戦後教育を斬る!!(憲法夜話2)⑨
教育勅語は儒教思想にあらず
戦前の教育を語る上で、絶対に忘れてはならないのが「教育勅語」である。
教育勅語は、まさに戦前教育の真髄であり、中枢であった。
戦前の子どもたちは教育勅語をそれこそ暗唱できるほどに繰り返し唱えさせられた。
小学校の儀式では、御真影(天皇陛下の御肖像)を奉った奉安殿への拝礼、教育勅語の奉読、「君が代」の斉唱は三点セットとして必ず行われていた。
そのくらい教育勅語は絶対視されたのである。
では、教育勅語はなぜ、そんなに重要だったのか?
この点について、正確な理解をしている人はあまりに少ない。
ことに戦後の日本では、教育勅語は「封建的な儒教倫理」の押しつけと断罪されることが少なくない。
たしかに教育勅語は一見、儒教道徳を説いているかのように思える。
「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ・・」
今日、教育勅語の復活を主張する多くの人たちは、こうした徳目が消えたことこそが現代社会の混乱を招いたと見ているわけだが、これらの徳目はたしかに儒教的ではあるが、儒教そのものではない。
たとえば、もしタイムマシーンに乗って、教育勅語を孔子に読ませてみるといい。
孔子はたちまち「こんな思想は、儒教ではない」と断定するに違いない。
念には念を入れて、孟子、朱子にも読ませてみてもいい。
いずれも「これが儒教だなんて、とんでもない」と激しく否定するであろう。
なぜか?
それは勅語の中に「臣民」なる語が使われているからである。
「我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして・・」
「爾臣民父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し・・」
「朕が忠良の臣民たるのみならず・・」
「朕爾臣民と倶に拳拳服膺し・・」
本来の儒教において、「臣民」という言葉が使われることは決してない。
なぜなら、臣と民とは別個のものであって、とうてい並列できるようなものではない。
つまり、「臣」とは支配階級・高級官僚、「民」とは一般の庶民である。
ところが、勅語には「臣民」なる語が頻用されている。
実は、ここにこそ教育勅語の真の意図があるのだ。
「君子と小人」の区別を説いた孔子
本来の儒教では、臣と民とはけっして並列されない。
というより、並列されるようなことがあってはならない。
なぜなら、儒教とはそもそも民のための教えではないからである。
では、儒教とはいったい何なのかといえば、「君子」とか「士」と呼ばれる、いわゆる支配階級の人々に倫理と行動規範を与えるための教えである。
こうした人々が儒教の教えに則って、正しく政治を行なえば、その結果として「民」は救済される。
その意味において、儒教は集団救済の宗教である。
したがって、儒教は「民」を直接の対象としない。
孔子はしばしば「君子」と「小人」を並べて教えを説いているが、これを「立派な人」と「そうでない人」と訓んではいけない。
「支配階級」と「人民」に置き換えて読まなければ、本当の意味が通じない。
「君子の徳は嵐なり、小人は下達する」(『論語』顔淵。「治者の徳政は風のようなものであり、人民はその風に吹かれる草のようなものだ」)
「君子は上達し、商人は下達する」(『論語』憲問。「支配階級の人々は向上心があるが、人民は放っておけば堕落する」)
「君子はこれを己に求む。小人はこれを人に求む」(『論語』衛霊公。「政治家は何事も自分に責任を課すが、庶民は他人のせいにする」)
このように、孔子はことあるたびに弟子に向かって「君子たる諸君は、そこらへんの庶民と同じような意識でいてはならない」と説いたわけである。
したがって、儒教では「君臣」と言うことはあっても、「臣民」とは絶対に言わない。
そもそも中国の社会は孔子の時代も、また、その後もずっと階級社会であって、臣と民との間には一体感などないのである。
つづく
※ この記事は日々一生懸命に教育と格闘している現場の教師の皆さんをディスるものではありません。
【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)
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