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死と隣り合わせ


緊急ニート宣言から16日

昨日は岡江久美子さんの訃報がニュースに流れました。

志村けんさんに続き有名な方々の訃報や感染の知らせなどが続々と報道されるようになりました。

いよいよ知らぬ存ぜぬでは済まされない状況になっています。


天気も良くこんなに晴れ晴れした気持ちの良い空気であっても

目に見えないウイルスに汚染されている世界。


こんなに死が日常に迫ってくるというのは初めての経験なので

正直身構えようにも身構えきれていなかった自分がそこにはいました。


というのも近所の人や周りの友達、職場の人など感染者が僕の周りにまだ一人も出ていないから油断している部分もあると思います。


ただ、そんな目に見えないもので人間って簡単に亡くなってしまうという事実も突き付けられています。


僕を含めて周りの人たちが感染していないのは奇跡でしかない。


このまま運よく乗り越えたとしても

自粛がなくなった時に感染する可能性は0ではないし

逆に感染させてしまう危険性があることも忘れてはいけない。


コロナに関係なく日夜大勢の方が亡くなってはいますが、今回ばかりは規模が世界規模です。

たった数ヶ月で世界中で約20万もの命が失われています。

平和に育ってきた僕としては想像を絶していて

実感として捉えることはできませんが、正気の沙汰ではないということは分かります。


自分の身は自分で守ることができる。

今回はそれと同時に他人の身も自分で守れる可能性もある。

やれることを改めてやっていかなとな。


そんなことを考えていた昨日


もし僕が死んだらどうなるんだろう?


そんなことが頭の中をよぎりました。


良く友達同士で「明日地球が滅亡するなら何する?」

みたいな質問がありますが

地球は明日滅亡しないにしても混沌とした今、一寸先は闇です。



死を身近に感じて、考えないといけない事なのかもしれない

そんなことを直感的に思ったのかもしれません。



さて、不謹慎で縁起でもないことですが

明日僕が死ぬと仮定したら僕はどう思うか。


真っ先に考えたのは家族、友人、仕事仲間などの今まで関わってくれた人達のことでした。


僕が死んだ時に関わってくれた人が別れを惜しんでくれるようなことを僕は出来てたかな?

そんな不安と疑問が駆け巡りました。


いやまぁ流石にちょっとくらいはいるでしょ!!

と思いたいですが自信はありません。


考えてもこればっかりは僕が出せる答えじゃないので
ゴミ箱にポイしましたが笑


次に

僕が明日死ぬとしたらどんな後悔が残るだろうか。

ん〜これは意外と思いつかなかったです。


結婚すらしていないので息子、娘、孫などの顔が見たいという気持ちはよく分からないですし

お金も明日死ぬなら持っててもしょうがないですし…。


死ぬタイミングが確実に明日なら親友や家族に別れの挨拶して

めいっぱい笑って泣いて顔をぐちゃぐちゃにしながら最期を迎えたいですかね。

ただ、それって後悔というよりも死の直前にしたいことなのでちょっと違う気もします。


ん〜ということは今を後悔がないくらい精一杯生きているか

人生に未練が残るほどの行動を何も起こせてないか。


十中八九後者ですね。

なので

個人憲法
第一条:別れを惜しまれる人になる

ここに宣言します。

具体的な条項はまた後程笑

_________________________


はい。

今日は重くて人によっては大炎上しそうな内容でした。


でもこういう儀式的な確認って時々した方が良いと思ってます。

特に今は明日は我が身の状態です。


道半ばで亡くなった方々の死を無駄にしない為にも悲しむだけじゃなくて

僕たちはそこから何かを学ぶ必要があると思ってます。


偽善的かもしれませんし、人の死を利用していると思われる方もいるかもしれませんが

そのおかげで人類は今日まで存続してきているのもまた事実です。


次に繋いでいく


それが僕ら人間の役割でもあるのではないでしょうか?


そんなことを考えた昨日の夕方でした。


うじまる


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