進撃の巨人から学ぶこと
どうもこんにちは。
うじまるです。
緊急事態宣言の延長がきまりましたね。
僕も先日、バイトの都合でPCR検査を受けたのですが、陰性でした。
一度かかって治った状態なのか、そもそもかかってないのか。
よくわかりませんが、僕の周りでもかかってる人がいないので本当に危機感を持ちづらいなぁ〜なんて思ってます。
とにもかくにも早く終息してほしいものですね。
今日は気分を変えて漫画の話でもしようかと。
題して「進撃の巨人が風刺していること」です。
それでは早速参りましょう。
※以下からネタバレを含みますので、ご注意ください※
終焉を迎える進撃の巨人
『進撃の巨人』は2009年に連載を開始して、今年の4月にて最終回を迎えると言われています。
今までに例を見ないダークなストーリーでありながらも、謎に包まれた巨人の正体が徐々に明らかになり、様々な伏線が回収された時の点がつながる展開に多くの人が注目していた作品ではないでしょうか?
またアニメでは、立体機動装置による動きがなめらかで臨場感がアップし、とても見ごたえのあるアニメで、度々SNSでもそのキレイさ、作画の良さがバズっていました。
そんな人気を誇る『進撃の巨人』ですが、残り3話で完結とされています。
アニメもファイナルシーズンが放映されており、誰もがどんな終わりを迎えるのか、気になっているのではないでしょうか。
考察等の記事や動画はたくさん上がっていると思うので、ここでそういったことをするつもりはありません。
僕が考えたいのは、進撃の巨人がどんなメッセージを僕たちに投げかけているのかを考えてみたいと思います。
進撃の巨人は人間社会の風刺
複雑なストーリーで僕自身、完璧に追えている気がしてないので、あくまで僕が読んでみて考えて事を整理してみます。
ポイントは大きく3つです。
①差別の歴史
②教育の恐ろしさ
③戦争という手段
1つずつ見ていきましょう。
①差別の歴史
アニメだとファイナルシーズンの前のシーズンで明らかになっていると思いますが、唯一巨人になれる民族である「ユミルの民」であるエルディア人は差別の対象となっています。
作中では「悪魔の末裔」なんて言われ方もしています。
特にマーレでは、マーレ人とエルディア人の多人種国家なので、エルディア人は直接的な差別を受けることもありました。
それが原因でエレンのお父さんのグリシャ・イェーガーの妹は無残にも殺されてしまい、グリシャはマーレへの復讐を計画しましたね。
結果的にグリシャの計画は失敗に終わったものの、後世にも爪痕を残す形となりました。
そして、それに関わった色んな人に思惑が入り混じって、アニメでは全世界を巻き込む憎しみのぶつけ合いが始まろうとしています。
現代社会でも奴隷ほどの迫害や差別はないと言えど、世界の差別が完全に払拭されたとは言い難い状況です。
ちょっと前になりますが、アメリカの黒人の方が白人の警察に必要以上に強く捉えられ、窒息死してしまった事件を覚えていますでしょうか?
この事件は今だ差別が無くなっていないこと、そして差別がいかに悲しいことかを象徴する出来事でした。
結局のところ、差別は更なる憎しみや争いを生むだけってことをマーレとエルディアの関係から見て取ることができます。
②教育の恐ろしさ
二つ目は最近アニメでも放映された、エレンとライナーの再開のシーンが印象的です。
これはもう明らかになっていますが、なぜ壁の中のエレン達と壁の外のライナーたちは争っていたのか。
巨人になれるという点では、同じ「ユミルの民」の民族なのに。
それは、マーレの教育によるものだった、というのがタイバー家の演説によって明らかになりましたね。
といいますか、タイバー家以外の人たちは真実を知らなかったわけですから、都合よく解釈するしかなかったのかもしれません。
エレンの言う「仕方なかった」というのはここに由来するのかなと。
壁の中にいるエルディア人はマーレにしてきた罪から逃げた悪魔の末裔で、マーレに残ったエルディア人は罪を償う意思のある善良なエルディア人にならなければならない。
だから、壁の中のエルディア人を根絶やしにすることで罪は償える。
ライナーやアニ、ベルトルトはそうやって幼少のころから教わってきたのです。
それが真実かどうかを疑う余地を与えられずに。
それくらい教育には影響力があって、薬にも毒にもなるんだなと考えさせられました。
僕たちの生きている日本でも、お金の稼ぎ方や税金のこと、仕事に関することなどは重点的に習いませんよね?
これは、会社員になって税金が天引きされるのが当たり前で、国が都合よく税金を集めるための意図的なもの、という意見もあります。
多数が個人事業主になったら、ある程度経費にできて税金の徴収額が減るから、会社員に導くような教育をしているのでは?ということですね。
それが本当かどうかは僕には分かりませんが、大学に出てそこそこ良い会社に入るのが当たり前だと思っていたことは事実です。
そんな教育の”毒”の部分を前面に押し出したのがこの作品の特徴の一つなのかなと考えました。
③戦争という手段
差別、教育の歪み、それらが膨れ上がって本作では戦争に突入しました。
エルディア人を絶滅させたい全世界の人々と、そのために動いていたジーク。
そして、絶滅させられるくらいなら逆にエルディア人以外を絶滅させてエルディアを守るために戦うエレン。
それぞれの価値観をぶつけるためにとられた手段。
それが”戦争”です。
でも目的は同じなんですよね。
その目的とは、戦いを終わらせること。
世界から見たらエルディアが滅べば世界は平和になる。
エレンから見たらエルディア以外が滅べば世界は平和になる。
視点が違うだけで願うことは同じなのです。
戦争が無くならない理由の一つですね。
話が逸れますが、『キングダム』の呂不韋も言っていたことです。
「大義のために戦う者、仲間のために、愛する者のために戦う者。」
「私利私欲や復讐のために戦う者。」
「しかし、誰も間違っていない。」
そうなんですよね。
突き詰めれば、皆【自分が幸せになりたいから】戦っているわけです。
何をもって幸せと言うかは人それぞれです。
それをまとめようとするなら、何かしらの価値観を押し付けてそれ以外を排除するのが手っ取り早い。
つまり、ぶつけ合うしか手段がなくなる。
エレンも政もそれを分かっているから、各々の正義を貫いて平和な世の中を作ろうとしている。
人間の一番の面白い部分でもあり、難しい部分でもあるなと思います。
そう考えると、戦争という手段は間違っているけれど、そのありようは間違いでもないって気もします。
人を殺すのはどんな理由があっても良くない事だとは思います。
手段さえ選べば、ぶつかり合うのは悪いことではないと個人的には考えています。
相互理解につながる可能性があるからです。
上手くまとまりませんが、人を殺す以外の方法を模索する必要があるのでは?
ということです。
**************
はい。
いかがでしたでしょうか?
解釈違いがあったらすいません。
まとめると『進撃の巨人』という作品は、人間の歴史そのものを風刺しているってことが今回言いたいことでした!!
ただのファンタジーとして読んでももちろん面白いのですが、違う見方をすると話の入り方やキャラクターの見方も少し変わるかもしれません。
個人的には、33巻のアニが可愛い笑
気がついたら3000字も書いてて疲れたので、この辺にしておきます。
ではでは!
また来週お会いしましょう!
うじまる
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