そんなときこそ地域研究!
1. 国際政治系シンクタンクによる研究会のZoom視聴参加
ロシアよるウクライナへの攻撃開始後、テレビやネット記事を見てて思うのは、日本人には地域情勢に疎いところがあるな、ということ。
某コメンテーターはテレビでの発言がネット記事に取り沙汰され、それにまた反論めいた言説をテレビでもTwitterでも繰り返すので、国際情勢への知識のなさがさらに露呈している。
Facebookでフォローしていたり、友達になっている人たちの投稿やコメントのなかにも、ロシアによるプロパガンダを鵜吞みにしたような過度にプーチンに肩入れした、偏った見方が見られることがあった(主にユダヤ陰謀論を信じている方々である模様)。
かく言う私も日常生活に追われ、新聞やニュースなどを常に追えているわけではなかった。ポーランドと地理的な近さからか今回の件の背景に関する文献を教えて欲しいと頼まれたが、ウクライナの事情は分からない。民族、文化的な側面からのウクライナとロシアの関係性や歴史的背景を知りたいと思った。
そんな折、慧眼の智を与えられる機会に恵まれたのだった。
大学時代にEU論・国際関係論ゼミでお世話になり、2019年春に東京外国語大学教授職をご退官され、現在JFIR上席研究員の任に就いておられる渡邊啓貴先生がゼミ卒業生へ宛てた一斉送信メールで告知くださり、JFIR(日本国際フォーラム)の緊急座談会「ロシアのウクライナ侵攻を考える:国際社会に与えた衝撃と今後の課題」にZoomでオンライン視聴をさせていただいた。
専門家の7名の先生方(肩書きは本稿下部のプログラムに記載)による7分ずつの鋭く洞察に富んだ知見を、情報を整理することで自分が忘れないためにも、関心のある方に共有させて頂くためにも、知人から勧められていたが使う機会が持てなかった note へ早速登録し、初めての投稿をさせていただきます。
※JFIR(日本国際フォーラム)によるユーラシアの地域情勢に関する緊急特設サイトはこちら。
2. ウクライナ―地政学的事情と民族の絡み具合
宇山智彦氏によると、帝政時代より「ロシア人」は大ロシア人(現在のロシア人)、小ロシア人(ウクライナ人)、白ロシア人(ベラルーシ人)の3集団から成るとされていた。
14世紀よりウクライナの大部分はリトアニア大公国の勢力下に入り、その後リトアニアがポーランドとの同君連合国家となったことで、ローマ=カトリックなど西方文化の深い影響を受けた。
第二次世界大戦時にソ連からの侵攻を受け、共産党支配下に入る。旧ソ連時代、ウクライナは連邦にとって食料庫とも呼べる穀倉地帯となったが、飢饉の時に自国で取れた穀物を全て他国に送られ飢餓が発生するなど搾取された苦い記憶がある。
冷戦後EUに加盟できずにいるが、ロシアにも与せず、「独自路線」をとった(松嵜英也氏)。2004年のオレンジ革命を経て、2010年に政権に返り咲き改革路線を後退させようとした親露派ヤヌコーヴィッチへの大衆のデモを契機とした失脚(マイダン革命)により、汚職や政治腐敗の温床となる親ロシアと袂を分かった。
近年、ウクライナはさらに西側寄りとなっていった。理由は、2014年のロシアによるクリミア併合である。クリミア併合がきっかけとなり、地域の安全保障環境が不安定化した結果、ウクライナは(日本を含む)西側諸国からの支援なしでは立ちいかないほど依存するようになっていった。
つまり、ゼレンスキー前任のポロシェンコ政権から始まるウクライナの「ロシア離れ」というロシアにとって好ましくない局面は、ウクライナをやむにやまれぬ状況に追い込んだプーチン政権自身が生み出したことになる。
3. 歴史家プーチン―ウクライナへの妄執示す論文
宇山智彦氏によると、プーチン氏にはアマチュアの歴史家としての一面があり、2017年7月に「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」と題した論文を発表。
そのなかで述べられているのは、ロシア人とウクライナ人が「一つの民族」とする主張である。キエフ・ルーシをはじめ、ロシアとウクライナの歴史的共通性だけを強調し、差異を無視。西欧の影響を「異質」なものとして扱い、ウクライナの人々(特にコサック)は終始ロシア人としての意識を持ち続け、ロシアの対ポーランド戦争は「抑圧」からの解放だったと主張。
帝政ロシア時代、ウクライナ人は「小ロシア人」としてロシア人と基本的に平等に扱われた一方、ウクライナ人としての独自性の主張は弾圧された。この歴史を想起させるかのように、プーチン論文はウクライナが別個の民族だという主張は容赦なく切り捨て、ロシアで教えられてきた「兄弟民族論」との共通性を持たせ、一般のロシア国民に受け入れられやすいように巧妙に書かれている。
大・小・白の歴史的「ロシア」の再統合が自分の使命だと思い込んだプーチンは2014年、親露派ヤヌコーヴィッチの失脚によるウクライナでの混乱に付け入る形でクリミアを併合。ドンバスに実質的に8年介入を続けたが、言うことを聞かせられないことにしびれを切らし、バイデン政権のアメリカが国内外に抱える弱みに乗じて、今回特段の混乱が生じていたわけでもないウクライナの多くの地域に侵攻した。
プーチンのウクライナへのこだわりは、2008年4月NATOサミットの際に非公開の会議の場でジョージ・ブッシュ大統領へ向かって放たれたとされる「ウクライナは国家ですらない」の発言にも表れている。
宇山智彦氏によるここまでの解説を聞くと、某氏による「NATOはロシアの主張を受け入れ、譲歩すべき」というNATOを主語とした繰り返しの発言は、知ってか知らずかウクライナを国家として認めないプーチンの認識を踏襲したものであるような印象を受ける。
4. ロシア国民覚醒なるか―「帝国」に生きる人々の価値観
一方、鍵を握るロシア国民の動向であるが、信じがたいことに侵攻直後のプーチンの支持率は7ポイントも上昇している。
これについて、常盤伸氏はリベラルな政治思想家であるウラジーミル・パストゥーホフ ロンドン大学教授を引き合いに出し、下記の論考を寄せている。
ロシアの歴史的プロセスを決定するのはプーチンの意志や個人的資質よりも、むしろ大衆が背負っている歴史的に解決が不可能な「文化的基層」であり、(1)帝国的な虚栄心(2)専制主義への傾倒(3)父権主義への慣れとされる。
帝国国民と非帝国国民の心理には乗り越えられない違いがあり、帝国国民であるロシア人の心理にはロシア正教のメシアニズムの伝統がいまだ根付いており、常に「グローバル」に向かって本能的に行動するのだと言う。ITやSNSの普及により、都市部ではクリーン政治や民営化を志向する西欧的な考え方も浸透してきているが、地方のロシア人に西欧文明の一員になることを提案しても、受け入れてもらえないだろう。時勢に応じて東から西にベクトルを変えたウクライナ人との文化的な差異がここにあるということである。
プーチン政権はこのような大衆心理を巧みに操り、ロシア愛国主義にとって絶対不可侵の存在である大祖国戦争(独ソ戦)でのナチスドイツに対する勝利の記憶をもとに、ウクライナをナチスと同一視するプロパガンダによって国内向けにウクライナ攻撃を正当化することに成功したのであった。
5. 岐路に立つ国際社会と民主主義の行方
プーチンが当初思い描いていたのは、ロシア軍が首都キエフを無差別攻撃で制圧、ゼレンスキー政権を倒し、傀儡政権を樹立させ、「非ナチ化」「武装解除」達成の勝利宣言をするシナリオである。
現在、国際社会の後押しを受けたウクライナでは抵抗が続いており、今のところプーチンの思い描くシナリオ通りにはなっていない。ロシア軍死者も増加している。しかし、軍事規模で圧倒するロシアがいずれ制圧してしまう可能性が高いと見られている(そうであって欲しくない一心だが)。
ただその場合も、ロシアにとって都合の良い状況は決して生まれず、争いは続く可能性が高いと専門家たちは口を揃えた。
袴田茂樹氏は、今回の侵攻を受けてゼレンスキーの支持率はウクライナで急上昇しており、そんななかで4,000万人の人口を抱える傀儡国家建設はロシアの厳しい(これからさらに厳しくなる)台所事情からしても不可能との論考を示した。
また、廣瀬陽子氏は国際社会から孤立したロシアは国内の混乱を受けてアフガン化する危険性もあるとの見方である。廣瀬氏によると、西側諸国によるロシア主要銀行のSWIFT排除を含む経済制裁が本格的に効き始めるには少し時間が必要で、プーチンの巧みなプロパガンダにより真実を知り得ない農村部に住むロシア人たちも、経済制裁の効力によって「何かおかしい」と気づくことになるとのこと。いずれにせよ、今回の件を受けて世界秩序は大きく変わる。アメリカは世界各方面に目を凝らす必要に迫られ、孤立無縁状態に陥ったロシアに対し人民元決済などさまざまなディールで交渉を有利に進めることで漁夫の利を得ることとなる中国はますます幅を利かすようになる(内政不干渉主義を標榜する中国はロシアのウクライナ侵攻を必ずしも喜んでいるわけではないようだが)。
「ウクライナは西側か、東側か」、事象の背景を深堀した意見に耳を傾けるとそんな大きなテーマが見えてきた。
しかし本来、洋の東西を問わず、「自由」や「公正さ」を求める人たちには与えられて然るべきもの、それが19世紀以降に広まった「国民国家」による「民主主義」の求心力であり普遍性ではないのか。
ウクライナ国民の「自由」への希求とロシア国民の「自由」への希求、それぞれの国民に託したい。そして、民主主義の恩恵を受ける私たちもまた、この価値観を支え、積極的に守っていく必要がある。
だから、今後も地域研究を怠らない。
6. 緊急座談会「ロシアのウクライナ侵攻を考える:国際社会に与えた衝撃と今後の課題」
≪プログラム≫
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