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40歳、生き方迷子。経歴を振り返る。

うみです。北海道もすっかり秋です。
今日はストーブをたきかける寒さでしたが、灯油も高いので我慢しました。

約18年を東京で暮らし働き続けたことが自信となり、36歳で悠々と北海道へUターンしてきましたが、いま、生き方迷子を引き起こしているのは何なのか?経歴を振り返ります。

大学~25歳

高校卒業後、埼玉の私立大学へ進学しました。いくつか大学を受けましたが、ここだけ外国語学部。そしてここだけ合格したため、進学します。
受験した学部に一貫性が無いこの時点で、生き方迷子の片鱗が見えますね。

大学を卒業し、1社目は印刷業界に入社しました。東京ではよく街中にありますが、データを持っていけばオンデマンドで名刺やポスターを印刷してくれるような、店舗を持つ会社。ここで自分は、接客や印刷物の受付・進行管理、見積作成など、店舗での窓口業務を担当しました。大手出版社とも数多く取引があり、印刷の受注対応を楽しんでいました。
従業員は若い社員からベテランの社員まで幅広い年齢で構成されており、とても馴染みやすく、優しさと厳しさがあり、良い仕事仲間と過ごさせてもらいました。

しかし2年半近く経った頃、父が癌になり余命が半年ということで、退職し実家に帰ることになります。25歳の頃です。

節目の30歳まで

父は亡くなりました。自分は一人っ子です。未亡人となってしまった母が心配ではありましたが、向かいの家に母の姉夫婦も住んでいることから大丈夫だろうと思うようにしました。申し訳ない思いがありながらも、再度東京で仕事をすることに決めます。若いうちは仕事をバリバリ頑張りたかったのです。それは北海道の田舎町では無理だろう、と思ったのでした。

2社目はIT業界へ飛び込みます。ネットワークの部署、開発の部署、ウェブ運営の部署がありましたが、自分はウェブ運営の部署で、営業事務として働き始めます。はじめての転職でしたが、よく面倒を見てくれていたハローワークのおじさんに導かれるがまま応募し、スムーズに入社することができた記憶があります。おじさん曰く、「あんたは色々仕事ができる職種が良い」ということで、営業事務を勧められたのです。

実際、最初こそ営業さんの請求書発行など事務業務を行なっていましたが、部長がイケイケな人で、最終的には数々経験させてもらい、いわゆる「ビジネス」というものの基礎を教えてくれた会社だったと振り返ります。

実際の自分の職務経歴書に書いている2社目の業務はこんな感じです。

【経験業務】
・請求書発行、仕入伝票処理
・内部統制プロジェクト参画による業務フロー改善、対社内外書類の見直し
・営業、営業サポート(資料作成、データ集計・分析)
・リスティング広告出稿・管理
・中途採用(求人原稿作成・出稿管理、応募者対応、求人媒体・紹介会社折衝、面接等)
・入社・退社社員対応
・社内ビジネスマナー研修講師(電話・メール研修担当)
・労務管理
・与信、契約書管理
・社内基幹システム(Salesforce)カスタマイズによる業務改善(仕組化・可視化・可用性アップ実現)
・(他社向け)Salesforce利用による要件定義、実装、運用サポート、改修(ノーコード)
・新サービス(Salesforceを利用した常駐型顧客サポートサービス)の社員育成・研修担当

上記すべてを、在籍期間ずっとやっていたわけではありませんが、6年近くの社歴の中でこれらを担当させてもらいました。

2社目はとにかくがむしゃらに働きました。上司がなぜ止めなかったか、注意しなかったかわかりませんが、徹夜や朝まで仕事をしていたということもよくありました。椅子3つあればベッドにできる技を身につけたのも、この頃です。

優秀な先輩に囲まれていたので、自分も目指す理想が見えたし、モチベーション高く自分の役割以上のことを全うしようという考えで仕事ができていたと思います。なかなか暇ではない毎日だったのに、2社目に入社した頃に東方神起にハマり、池袋のダンススクールに通い始めました。公私ともに充実していましたが、今では考えられない気力と体力です。やっぱり20代ってすごい。

約6年近く勤め、謎の自信がつき、違う会社でもチャレンジしてみたい気持ちが出てきて、転職を考え始めます。

30歳での転職は私にとって節目のときでした。どんな会社でどんな仕事をするか。ここまでで、40歳で生き方迷子になる要素はあったでしょうか?もし読んでくれた方がいたら、聞いてみたいです。

次回は、この続きを書いていこうと思います。
 


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