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夜に読むんじゃなかった。-平松洋子 著 『サンドウィッチは銀座で』


人の一生における食事の回数は、およそ9万回。初めて知ったとき、私は「少ない...!」と思った。

けれど、1日3回×365日、仮に80歳まで生きるとして×80で約8万8000回。この計算でいけば9万回もないうえに、「その年齢まで1日3食食べられるかわからない」とすると、もっと少なくなる。

その9万回のうち、「記憶に残るほどおいしい食事」ができるのって、いったい何回くらいなのだろう。

以前、先輩のライターさんが「ミズキさんは絶対に好きだと思う」と、平松洋子さんの本を紹介してくださった。調べてみると、「食文化と暮らし」をテーマに食エッセイを数多く執筆されている方だ。

『忙しい日でも、おなかは空く。』

『夜中にジャムを煮る』

『世の中で一番おいしいのはつまみ食いである』

出版されている本のタイトルから、先輩ライターさんが「これってミズキさんのことでは...?」とおっしゃった。私もまた、「これは私のことでしょう...?」と思った。

忙しい日に“こそ”おなかが空くし、夜中に突如ジャムを煮始めるし、料理をこしらえている間にひとつふたつつまんでは、いつのまにか取り分ける量が足りないのである。

きっとみんなこうして、“自分へメッセージが向けられている”と信じながら、本を手に取るんだろうな。そんなしあわせな勘違いのなかで私は、数ある平松さんの食エッセイのなかから『サンドウィッチは銀座で』という本を購入した。


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単刀直入にいうと、夜に読んだことを猛烈に後悔した。最初の見出しである「春を探しに」というふんわりやわらかな雰囲気に、すっかり油断していた。


「たらの芽です」ぷっくりふくれた楕円形が、懐紙のうえにころり。すかさず箸でつまんで口に運ぶと、あちちっ。舌のうえをほっほっと転がしながら、一気呵成に揚げたてのおいしさを捉えにかかる。こりっと軽やかな抵抗を嚙みほぐすと膝を崩すように割れ、野山の香りが口いっぱいに満ちた。


イエローカード。


ぼよん、ぼよん、ぶるるん、タンポポオムライスは表面張力たっぷりに揺れる。ーーー黄色と赤いごはん、さらにまっ赤なケチャップをたらして三つ同時にすくい、口に運ぶ。とろっとろの半熟がごはんにしなだれかかり、舌のうえで身も世もなく抱き合うからこっちもいささかたじろぐのだが、照れている場合ではない。


イエローカード。


じゅわーっと肉汁がほとばしる「黒豚餃子」の味はたまらない。キャベツ少なめ、にら多め。黒豚の濃厚なうまみがたっぷり詰まったでかい奴。かりっと焦げめがこころを乱す焼きたてに囓りつくと、むちむちの皮が歯のあいだでくいっと抵抗を見せる。いやーんもう、がぶりっ。まず一個やっつけたところへ、冷たい生ビールをきゅうーっ。


反則、レッドカード。「いやーんもう」は、こちらのセリフだと思った。

かつて、スーパーファミコンのドンキーコング2で「ズルしないでじっくりクリアしようね」と約束したのに、ひとりだけワープできる場所を攻略本で完璧に習得していた私の幼馴染くらい、反則。私の率いるディクシーコングは、マグマでクロコダイルにしゃくしゃく食べられてばかりだったというのに。

それより、「スーパーファミコン」と活字で打ったのはいつぶりだろう。

誘惑のレッドカードを突きつけられたけれど、それこそ文章をワープして読むことも、本を閉じて途中退場することもせず、むしろぐんぐんと読みすすめた。

なかなかボリュームのある厚みだったので「1週間くらいかけてじっくり読もう」と思っていたのに、ことごとく続く反則カードと格闘しながら、2日間で読み切ってしまった。

本のなかで平松さんは、天ぷら、うなぎ、オムライス、ちりなべなど、さらに熊まで召し上がっていて。読み手の私は、それらを堪能する平松さんを目の前でまじまじと見つめさせていただいているような気持ちになって。季節ごとの食材を楽しめるだけの知識と奥深さを持っているのって、とっても羨ましい。

タイトルに入っているだけあって、サンドウィッチの描写にも心がわしわし揺さぶられた。

バターの香るパンに挟まれた鮮やかな食材たち、ほおばる瞬間の食感、温度、一緒にいただく昔ながらのブレンドコーヒーの味わい。生クリームとみずみずしい果実のフルーツサンド、熱々さっくさくのメンチカツサンド。

心がわしわし揺さぶられたというより、胃袋をがつがつ鷲づかみにされていた。食べていないというのに。

もっと引用してみたいところだけれど、この先は紙をぺらりと指でめくる感覚とともに読むのが一番だと思う。


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購入してから気付いたのが、エッセイの合間に、谷口ジローさんのていねいな絵が描かれていたところだった。

谷口ジローさんといえば、あの「孤独のグルメ」を描かれた漫画家さん。食エッセイのプロとグルメ漫画のプロ…読んでいて、翻弄されないわけがない。

味や食感だけでなく、お店の細やかな雰囲気や、料理を提供している方の佇まいまでありありと浮かぶエッセイだった。

「夜に読むんじゃなかった」と表現したけれど、おいしい料理を活字で堪能しながらゆったりお酒をのむことを踏まえると、「夜にこそ楽しめる」という考え方もありそう。

巻末にはお店の住所と電話番号が載っているから、旅のお供に連れていく素敵な本としてもぴったりかもしれない。おすすめしてくださった先輩ライターさんにも、お礼を伝えたい。

 


▼ 【 こちらからお二人の対談が読めました 】


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