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私自身が経験した1995年の阪神大震災

#大切にしている教え

1995年1月17日、私は兵庫県神戸市彼岸市灘区に住んでいました。当時私は18歳で、大学の1年生でした。当日は朝早く起きなければならなかったのですが、疲れていたので、少し寝坊してしまいました。そのため、震災が起こった時はまだ寝ていました。

突然の揺れに目が覚めました。最初はただの揺れかと思っていましたが、しばらくして、ようやく気がつきました。これは地震だということに。家中が揺れ動いており、壊れる音や破裂音が聞こえてきました。。揺れが激しくなり、家具や本棚が倒れ、近くの家からは壁が崩れ落ちる音が聞こえました。私は怖くて、身動きもできずに布団に横たわっていました。長い時間が経過したように感じましたが、実際には30秒ほどの間でした。揺れが収まると、外に出ました。外に出ると、周りの建物が倒れ、道路には大きな亀裂が入っていました。人々がパニック状態で走り回っていました。

揺れが収まるとすぐに、私たち家族は近くの所いう学校に向かいました。そこでは、多くの人々が避難していました。食べ物や水、暖かい服などが不足していて、避難所では混乱が続いていました。私たちは一晩中、寒い中、自宅から持ってきた小さなテントの中で過ごしました。残念なことに、私が住んでいた地域は、震災の被害が特に激しく、多くの建物が倒壊し、多数の人々が亡くなりました。この事実を目の当たりにした瞬間、私は人生において人の命の重さを深く理解するようになりました。

この経験から、私は人の命の重さを改めて感じました。地震が起こった瞬間、私たちは一瞬で自分たちの命が危険にさらされることを知りました。同時に、多くの人々がこの地震で命を落としたことも知りました。私はこの経験を通じて、人々がどれだけ脆弱であるかを学びました。

震災後、私たちは復興に向けて努力しました。多くの人々が自分たちの家を失い、生活に困窮していました。私たちは彼らのために、何ができるかを考え、寄付をしたり、ボランティア活動を行いました。私たちができることは少なかったかもしれませんが、少しでも役立てばと思い、力を合わせました。私は震災の経験を忘れず、常に他人に対して思いやりを持ち、助け合うことの大切さを心に刻んでいます。現在、私は大学で教育者として働いています。私は全ての科目やpログラムを通して、学生たちに自分たちの命の重さを理解し、それを大切にすることの重要性を教えることを使命としています。私が経験した阪神大震災は、私たちに多くのことを教えてくれました。私たちは、この経験を忘れず、今後も人々が幸せな生活を送るために貢献していくべきです。

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