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戦後教育を斬る!!(憲法夜話2)⑤

「アメリカの栄光」を強調する歴史教育

アメリカ人は勉強は大学から始まり、研究は大学院から始まると思っている。

よって、大学一年生が読み書きをろくにできなくても、分数の計算ができなくても気にしない。

そんなことは大学になって勉強しても間に合う。

そう考えるのである。

事実、そのような学力で入学した新入生が、のちに立派な学者になった例はアメリカでは珍しくない。

では、高校まで何を教えるのか?

それが社会化、つまりアメリカ人になることである。

この目的の達成が全てに優先する。

その基礎教育の中でも、コミュニケート能力にも増して強調されるのが民族教育である。

つまり、アメリカ人としての誇りを与える。

アメリカに対する忠誠心を養い育てる。

そこで重要になってくるのは、歴史教育である。

すなわち、ピルグリム・ファーザーズの入植から始まって、独立宣言、独立戦争、南北戦争・・アメリカ民主主義の生い立ちを「これでもか、これでもか」というほどに教える。

現在の体制は、先人たちの血と汗によって築かれたものであることを教え、「アメリカ民主主義は命を賭けてでも守るべきものだ」ということを児童・生徒の脳髄に焼き付けるのである。

言うまでもないことだが、この場合、教えるのはもちろんアメリカ史の「光」の部分が中心である。

すでにご承知のとおり、アメリカ史は輝かしい側面を持つ一方で、汚辱にまみれた一面を持つ。

まず第一に挙げるべきは、西部開拓におけるアメリカ先住民(当時の言い方では「インディアン」)への迫害、殺戮である。

白人は先住民たちを容赦なく殺し、追い払い、彼らの財産と文化を奪った。

さらに、忌まわしい奴隷制度の存在である。

アメリカにあった奴隷制度は、世界史上のどの奴隷制度よりも残酷であった。

中国やギリシャ、ペルシャにも奴隷はいたが、アメリカの黒人奴隷ほど人間としての尊厳を踏みにじられはしなかった。

中国やエジプトでは奴隷が宰相になった例さえあるが、アメリカにおいて奴隷は消耗品として扱われた。

何しろ「奴隷市場」なるものが全国の各地にあったのだ。

この奴隷制度の存在は、アメリカ建国の精神、あの独立宣言の崇高な理念からすれば、絶対にあってはならないもの。

しかも、アメリカ経済はこれら黒人奴隷の犠牲によって繁栄の基礎を築いた。

この奴隷制度は南北戦争のとき、リンカーン大統領によって廃絶されるわけだが、そこで黒人に対する差別は終わったわけではない。

黒人に対する有形・無形の差別や迫害は今なお残っている。

しかし、こうしたアメリカ史の「暗黒面」は決して学校の授業で触れられない。

触れるとしても、できるかぎり穏やかな形にして伝える。「独立の父ジェファソンは、陰で奴隷女に子どもを産ませていたと言われています」などと、したり顔で教える教師は、まずいないのである。

そんなことを教えるよりも、栄光に満ちた歴史のほうを徹底的に強調する。

子供たちに「アメリカは誇るべき国」、「素晴らしい歴史を持った国」と言うイメージを持たせるためなのは言うまでもない。

英雄伝が英雄を作る

さて、ここで断っておくことが一つある。

それは「歴史教育と歴史研究は違う」ということである。

アメリカの歴史教育では自国の「光」の部分だけを教えると書いた。

その一方で、汚辱に満ちた部分はできるだけ隠す。

これがアメリカの学校で教えられている「アメリカ史」の特徴である。

もちろん、こうした「アメリカ史」は歴史研究の立場からすると、歪曲された歴史ということになるだろう。

「真実をゆがめ、嘘で塗り固めている」となじる人もあるに違いない。

だが、歴史教育の目的は、子どもたちに真実を教えることにあるのではない。

それよりも重要なことは、愛国心を養い育てることにある。

大目的の達成のためには、多少、いや、かなり真実をゆがめても許される。

アメリカ人はそう信じて忠実に実行しているのである。

もし、そうした歴史に真実を知りたければ、大人になってから学べば良い。

何しろ、アメリカ史に関する限り、アメリカには一流の研究家が揃っているし、その種の研究書は山のように揃っている。

先住民に対して開拓者が何をしたか、奴隷制度がいかに醜悪なものであったか。

こうした恥ずべき過去について、アメリカの歴史家は実に科学的に、しかも徹底的に調査・研究している。

アメリカの陸軍大学校、海軍大学校を見学する者は、みなその歴史教育の充実ぶりに驚く。

またアメリカの大学におけるヨーロッパ史の科目の多様さにも驚嘆する。

こうした歴史研究が充実していることもあって、アメリカ人は自国がいかに有色人種などにひどいことをしたかを知っている。

だが、だからといって、それを子どもに教えるべきだと唱える人はあくまでも少数である。

歴史教育とは。あくまでも“栄光の教育”でなければならないことを知っているからである。

若者の心は、栄光に満ちた物語や英雄伝によってのみ鼓舞される。

いくら真実であろうとも、自分たちの先祖の悪行を見せつけられたて発奮したという子どもは滅多にいない。

これは洋の東西を問わぬ真理である。

たとえば、アブラハム・リンカーンは子どものころ貧しくて、学校にも行けなかった。

彼の教師は、たった三冊の本だった。

『聖書』と『イソップ物語』と『ワシントン伝』。

このうち前二冊は母親が買い与え、ワシントン伝は彼自身が選んだものである。

若いリンカーンは、この三冊だけを繰り返し繰り返し読んだ。

彼にとっての教養は、これが全てであった。

だが、この三冊によって、リンカーンは「代表的アメリカ人」になった。

彼の演説はアメリカ人を感動させた。

英雄の電気を読むことで、リンカーンもまた英雄になったのだ。

つづく

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※ この記事は日々一生懸命に教育と格闘している現場の教師の皆さんをディスるものではありません。

【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)

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