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楽しみとはご褒美である


こんにちは。


今日はふと考えたことを
つらつらと書いていきます。


僕は最近どっぷりゴルフな
日々を送っているのですが


やっぱり当たるようになるまでは
正直つまんないんですね。



僕は誕生日にクラブを貰ったというのもあり
ちょっとした義務感みたいなものもありました。


加えて初めてのラウンドは
打てなさすぎて


序盤にして「帰りたい」を
連呼していたほどひどかったです。


友達と遊ぶのが楽しいのであって
ゴルフが楽しいわけではない


そんな一面も僕の中にはありました。


何事も最初は上手くいかない
というのは頭では分かってます。


ですが、目の当たりにすると
結構刺さるものがありましたね。


最近は急に跳ぶようになったので
純粋に楽しめる自分が出てきましたが。


そこで感じたのは
最初から楽しいことってないよなと。


あくまで僕の場合なので
あなたがどうかは知りませんが


少なくとも僕は楽しいの前提には
努力が必要だと思います。


思い返すと勉強でも、バスケでも
仕事でも、ゴルフでも、ゲームでも


楽しくなるための努力がありました。


解き方が分かったから楽しい
シュートが入るから楽しい
気持ちよく接客ができるから楽しい
珠が跳ぶから楽しい
相手に勝てるから楽しい


楽しむにもそれなりの
準備って必要なんだなと。


シュートが入らないからバスケはつまらない
で終わってしまったらそこまでで


バスケの楽しさを味わえることは
これまでもこの先もなかったでしょう。


極論、生まれてくることも努力です。


記憶はもちろんありませんが
数ある精子のなかから


競争をして生を勝ち取ってるわけですから
生まれるまでの努力をしてたわけです。


そう考えると生まれた時点で人生って
楽しいを約束されてるみたいで良いですよね。


だからといって楽しいが分かるまで
辛いことを続けろとは言いません。


理解できないもんはできません。


僕は多分一生かかっても絵画とか芸術の
楽しさって分からないと思ってます。


楽しいものはたくさんあっても
それを自分が楽しめるかどうかは別問題です。


ここで言いたいのは、楽しいと思えそうかの
見極めって大事なのかもなということです。


当たり前っちゃあ当たり前の話
なんですけどね。


興味があるから部活やサークルに入るし
やってみたいからその業種に就職する。


当たり前のことなんですが、
じゃあ自分の楽しめそうの基準って


なんだろうなと。


結局はそれもやってみないことには
わからないかもしれませんね。


矛盾した話になってしまいますが
そう思います。


やってみる→楽しそうかどうか
→やってみる→楽しい


これが楽しいを見つける
流れなのかなと。


僕が芸術に興味が持てないのも
学校の授業で触れて


性に合わないことを
無意識に知っているからでしょう。


そうやって過去の経験から
無意識に色んな判断を下せるのなら


どんな経験も無駄じゃないと
思わされました。


なんか脱線しちゃいましたが
あなたが今楽しいこと、つまらないことに


直面しててもそれは
過去の積み上げの成果であって


つまらないからといって
凹むことでもないし


楽しいならちゃんと誇って良い
ことなんだなと。


努力をしてその感情に
行き着いたのだから。


上手く言い表せませんが
自分と向き合うひとつのきっかけになったかもと


なんとなく感じることができました。


楽しいことって単純なようで
奥が深いなと思った記事でした!


ではでは
また次回お会いしましょう!!


うじまる

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