時イエナプランを勉強してなかったら、オランダの学校視察に行ってないよな。とか、全て繋がっていて……。
周りから「危ないからやめなよ」とか「安定を捨ててまでなんで」と言われた事もあったけど、思い切って舵を切った結果、出会えたものや人がいる。
自分で舵を切った先で出会った人、経験、それは全部宝物になります。自分の肥しになって、繋がっていく。
物事は自分の捉えかたによって全てが成功に、自分の価値になります。自分軸で生き続ける、そんな人生にしたいと思っています。」
独立し、旗揚げしたQILOTも6月で1年。
日本中の子どもたちに夢を届けたい。という想いで今日も輝く個を見つめているとお話してくれました。
【番外編】
「ボードゲーム開発イベント実施!」
Qilot対面イベントレポートはこちら▼
編集後記
人生の中で様々な葛藤を乗り越えて、今、こうしてチャレンジされている萩原さんからとてつもないエネルギーを感じます。順風満帆に行かない人生も、すべて正解にする。何が起きても自分の心だけはブレない、という強さを体現しているところが本当にかっこいい。子どもたちと共に尖り続ける萩原さんのこれからのご活躍、心から応援しております。
萩原さん、貴重なお時間ありがとうございました。
(インタビュー・編集・イラスト By Umi)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?