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『人間の教科書』 自分軸を持つ秘訣【心はタマゴ型三位一体家族】

自分軸を持つのが大切。
そんなことは分かってる。じゃあどうやって持てばいいのさ、というところで、つまづきを感じてしまう方は結構多いんじゃないでしょうか。

かくいう僕も「よっしゃ、これで全部OK」という気持ちになれているかというと甚だ怪しい、日々「うーん、自分軸って何?」と惑うこともいまだ在る、のが偽らざる心境です。

でも!

そんな僕だからこそ伝えられることがありますよね!!

まだまだ発展途上の僕だからこそ、伝えられることが在るはずです!!

(お、このあたり「自分軸」っぽい。うまくいってる気がします笑)

というわけで、ここ数日で気づいたことを紹介します。

まず結論。
自分軸は卵の黄身。他人軸は卵の白身。
人間(自分)の中には主体ちゃん、自分軸さん、他人軸さんの3人がいる。この3人家族の仲がよくなると全部うまく回ります。

どういうことか解説していきます。

人間って不思議なもので、自分にとって快適なことばかり考えられるわけじゃないですよね?
できれば考えたくないようなことも、なぜか考えてしまうようにできています。

例えば、僕は台所の洗い物を乾かす台に包丁が差したままになっているのが、どうにも苦手です。
なんか、もう包丁の周りから凶気が放たれている気がして、いやーな連想が働いてしまうので、すぐに拭いて見えないところへ片付けてしまいます。

それに天気にも影響されやすくて、曇りや雨の日は、いまひとつ気分がパッとしないことが多いです。
いつでも上機嫌でいられればいいのに、とは思いますが、ほぼ無理です。

実際、自分の気持ちを完全にコントロールできる人は、ほぼ存在しないのではないでしょうか。それはなぜか?

人間の心とは、自分のものであって自分のものではないからです。

例えば、手足は、自分の思い通りに動かせる方がほとんどでしょう。
でも気持ちの方は、自分の思い通りにならないことの方が多い。

じゃあ他人の手足は、どうでしょう?

親しい間柄の人だったら
「ちょっと右手をあげて。それから左足あげて」
などと言えば、お願いしたとおりにしてくれるでしょう。

とはいえ、それも最初のうちだけで
「えー、なんでそんなことしなきゃいけないの。いやだよ」
といって途中からうまくいかなくなることがほとんどです。

ちょうど自分と、自分の心の関係もこれに近いものがあります。

つまり自分の心の中には、他人が住んでいる。

そして「心とは、三人家族のような性質なのだ」と、まず頭に落とし込むと、うまく対処ができるようになってきます

では、心にはどういう性質があるのかというと
主体ちゃん、自分軸さん、他人軸くんの3人がいる」と先に書きました。

まず「他人軸くん」です。
こいつは、理性的で厳しく批判的になりやすいお父さんみたいなやつです。
いつも世の中の動向や数値に敏感で、客観的な情報の収集に余念がありません。
そして、このかき集めたデータを主体ちゃんに報告してきます。

「おいおい、その服なに? 今の流行に逆行してるよ? ダサくない?」
「おー、いいね。その髪型、それが皆にウケるヘアスタイルだよ」
「休日だからといって、いつまで寝てるんだ? ダメ人間になっちゃうぞ」

と主体ちゃん、つまりあなたのお尻を叩いて動かそうとしてきます。

この他人軸くんは卵で例えるなら白身部分に住んでいます。
白身部分は体積も大きいですし、もっとも広く外界に接触していますが、それと同様、他人軸くんは人間の心の中でも大きな存在感を放っています。

そして他人軸くんは自分軸さんのことを軽んじており、更にスキあらば主体ちゃんの魂さえも乗っ取ろうとしています

次に「自分軸さん」です。
この自分軸さんは、卵に例えるなら黄身の部分です。
他人軸くんに比べると存在感が薄く、控えめな性格であることがほとんどです。
他人軸くんが厳しい父なら、自分軸さんは優しい母に例えられそうです。

人によっては存在自体が見えなくなっています。

例えば、ゆで卵って白身が固く茹で上がっているので、外側から見ると黄身の存在が確認できないですよね。そんな感じです。

他人軸くんの力が強すぎて、主体ちゃんの魂が乗っ取られてる人にとっては、この自分軸さんも、ほぼ存在しないも同然となっています。
パパの権力が強すぎて、ママの発言権がゼロの家庭みたいな感じでしょう。けれど、

「もう他人軸で生きるのはやめよう。自分軸で生きるんだ!」

と思い始めた人の中では、この眠れる自分軸さんが目を覚まし、何かと暴走しがちな他人軸くんのおせっかいから主体ちゃんを守ってくれます。

他人軸くん「おい、主体よ。お前にそんな大それたことはできない。どうせ失敗する。悪いことは言わないからやめて、もっと堅実な道を選ぶんだ」

主体ちゃん「え…やっぱりそうかな。だよね。じゃあ、やめようかな…」

自分軸さん「待ちなさい他人軸! 黙って聞いてれば好き勝手なこと言っちゃって! 主体ちゃんは、できる子だよ! 他人軸のいうことなんて聞く必要ない! もっと自信を持って! やりたいことをやろうよ主体ちゃん!」

主体ちゃん「だ、だよねぇ。私、できる子だもんね。がんばってみる!」

他人軸くん「へー、どうせ失敗するのに。どうなってもしらんぞ」

主体ちゃん「あはは、やっぱり不安になってきたなぁ…」

自分軸さん「大丈夫! 主体ちゃんはできる子だから! 自分がやりたいんだからやってみよう!」

主体ちゃん「ううう、やっぱり不安だけど私、やってみゆ…!!!」

と、まぁこんな感じです。

自分軸=優しい母(≒ψ3)
他人軸=厳しい父(ψ4)
主 体=他人軸と自分軸の狭間でゆれうごく子供の自分。心の中核(≒ψ5)
 

こんな構図とイメージすると分かりやすいかもしれません。

そういえば、ひとりの人間の頭の中で、ひとつの意思決定がなされるまでのプロセスを様々なキャラが議論する様子を通じて描いた『インサイド・ヘッド』という映画があったかと思いますが、まさにああいう心の働きが実際にあるということです。

もう改めて説明するまでもないかもしれませんが、つまり「主体ちゃん」は、ほぼ自分自身です。

主体ちゃんの身体は、例えるならクリスタルのような透明素材で出来ています。
なので、すぐ誰かの感情や考えを、自身の身体にとりこんでしまい、その色に染まってしまう性質があります。
主体ちゃんと言いながら全然主体性がないのです。

そしてこの主体ちゃんは、心の全体像を卵に例えるならば黄身の中心=胚、黄身のコアにあたる部分に住んでいます。

コアなので、主体ちゃんの感じること=今の気分となります。
(主体ちゃんと命名したのは、この部分が「他人軸や自分軸から影響を受けて感じる主体」だからです)

例えば他人軸パパが、やいのやいの言ってくると、主体ちゃんはすぐにゲンナリしたり自信喪失したり、自己嫌悪に陥ります。

では、どうすれば自分の心をうまくコントロールしていけるのか?

それは、この家族がうまく過ごしていく方法とイコールです。

まず今の自分の心理状態を考えてみてください。

他人軸パパの発言権、影響力が強すぎるのか?
はたまた自分軸ママがむしろ暴走しすぎてて、周りの目も顧みずヒョウ柄レオタードを着たまま、賑わう商店街のど真ん中でジャズダンスを踊り出してしまうので、さすがに周囲の人から「おいおい通行の邪魔だよ、誰か止めてやれよ」と思われているような状態なのか。

大体の人は自分軸が勝っていることはなくて、他人軸優位になっていることでしょう。
とすると、自分軸ママにもう少し頑張ってもらう必要があります。

つまり主体ちゃん=あなたのなすことは「ママがんばって! パパを一緒に言い負かしてやって!」と自分軸ママに指令を出すことです。

だからといって、自分軸に偏りすぎてもバランスがとれません。
自分軸が強すぎても、今度は傍若無人なエゴイストになってしまうでしょう。
本人は幸せ感でいっぱい、でも周りは迷惑を被っている、というタイプの人間になってしまうおそれがあります。

つまり他人軸も悪ではないのです。
あくまで主体はアクセルの働きである自分軸とする、でも他人軸もあるからこそ時にはそれがブレーキとなってバランスが取れる。

つまり他人軸ママと自分軸パパに話し合ってもらい、バランスを取る。
最後は主体である自分が幸せになれるところを落としどころとする。

このようなプロセスを経ることで、このファミリーは子供の意思を真に尊重した幸せな家庭になれるというわけです。

「100%完璧に気持ちが穏やかで、いつでもハッピー」ということはありえない、それが自然な心の働きだと理解することが重要です。

なぜなら、心は3人家族なのです。
だから時として心揺れ動いてしまうのが当たり前なのです。

なので、この当たり前のことをつらまえて、
「ああ、こんなふうに他人軸に考えてしまう自分は、なんてダメなんだ」
などと否定的に考える必要はありません。
家族が3人いるのだから意見が割れるのは当たり前なのです。
当たり前のことを否定するのは、およそ健全ではないでしょう。

自己否定は、我が子に「お前はなんてダメなんだ」と言っているに等しい行為です。
とはいえ「自分はなんてダメなんだ」という内なる声が聞こえてきてしまうことは現実としてはあるでしょう。世の基準や観念との比較で物を考える他人軸パパが心のなかに住んでいるのだから誰でも絶対にあるのです。
でもそういう内なる声が聞こえてきたら今度は

「いいえ、うちの子はダメじゃありません。ただ向上心が強いだけです」

などと自分軸ママの気持ちで反論し、揺れ動きやすい主体ちゃんの気持ちを落ち着かせ、励ましてあげるように務めましょう
それが出来るかどうかが大きな分かれ道です。

この3人の区別がついておらず「全部、自分」という認識しかできないと、自分を責めてしまう自分に自己嫌悪を覚え、さらに自分で自分を責めたてる、というような自己否定の無限ループに陥るおそれがあります。

違うんです。自分の中にはそれぞれ別個の3人がいるのです。
全部自分であり、同時に他者でもある、そういう3人がいるのです。
だから、もし自分軸ママが眠っているようなら起こしてあげて、この3人ともが揃って幸せになれるようにふるまってみましょう。

最後にもうひとつ。
なぜ心はこのような三位一体構造となっているのでしょう?

それは三位一体構造でなかったら、キケンすぎるからです。

もし自分軸ママしかいなかったら、と考えてみてください。

「あら? とってもきれいな青空。もっと近くで見てみたいわ〜」
などと思って足元を見ずに歩みを進めたら崖から転落してしまいます。

「おい、そっちは崖だよ!落ちたら死ぬぞ!周りをよく見ろ!」
と教えてくれているのは、いつでも周囲に注意を払っている他人軸パパの方なのです。

だから一見、ただの厄介者に見えるパパも生存のためには必要なのです。

つまり誰一人として不用なものはおらず不用な働きもありません。
異なった役割を持つ三人がいるからこそ僕らは一人前になれるのです。

なすべきことは、ときには自己否定もしてしまう、そんな今の自分のままで全部OKだったと知り、それを素直に認めてしまうことなのです。

ありもしない完全完璧を追う必要はありません。それは幻です。
不完全な今のまま、これが実は完全体なのです。

あえて言うなら「不完全な今のまま、これが実は完全体」だと知り、それを認めることで欠けていた最後の1ピースが盤面に収まります。
すると、その瞬間から安定的な幸せが始まります。

今のままの自分を認めることは、すなわち心の中の三人が和解をして、互いに責め合うこともなく、困ったらいつでも相談に乗ったり親身に話を聞くなど相互に助け合える関係になることなのです

心の中の三人が、いがみあうことなく互いを認め合い、いつでも仲良く暮らしていけるならば、僕たちの心は、
「いつでも100%上機嫌」ということは無いものねだりだとしても、
「いつでも健やか」になることだけは可能です。

それこそが確かな幸せへの一歩になるのです。

(なんとなくいい記事が書けた気がするなー♪ 今日もお読み頂き、ありがとうございました)

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