ミャンマーでケマウジーという男に出会った。
ミャンマーのバガン。
ここは、広大な平原に大小3000もの仏塔が建ち並ぶ、仏教遺跡の街。
当時、大学生だった僕は、ゲストハウスで借りた頼りないチャリンコで、バガンの遺跡巡りをしていた。
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道は、舗装されておらず、砂の道だった。
日差しは強く、暑かった。
エンジン音を轟かせた自動車が通り過ぎると、砂が舞い上がり、暑くてほこりっぽい風が、僕の髪の毛をバリバリにした。
草木は生えているが点在していて、道に日陰をつくることなく、大地の熱気が、僕の全身を汗まみれにした。
でもなぜか、不思議と気持ちがいい。
とにかく広い。
道がどこまでも続いていた。
見渡す限りの仏塔。彼方には巨大な仏塔も見える。見えるもの全部が遺跡だった。
とんがりコーンを逆さにしたような小さな仏塔もあれば、ピラミッド型の巨大な寺院もあった。
僕は、朝から夢中で仏塔巡りをしていた。
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道の途中に移動販売の小さな露店があった。
冷たい飲み物が売っていた。
ちょうど、おやつの時間だったので、チャリを降りて、休憩することにした。
僕は、謎の黄色いドリンク缶を買った。
露店の前に、プラスチック製の小さなイスがあり、僕は1人、リュックを地面に置いて、腰掛けた。
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程なくして、チャリに乗った男が店に来た。
度付きサングラスのようなメガネをかけ、白髪交じりの髪は薄く、顔も腕も日焼けで真っ黒だ。
汚れたグレーのシャツに、ロンジーというミャンマーの巻きスカート。
素足にボロボロのサンダル。
見るからに、全身が汗とほこりでベタベタだ。
男は、店で飲み物を買い、僕の近くに座った。
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男は僕の方をチラリと見ると、右手の人差し指で、謎の黄色いドリンク缶を指さして、
「それ、うまいか?」
というような表情をした。
僕は、ミャンマー語で
「カウンデー(good!)」
といい、右手の親指を突き上げた。
男はニカッと笑った。
前歯が数本抜けていた。男のしわだらけの顔が、余計にくしゃくしゃになった。
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(この男、何者だろう・・)と思った。
観光客相手に商売している感じはない。地元民にしてもなぜこんなところにいるのか合点がいかない。
男は、平泳ぎのように両手を動かし、ミャンマー語で何かを言った。
僕は、たぶん、「バガンはどうだ?」と聞いていると思った。
だから、僕は、右手の親指を突き上げ、
「カウンデー(good!)」
と言った。
すると、男はまたニカッと笑った。
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男に英語は通じないし、僕はミャンマー語が話せない。
仕方ないので、スケッチブックを取り出して、今日の午前中に描いた絵を見せた。
ひときわ心に響いた仏塔があった。巨大で厳かで堂々たる雰囲気。下から見上げたその姿があまりにもかっこよかったので、下手くそではあるが、一生懸命に描いたスケッチだった。
僕は、その絵を指さしながら、男に見せて、
「カウンデー」
と言い、親指を突き上げた。
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すると、男は笑いもせずに、ミャンマー語で何かを言った。
何を言っているか、全くわからない。
なので、僕は、「Sorry?」と聞き返し、困惑した表情をした。
それでも男は、ミャンマー語で、身振り手振りを交えて、必死に何かを伝えようとした。
何を言っているか、どうしても、わからない。
あきらめない男は、右手の人差し指を空に向けて突き上げたり、僕の絵を指さしたり、ペンで何かを書くような仕草をしたりした。
だから、僕は、男にペンを渡してみたが、どうやらそれも違うらしい。
うーむ、困った。
男は、なおも何かを伝えようとしている。
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男の名は「ケマウジー」と言った。
これが、僕とケマウジーの出会いだった。
このとき、僕は、まだ、ケマウジーが本当に伝えたかったことは、わかっていなかった。
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結局、僕は、ケマウジーについていくことにした。
砂ぼこりの道をチャリンコでゆっくりと進むケマウジーを、僕は後ろから追いかけた。
いったいどこへ行くのだろう。
少し不安もあったが、いざとなれば、チャリで逃げ切れる自信はあった。
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しばらくすると、前方に巨大な仏塔が見えた。
なるほど。
僕は、ケマウジーがどこへ向かっているのかがわかった。
僕がスケッチブックに描いた仏塔・・・。
そこを目指しているのだった。
でも、なぜに?
*****
仏塔の正面入口につくと、ケマウジーはチャリに跨がったまま、僕の方を見て、ニカッと笑った。
僕は、「Yes, yes, my picture, here.」と言って、親指を立てた。
ケマウジーは、チャリを乱雑において、仏塔の中に入ろうと僕を促した。
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バガンの仏塔の中は見学できるようになっていた。
その日は、いくつかの仏塔の中に入ったが、どれも様々に違っていた。
美しい仏像や歴史を感じる壁画が残る仏塔もあったが、廃墟同然でコウモリの巣窟となっている仏塔もあった。
ケマウジーは仏塔の中をどんどん奥へ進んでいった。
僕は、(ここは、さっきも来たんだけどな・・・)と思いつつも、ケマウジーと2人だけで、仏塔の中にいるという状況が少し楽しくもあった。
ケマウジーについていくと、暗がりの中に、階段があった。
「えっ、登れるの?」
思わず、日本語が出た。
ケマウジーは、僕の日本語をまるで理解したかのように、振り向いて大きくうなずいた。
*****
僕は、ケマウジーと2人で、仏塔の中の薄暗い階段を登った。
勝手に登っていいのだろうか。
だいぶ登った。もう7~8階くらいは登った感覚だった。
しばらく登ると、鉄格子の扉があって、さすがにこれ以上は、先へ進めなくなった。
「Oh, no~!」と僕が言うと、
ケマウジーは、自らのシャツの首元に手を突っ込んで、首からぶら下げていた鍵を取り出した。
まさかと思った。
ケマウジーがその鍵を鍵穴に通すと、鉄格子の扉が開いた。
ケマウジー、あなたはもしかして・・
この仏塔の・・・
「管理人?!」
ケマウジーは、ニカッと笑った。
*****
階段を登りきって外に出ると、仏搭の上に出た。
「すげー」と叫ばずにはいられなかった。
絶景。
眼下には、バガン遺跡の広大な大地が広がっていた。
地平線の彼方まで、どこまでもどこまでも仏塔が続いている。
さっきまでケマウジーとチャリを漕いできた道が、あんなに小さく見える。
ちょうど、太陽が西に傾きかけていた。
砂の大地があかね色に染まり始めた。
見渡す限りの仏塔が黄金に輝き出した。
ケマウジーは得意げだった。
*****
どこにあったのか知らないが、ケマウジーが何枚かの紙を持ってきた。
そこには、絵が描いてあった。
ケマウジーのスケッチ集だった。
そして、ケマウジーは、ジェスチャーで、
「ここで絵を描こう。紙をくれないか。」
と言った。
僕は、スケッチブックから紙を切り取り、持っていた鉛筆とともに、ケマウジーに渡した。
*****
柵もない。落ちたらやばい。仏塔の屋根のヘリのわずかなスペース。
そこに2人で腰掛けて、僕らはスケッチに熱中した。
仏搭の上から見下ろしたバガンの風景。
描き終わると、お互いに絵を見せ合った。
どちらも、下手くそだった。
2人で声を出して笑った。
それでも「カウンデー」と言い合い、絵を褒め合い、称えあった。
*****
燃える夕日がとてつもなく美しかった。
しばらく、眺めた。
「暗くなる前に帰ろう。」とケマウジーは言った。
「そうだね、帰ろう。」
ケマウジーが鉛筆を返してきたので、
「どうぞ、プレゼントです」と僕が言うと、
「チェズーティンバーデー(ありがとう)」
とケマウジーは言い、微笑んだ。
*****
階段を下り、仏塔の正面口に戻ると、ケマウジーは僕に「ちょっと待ってろ。」と言った。
すぐに、ケマウジーは何かを買って戻ってきた。
ケマウジーから渡されたのは、あの謎の黄色いドリンク缶だった。
それは、出会ったときに、僕が、「おいしい!」といったドリンク缶だった。
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言葉が話せないのがもどかしかった。
今の僕の気持ちを全力で伝えたかった。
でも、結局、その気持ちは言葉にならないものだった。
それでも、不思議と、自然に、言葉がこぼれた。
「チェズーティンバーデー(ありがとう)」
ケマウジーはニカッと笑った。
*****
ケマウジー、どうしてそんなにやさしくできる?
こんなにやさしくされたのに、自分という人間は、何もできやしない。
紙と鉛筆しか持っていない。
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旅をしていると、多くの人のやさしさに触れる。
一方で、それがあたりまえと感じて、人にやさしくされないからと、不満だらけの旅人もいた。
僕は、そういう人間にはなりたくないと思った。
この先、社会に出ても、人のやさしさを感じることができ、ケマウジーのように、人にやさしくできる人間になりたいと思った。
そして、誰かの役に立てるよう、自分にできることを増やしていきたい。
そのためにがんばろうと思った。
*****
「チェズーティンバーデー」
ケマウジーと別れたあと、夕日が沈んだミャンマーの大地で、暗闇に飲み込まれてたまるもんかと、僕は、全力でペダルを漕いだ。
お気持ちは誰かのサポートに使います。