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ヘルメス思想と新プラトン主義の哲学について

みなさん!こんばんにちはようす。丸々です!!ヽ(。ゝω・)ノ


今回の概要は、【『黄金の法』ブログ感想講義  】に入りたいと思います!

この内容では、宗教や歴史や哲学や政治が主題となったテーマになっております。

前回は、こちらを掲載しました👇


今回は「ヘルメス思想」や「神秘主義」について、学んでいこうと思います。

まず、「古代ギリシア哲学」に「ヘルメス思想」に関係する人物といえば、「ピタゴラス」が有名です。

彼は、アリストテレスやプラトンに影響を与え、しかも、「ギリシア神話」で有名なヘルメス様から率いるヘルメス教の団体と関係のある人物であることは知られています。

ピタゴラスの文献については、去年の夏ごろに話したと思いますが、彼は「万物は数なり」とか、「数学と音楽は宇宙」とか、「ピタゴラスの定理」を発見したり、数秘術や天文学にも影響を与えた人物であると言われております。私は、大いに尊敬している人物です。

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さて、そうした「古代ギリシア哲学」が今から2500年前のあとに古代ヘレニズムの時代でローマ帝国に波乱が起きるわけですが、

そもそも、古代ギリシア哲学の前の時代には、ゾロアスター教だったり、『ヘルメス文書』を一つの聖書とした「ヘルメス主義」があって、その前に、ゼウスの時代に「ギリシア神話」に出てくる神である「経営の神様」にあたるヘルメスが繁栄の時代をつくってきた歴史から全てが始まったと言われています。


まー、そんなこんなで、「今まで話してきた歴史の流れがゴチャゴチャだよ!」って思う人もいらっしゃると思いますので、今回は、古代ギリシア哲学で活躍したアリストテレスの時代からストア派の哲学にいたって、その後の哲学者の経緯についてご紹介していこうと思います。

もともと、歴史の流れを作ってきたのは、文化ではなく、宗教や政治そして哲学や経済があってこそ、今の時代があるということをご理解頂ければと思います。



ヘルメス思想、新プラトン主義、そしてアウグスチヌス

👉  さらにローマ時代の思想として、神秘主義思想の流れも確認しておきたい。それがプロティノスに代表される新プラトン主義(ネオプラトニズム)であり、キリスト教の中で霊性を強調したグノーシス派であり、それらの底流を流れている、エジプトに始まるヘルメス思想(ヘルメス主義)の潮流である。

新プラトン主義の代表的思想家・プロティノスは、プラトンのイデア論をさらに神秘主義的な方向で推し進めた人である。これは、現象世界とイデアの世界を二分して考えるのではなく、それらが分かれる前の「一者」から全てが流出するという思想である。この思想は、後に一神教としてのキリスト教神学に影響を与えたほか、ルネサンス期のイタリアにおいては、メディチ家のいわゆる「プラトン・アカデミー」に集った学者たちによって、プラトンの思想とともにラテン語に翻訳され、ルネサンスの思想的隆盛の柱となった。

そして、新プラトン主義の影響を強く受けたのがグノーシス派による宗教運動である。西方においては、プロティノスの思想やヘルメス主義とも相まって神秘主義的、禁欲的な思想運動となり、東方(ベルシア等)においてはマニ教もまたグノーシス的な運動の一環とみなされている。しかしながら、いずれも正統派のキリスト教によって弾圧、排除されていく。👈


さて、「マニ教」について知らない人も多いのではないかと思います。

そこで、下記の歌を聞くと、この歌詞の題材になっている内容が、マニ教の教えであることを、過去にHSUで学びました。

こちらをご覧ください🔻


実は、この「私たちは神の子である」という教えがマニ教が人類に言いたかった教えであり、「世界は闇に包まれている」という歌詞の部分もこのマニ教から来ていると言われています。

マニ教は、かつては北アフリカ・イベリア半島から中国にかけてユーラシア大陸一帯で広く信仰された世界宗教でありましたが、結局、ゾロアスター教に弾圧されて消えてしまった歴史があります。つまり、マニがゾロアスターの前身であるので、自分のつくったゾロアスター教の人たちがマニを死刑に負わせたということは、「自分で自分を殺した」ということをマニという人物がしてしまっているのです。(※『地獄の法』(p.37)より。)

実は、マニ教の開祖である「マニ」という人物は、HSの霊言によれば、ゾロアスターの生まれ変わりであると言われております。

ゾロアスターは、ゾロアスター教の開祖であり、ゾロアスター教は「善悪二元論と終末論を説いた拝火教」のことです。このゾロアスター教がピタゴラスに影響を与えた人物であると『ピタゴラス全集』にも載っておりました。

つまり、古代ギリシア哲学の前あたりにゾロアスター教が活躍し、その後のイエスキリストが紀元前から紀元後に活躍されて、その200年後にマニ教が出てきたということが推理できます。


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ちょうど2世紀ごろに、よく、これ(編集者注:正統派キリスト教)と戦っていたのが、グノーシスという思想を説く人たちです。グノーシスとは「知識」という意味なのですが、霊界知識とうがもう少し入ったキリスト教の教えを説く人たちもいて、それと正統派キリスト教とが激しく戦っていたのです。グノーシスのほうは、どちらかというと霊能者系で、間違っていたわけではありません。

この両者が激しく論戦をしていたのですが、正統派キリスト教のほうは、教会をつくって組織を固め、軍隊型の組織をつくっていったので、こちらが勝ったのです。そして、グノーシス系のほうは全て異端として排除されていった歴史があります。

したがって、いま「正当な『聖書』ではない」と言われているものの中には、このグノーシス系のものがだいぶ入っているのです。

ただ、現実の霊界の真相は、かなりグノーシス系の思想のほうに深く入っています。

そのグノーシス系のキリスト教に影響を受けたのがマニ教です。西暦200年代にできたマニ教は、その影響をかなり受けています。

正統派キリスト教は、グノーシス派のキリスト教とマニ教の2つを敵に回し、徹底的に粉砕して潰してしまい、それで組織として生き延びたのです。これが歴史の流れです。

(『「黄金の法」講義① 』 pp.113-115 )

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「異端」と言えば、、キリスト教の教えによって中世ヨーロッパでは国教化し、このキリスト教国が近代ではガリレオガリレイの「地球は丸くて回っている」という説明で異端審問を受けることでも有名です。

ただ、歴史の流れを見れば、「科学なしの宗教」も遺憾でありますが、過去にブログで述べたであろう「アトランティス文明やムー文明がなぜ沈没したのか」という歴史を学べば「宗教をなしにした科学」も遺憾なのであります。

ゆえに、「宗教と科学を合一した文明こそ未来にあるべき文明」なのだということが分かります。グノーシスの流れはこの「科学」(science)という観点も忘れてはなりません。


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キリスト教のなかには、グノーシス派という、霊的な知識を教えのなかに含んだ一派がありました。しかし、キリスト教は、このグノーシス派を異端として迫害し、皆殺しにして潰してしまいました。

このグノーシス派の流れも、実はイスラム教のなかに入ってきています。イスラム教のなかの秘教部門、つまり、「スーフィズム」という一種の秘術の部分に入ってきているのです。

このグノーシスの教えは、実は、霊界のヘルメス神から出ているものだったのですが、キリスト教の教会指導者たちは、この世に生きる人間の悲しさで、それが正しいものであることが分からず、教会の解釈を絶対的なものにするために、異端、邪説として、全部、排除していきました。

「『聖書』に書かれていないものは、全部、排除する」ということで、このグノーシス派も迫害されましたし、マニ教も迫害されて地上から消えたわけです。

(『救世の法』 p.128 )

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さて、「グノーシス」と言えば、「ブラヴァツキー」という神智学者も有名ですね。この女性も「神秘主義」について「心霊現象がなぜ起きるのかを調査した人物です。この神秘主義はグノーシス派のものです。

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また、ユダヤ教からくる「生命の樹」もこのヘルメス思想から来ていると言われております。

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👉  そして、これら神秘主義の底流にあるのが、エジプトに始まるヘルメス思想の大きな流れである。ヘルメス思想とは、伝説の神人ヘルメス・トリスメギストス(3倍偉大なヘルメス)によって説かれたといわれる『ヘルメス文書(hermes monjo)』を中心とするものである。しかし実は、ギリシャのヘルメスとアトランティスのトス(エジプトのトート神)を合わせた「トート=ヘルメス体制」という形でエル・カンターレからの指導がエジプトに臨んで興隆したものであった。👈


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エジプト文明には、エル・カンターレの力が、そうとう働いていたのです。

エジプトでは、アトランティスのトスが、「トート」という名前で崇拝され、「全知全能の神トート」と呼ばれていました。トートは、善悪を分かつ神であり、ピラミッドとも非常に深い関係を持っています。

エジプトには、このトート信仰があったのですが、そのあと、ギリシャにヘルメスが出て、ヘルメス信仰が起こりました。ヘルメスは、エジプトに霊文明をつくる手助けもずいぶんしています。

エジプトには霊界の秘儀を知っている人が数多くいました。彼らは、トートとヘルメスが連合して、エジプトの霊文明を指導していることを知っており、それを「トート・ヘルメス体制」と呼んでいました。

トート、すなわちアトランティスのトスと、ギリシャのヘルメスが一体となって、エジプトの霊的文明をつくっていったのです。

これは、「ヘルメス・トリスメギストス」という言葉で言われることもあります。トリスメギストスとは、「三倍偉大な」という意味であり、ヘルメス・トリスメギストスとは、「三倍偉大なヘルメス」、あるいは、「偉大なる、偉大なる、偉大なるヘルメス」という意味です。

エジプトには、このヘルメス・トリスメギストスという神への信仰が起きました。

(『「理想国家日本の条件」講義 』 pp.58-59 )

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古代エジプトの人々にとって、あの世の存在は当然のことであり、彼らは、「人間は、この世とあの世を行ったり来たりしている存在である」ということを明確に知っていたのです。

そういう霊界思想をまとめたものが「ヘルメス思想」であり、それは、「ヘルメス文書」といわれるものとして遺っています。

このヘルメス思想の影響を非常に強く受けているのがキリスト教です。キリスト教の思想のなかには、このエジプトの思想がかなり入っています。(中略)

エジプトの思想はキリスト教のなかにも入っていて、キリスト教思想の最深部を流れています。

トートの思想は、今から数千年前のヘルメスの思想と合流し、もう一段、強められ、エジプト、イスラエル、さらには近代のヨーロッパの思想のなかに流れてきているのです。(中略)

このヘルメス思想はヨーロッパにも流れてきています。ヨーロッパには神秘思想が数多くあり、それは中世以降も生き延びています。現代でも、「薔薇十字」(bara-juuji)や「フリーメイソン」という名前を聞くことがありますが、そういう秘密結社の思想に流れているのも、古代のヘルメス思想という、霊界の神秘思想です。

ヘルメス思想は思想的に西洋の源流を成しているのです。

(『神秘の法』 pp.254-257 )

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👉  ヘルメス文書はルネサンス時代にラテン語に翻訳され、ヨーロッパで大流行したという(平野啓一郎氏の小説『日蝕』は、ヘルメス選集を求めて旅する神学僧の物語である)。コペルニクスの太陽中心説やセルべトスの血液循環論もヘルメス思想の影響を受けている。科学者・ニュートンは「最後の魔術師」とも呼ばれている。このように、西洋の思想、そして科学技術の発展の底流にはヘルメス思想に代表される神秘思想(オカルティズム)があったのである。👈


さて、この『「黄金の法」HSUテキスト 』の文献に関して、世界宗教に関する論点はさまざまに述べられていますが、「神秘主義」についてはそこまで考えていない文献であり、「論点が浅い内容である」と個人的に思います。

つまり、個人の感想としては「内容としてもう少し‥。」って言う感想であり、失礼に当たりますが「神秘主義の気持ちが分かってないような言い方」に聞こえます。



さて、「オカルトとオカルティズムの違い」ってみなさん分からないですよね??|ョ´゚д゚`)。oO(???)

「何が、カルトで、、何がオカルトなの??(。´-_・)ン?」って疑問に思う方多いのではないでしょうか??わかんない(´・д・`)ゞ(me too♪)

実際、わたしのかすかな経験ですが、「カルト」と言う意味は、「宗教に対して、ぶざまである」という悪い言い方です。つまり、「あなたの宗教はカルトだね!」という言い方は「あなた悪い人の仲間だね!」とか「クソな宗教」と言っていることと同じなので、みなさん宗教の人と人間関係がある場合は、その言葉に注意しましょう❗️。+゚(pωq)゚+。エーン


また、「カルト」という語源は「オカルト」から来ています。

通称、「握り飯🍚 」を「おにぎり🍙 」という綺麗な言い方に聞こえなくもありません。(。 ・ω・))フムフム

この「オカルト」という言葉について、経典『神秘の法』(第4章「パワーとしてのオカルティズム」)では、こう書かれております。

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本章では、思い切って、「オカルティズム」について述べることにします。

現代では、「オカルト」というと、どうも、あまり良いイメージがなく、怪奇現象などの、ドロドロした怖い話を考えがちですが、これから述べる話は宗教の立場からのものなので、オカルトという言葉を、そのような悪い意味で使うわけではありません。

オカルティズムとは、現代的には「神秘主義」「神秘思想」というような意味になりますが、オカルトとは、もともとは「隠されたるもの」という意味なのです。隠されたるもの、これがオカルトです。

この意味には非常に深いものがあって、ここに、宗教の秘密、あるいは、宗教の信仰の対象である、仏や神と言われるものの秘密が表れているように思います。それは、隠れたるもの、あるいは、隠されたるものなのです。<略>

現代人として生まれ、学校と家庭の影響を受けて成人した人が、映画「太陽の法」を観たり、あるいは、私の著書『太陽の法』(HS出版刊)を読んだりすると、知らないことがあまりにも多すぎて、「こんなことがあるのだろうか」と驚くでしょう。「知識面での基礎がない。そういうものを理解するための知識が、まったく手に入っていない」という意味で、「知らないことだらけ」ということになると思うのです。

しかし、それには、単に「知識として知らない」ということだけではない面があります。もう一つ、「隠されていた」という面もあるのです。

「なぜ、そうなのか」というところに、哲学的疑問、あるいは、哲学を超えた大きな宗教的疑問があるわけです。

(pp.236~238)

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さて、この「宗教の秘密」の部分こそ、今年の最新刊であられる経典『秘密の法』に説かれております。



最後に、「神秘主義」について一部書かれた文献として経典『黄金の法』(第2章「大地を駆ける」)では、「一者と美学」の記述で有名な古典古代ヨーロッパに活躍した「プロティノス」についてこう書かれております。

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次に出たのが、プロティノス(204年-270年)です。プロティノスの出身はエジプトですが、彼はローマ時代を代表する哲学者であり、新プラトン主義と言われる学派を創始しました。プロティノスは、プラトンの影響を受けつつも、理性主義よりは神秘主義の立場をとります。プラトンが、現象の世界とイデアの世界という二元的対立図式の世界観を採用したのに対し、プロティノスは、人間の主観と客観とが分かれる前の一者(issha)を考え、それが、本当の実在であり、神であるとしました。そして、この3次元世界は、究極の実在から流れ出してきたものであるという「流出説」を唱えます。

この新プラトン派のプロティノスが、後に日本に生まれ変わって来て、生命(seimei)の実相哲学を説いた生長の家(seichou-no-ie)の初代総裁、谷口雅春(taniguchi-masaharu)氏なのです(1985年没)。この谷口雅春氏の前世(zense)はプロティノスですが、その前々世は、日本の神代(kamiyo)の時代、紀元前760年頃に日本の九州地方に生まれた伊邪那岐命(izanagi-no-mikoto)でした。伊邪那岐命は、天照大神(amaterasu-ookami)という女神(megami)になった方が地上に出たときに、その肉体先祖(senzo)、すなわち父親となった方です。伊邪那岐命ーープロティノスーー谷口雅春と転生した生命は、現在、梵天界(bonten-kai)にいる生命体です。

(pp.88~89)

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ってなわけで、次回は「教父アウグスチヌスとギリシャ・ローマ哲学の流れ」について述べていきます🏃‍♀️



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いかがでしたでしょうか??(*´ω`)ノ またネ♪

ご精読ありがとうございますァリガトゥ(*'∀'*)ゝ

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なお、「『黄金の法』myブログ感想講義」の今回の内容につきましては、以下を参考文献としています📙


【参考文献】






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