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五感=幸福感コントローラー

少女漫画の片想いの描写とかによく「ただ見ているだけで幸せなの」というセリフがあるけど、あれは本当だと思う。

きれいなもの、かわいいもの、かっこいいもの。大好きな人の姿や大切なペット、すやすやと心地よさそうに眠る赤ちゃんなんかを、いつまででもずっと心ゆくまで見つめていたい。

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好きなものを眺めているとき、確実に視覚からエネルギーが供給されているのを感じる。生命力にあふれた自然界の動植物も、太陽や月や星の光も、雄大な山々と空や海、流れのままに刻一刻と形を変えていく雲も、静かにあるいは激しく燃え盛る炎も、そして人の手によって作られたけっして有機的ではない建造物や都市の灯もすべて、何らかのエネルギーを与えてくれる。

東京駅

以前こんな記事を書いたのだけど、物質とは周波数という情報によって『素粒子の波や粒』が固まって具現化した、目に見える音そのもの。

(上記より引用)
有機物も無機物も、生命も物体も、あらゆるものがそれぞれの音楽を奏でている。大自然のなかで太陽の光を浴びたり星空を眺めたり、あるいは美しい絵画を前に心を打たれたりする時、耳には聞こえないシンフォニーが高らかに細胞に響き渡っていて、その音楽に魂を揺さぶられているのである。

何かを見ているのは、すなわちその周波数の音波=波動に共鳴しているということで、振動自体がエネルギーだから、好きなものを眺めるという行為によって自分の身体、細胞がそのエネルギーを得て震えてるってことなんだよね。

バイオレゾナンス

もちろん、視覚だけじゃなくて、音楽を聴いたりいい香りをかいだりおいしいものを食べたり気持ちいいものをさわったりも一緒で、ヒトが幸せを感じるのって、五感のすべてをめいっぱい使ってるときだと思う。

おいしいものを味わって、おなかも心も満たされて、うっとりとこぼれる「あー幸せ…♡」というつぶやき。耳から流れ込んでくる心地よい音楽や、愛する人の優しい声。お気に入りの香りを身にまとった日はウキウキといい気分で、やわらかな肌ざわりの寝具に包まれて眠る夜には、きっと素敵な夢を見る。

バラ

逆に言えば、五感がちゃんと活用されていないとき、心が抜け殻のようになってしまうんじゃないかな。何も動かないから自分が生きてるのか死んでるのかもだんだんわからなくなって、それでどうにか痛みの感覚だけでも得たいと願うあまりに、己の身体に傷を刻み込んだりしてしまう人もいる。それくらい、『何も感じられない』ということが幸せの対極にあるということ。

ダンボー

だけど、きれいでかわいい、自分の好きなものばっかりに囲まれていればいいというわけじゃない。おいしいものしか食べなかったら味がわからなくなるし、いい香りだけをかいでいても鼻が効かなくなってくる。電子はかりみたいに、ゼロ点を把握しておかないと基準もずれていくし、一方に偏れば必ず限界が来るか、もしくはスケールエラーが生じてしまう。

それを調整するために、イヤなこと、嫌いなものもしっかり感じる必要があるんだ。ポジティブ=陽だけじゃなくネガティブ=陰も含めてたくさんのことを知ったうえで、ゼロ点の基準値を定めてあらゆる物事を感じ取っていくことが大切なんだと思う。すべてはバランスだから、かたっぽだけを追い求めていたら成り立たないし、都合のいい面しか見えていないとしたらそれはきっと歪な形をしていて、いつか崩壊するときがくる。

陰陽図

でも、汚いものや見たくないものをちゃんと認識できたら、それと同じ分だけ美しい世界も広がるということ。捉えられたものが深ければ、その振れ幅に合わせたものを感じ取ることができる。まずいものを食べたことがなければおいしさがわからないように、打ちのめされるような悲しみや痛みを知らずには、歓喜の涙に身を震わせるような感覚も味わえない。

ヒトとして肉体を持って生まれた意味は、どれだけ五感を活かして身体感覚を研ぎ澄ませ、幸福感を高められるかを試してみたかったからなのかもしれない。ポジティブもネガティブもプラスもマイナスも陽も陰も玉石混交に渾然一体となった世の中で、さまざまな身体感覚を味わって、そしてゼロ点=ニュートラルなポイントを定めて世界を広げ、自分にとっての幸せを形作っていく。そしてそれがついに達成されたとき、きっと肉体を手放して元いた場所に還っていくのだろう。

だとしたら。この地上にいるあいだに、もっともっとたくさんのものを見て聞いてかいでさわって味わって、いっぱい感じて心を震わせていきたい。肉体をもってしか味わえない幸せというものを実感するために、ここに生まれてきたのだと、わたしはそう思うから。

お福分けのひとしずくをありがとうございます!この波紋を大きく広げていきたいと思います。