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戦後教育を斬る!!(憲法夜話2)⑥

国民不在の「教育基本法」

ここまで「アメリカ教育」とは何かを見てきたわけだが、この観点から見たとき、はたして日本の戦後教育はどういう評価を与えられるべきだろうか?

その答えは改めて言う必要もないだろう。

日本の戦後教育ぐらい、非アメリカ的で、非民主主義的な教育はない!!

何しろ、この日本国で子どもたちが教わる歴史といえば、いかに自分たちの祖先が邪悪で野蛮であったかのオン・パレードである。

しかも、それに加えて行なわれているのが、恐るべき知識偏重教育である。

ただひたすらに知識を、それも意味のない暗記を強制され、受験に通ることだけが「善」であると教えられる。

これでは学級崩壊が起こり、家庭内暴力が起こるのも当然ではないか。

何しろ、日本の学校教育には、子どもたちを「人間にする」、「日本人にする」ための教育がすっぽり欠落しているのだ。

日本の教育は「社会化」の機能を失って久しい。

なぜ、このような教育が行われるようになったのか?

その原点は例の教育基本法にある。

試みに教育基本法をネットで検索してご覧になるといい。

わずか18条しかない短い法律だから、すぐに読めてしまうだろう。

さて、この教育基本法の特徴は「日本」という概念がすっぽり抜け落ちていることにある。

教育基本法 ← 文部科学省のサイト

教育基本法前文(部分)我々は、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

教育基本法の前文には「世界の平和と人類の福祉の向上に貢献」するという、まことに崇高かつ抽象的な目的は掲げられていても、「日本人として」といった言葉は一切出てこない。

ましてや愛国者を作るという、あのアメリカ式教育の影も形も見ることはできないのである。

なぜアメリカは日本の教育を「堕落」させたのか?

戦後日本で行われてきた教育とは、アメリカが押し付けた非アメリカ式教育である。

ここまで記事を読んできた読者の方は、上のような結論に到達されたであろう。

戦後教育はちっとも民主主義的ではない。

近代国家における教育ではない。

ましてやアメリカ式教育でもない。

では、いったいなぜ日本を占領したアメリカは、このような教育基本法を定めたのか?

アメリカ式教育の良さを誰よりも知っている彼らが、なぜ日本の教育にそれを求めなかったのか?

そう疑問に思う方は多いであろう。

その答えは簡単である。

【答え】戦前日本がアメリカ式の教育を行なって、大成功を収めたから・・

戦前の日本では、アメリカ式の教育が行われていた!?_

そう聞くとびっく仰天する人が多いのかもしれない。

だが、これは紛れもない事実である。

そもそも明治以来の日本が、短期間で極東の一小国から世界の「列強」の一員になることができたのは、ひとえにアメリカ式教育、近代的教育の力といっても過言ではない。

まこと“教育こそ国の基礎であり、憲法の基礎”である。

アメリカが恐れたのは、まさにその戦前の教育が復活することだった。

もし、戦後もアメリカ式教育が行なわれ続けたら、どうなる。

日本人に愛国心を与えたりしたら、かならずや敗戦国日本はアメリカに対して復習線を仕掛けてくるに違いない。

こう考えたのである。

明治政府に立ちふさがった「巨大な壁」

戦前の教育は、まるでアメリカの教育と瓜二つだった。

こう言うと、たいていの日本人は眉をひそめる。

戦前の日本といえば、狂信的で、時代錯誤で、前近代的で、封建的で・・と、まあ、こんな形容詞を連想する人が多い。

その戦前の日本で行われてきた教育のどこがアメリカ的なのかと思ってしまうのも無理もない。

だが、明治以来の日本で行なわれてきた教育の主眼は、まさにアメリカのそれと同じなのである。

明治の新政府にとって、最大の課題は不平等条約の改正だった。

幕末に相次いで来航した欧米諸国は、日本に対して不平等条約を強制した。

日本には関税を自主的に決める権限もなければ、日本の法を犯した外国人を処罰する権限もなかった。

幸いにして日本は中国のように植民地にはならなかったものの、主権国家として認めてはもらえなかった。

日本の扱いは「半主権国家」であった。

この不平等条約を何とか撤廃し、日本を欧米と対等な主権国家にしたい。

それが明治の指導者たちの宿願であった。

そこで明治政府は革命の余燼が残る明治4年(1871)、いわゆる岩倉使節団を派遣して、欧米との条約改定に当たらせた。

ところが、これに対して欧米側の反応は冷淡だった。

欧米の言い分は、要するにこういうものであった。

「日本も欧米並みの近代国家になりなさい。そうしたら主権国家として認め、対等の条約を結んでやらないこともない」

この返事を聞いて、明治政府の首脳が「何としても日本を近代国家にしよう」と考えたのは言うまでもない。

ところが、そこに大きな壁が立ち塞がっていた。

というのも、日本を近代国家にしようと思っても、近代国家に不可欠な「国民」が存在していなかったのである。

つづく

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※ この記事は日々一生懸命に教育と格闘している現場の教師の皆さんをディスるものではありません。

【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)

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