見出し画像

障害を持ってても恋人できるんだ

質問箱に以下の文章が届いた。

私が働いているところは障害者の方(身体、知的、精神)も働いているんだけど、バレンタインの時期、知的障害の方が「彼氏に何あげよう」と話している際に「彼氏、出来るんだ」とびっくりした自分がいたの。
あとあとになって考えると、「出来ない前提で考えてたからびっくりしたんだな、これって差別だな」「自覚のない差別じゃん」って思った。
知識も大事だけど、その場にいないと分からない事、体験しないと分からないことがあるんだなって。

「無自覚の差別について」と初めに書いてあった。

まず知的障害とは何か。

知的障害とは、知的機能の障害が発達期(おおむね18歳未満)にあらわれ、日常生活の中でさまざまな不自由が生じることをいいます。例えば、複雑な事柄やこみいった文章・会話の理解が不得手であったり、おつりのやりとりのような日常生活の中での計算が苦手だったりすることがあります。

東京都福祉保健局 ハートシティ東京 より

・軽度
・支援があれば、読字や金銭などの概念を理解することができ、また買い物や家事なども1人でできるようになる。
・コミュニケーションはパターン化されていることが多く、ほかの人と比べると未熟である。
・記憶や計画、感情のコントロールなどが苦手である。
・中等度
・読字や金銭などの概念は小学生レベルにとどまり、常に支援が必要である。また買い物や家事など1人でできるようになるまでは長い時間をかけて支援が必要である。
・単純なコミュニケーションであればできる。
・判断や意思決定をすることが難しく、支援が必要である。
・重度
・読字や金銭などの概念について、ほとんど理解することが難しく、常に支援が必要である。また食事や身支度、入浴などを含むすべての日常生活上の行動では、継続的な支援が必要である。
・身振りや、単語・句を区切った単純なコミュニケーションであればできる。
・最重度
・認識できるものは目の前にある物理的なものに限り、常に支援が必要である。また食事や身支度、入浴などを含むすべての日常生活上の行動では、他者の支援がないと難しい状況である。
・身振りや、単語・句を区切ったコミュニケーションでも理解が難しいこともある。

LITALICOワークス お役立ち仕事コラム より

まとめると、文字を読んだり釣り銭などの計算だったりコミュニケーションが苦手であったり、それらが支援がないと出来ませんという障害なんだと思う。

そしてこのツイートを思い出した。

これらを踏まえて個人的見解を述べる。私が思ったのは2つだ。長くなると思うから、時間があるときにでも読んでください。(わかりやすいように普段使わないようにしているけれど”健常者”と”障害者”という言葉を使います)

①どんな人であれ恋愛は出来るし、してはならないなんてことはない

送ってくれたあなたは「障害者は恋愛しちゃダメ」なんていう価値観は持っていないはず。しかし、「障害者は恋人ってできないんだろうな」といった決めつけが無自覚で脳内にあった。

「知的障害だから」なのか、「障害者だから」と大きな括りでそう考えていたのかは分からないが、知的障害だけを切り取っていたのなら他の障害を持っている人に対してはどう感じていたか。言葉を選ばずに言えば、「障害者でも愛されるんだ」ということになる。

深堀りをした時、自分ともっと向き合えると思う。でも、ここで自分が差別してしまっていたと気付けたのは良いことなんじゃないだろうか。

ここで先ほどのツイートを振り返ると、気付いた瞬間に「自覚のない差別をしていた、今日からやめよう」と考えたかもしれない。そのあなたをどうか忘れないでいてほしい。職場でのことだったから狭いコミュニティの中で発生したことなだけであって、世界は広い。

②なんでもかんでも差別と言うのは違うのではないか

少しズレるが、「障害者と付き合いたくない」という拒絶の声がある。

とはいえ、これらは言ってしまえば単なる価値観であって、例えば、身長や声、喫煙などの”自分では今すぐに簡単に変えられない”部分がタイプじゃないと言っていることと同じなのではないか。

たしかに”障害”という単語はどうしてもマイナスに捉えられがちではある。私が精神障害者であるから当事者としてあえて書くが、一見健常者に見えても実は障害を持っているとなると、一瞬にしてメンヘラというレッテルを貼られる。すると同じように恋人できるんだと言われがちだし、もはや恋人が賞賛される確率は高い。

でも話を戻して置き換えると、例えば「喫煙者でも恋人できるんだ」って考えたらそりゃそうとしか思わないと思う。あとは借金しているとか反社会組織との関わりがある人間が恋人いるとなると驚くのと同じではないか。

①で障害を持ってしても恋人が出来るんだという思考を差別として話を取り上げているから急に何やねんって思うかもしれないけれど、実質そんなことないのかなって。

なんか言いたいことまとまってなくて申し訳ない。とにかく、”どうして障害を持っていると恋人が出来ないと考えていたのか”を突き詰めてみてほしい。

**********

色々言ったけれど、障害を持っていると健常者と同じようなことが出来るかと言われたらそんなことはない。だから恋人が出来ないものなんだなと考えるのは世間的にもあるあるだと思う。

難しい話題ではある。異論はあるだろう。もう少し先の話をすれば、恋人が出来て結婚して、子どもを授かりたい2人がいるとする。これは健常者でも障害者でも一つの命を責任を持って育てられるかは同じだ。

障害は遺伝する可能性がある。それは仕方がない。私を例に出せば、精神障害が遺伝するかもしれないし、さらに子育て中に症状が出たら自分のことで精一杯になってしまうのは目に見えている。

「障害を持っている自分を将来介護をしてもらえるし、子どもが欲しい」という方々は少なくともいる。もし遺伝しなくても子どものためを考えていない。そういう理由でならやめた方がいいという考えは私もある。というか、やめてほしい。

その反面、健常者であっても障害を持つ可能性、急に貧困になってしまう可能性もある。また、最初から金銭的に無理があるのにコンドームない方が良いという理由で性欲に任せてデキちゃいました、でも育てられません。そんなのは許されない。

自らのエゴで授かってほしくない。将来子どもが介護してくれるから、コンドームない方が良いから。可能性を考えていたらキリがないため、それは置いておいても、育てられる環境、子どもが欲しい理由が大切なんじゃないかなと思う。

いや、本当に支離滅裂だな。何時間かかけて書いたのに。言語化能力を身につけます。すみません。

質問箱に送ってくれたあなたが、差別をしていたと考えたのなら軌道修正してほしい。だからといって自責しすぎないでほしい。ということを結論として終わります。

難しい話題だよなぁ。障害を持っている私でも難しい。でも考えさせられる内容だった。送ってくれてありがとう。

読んでくださりありがとうございました。
また来週!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?