見出し画像

【発達凸凹】入学後、小学校の支援に不安を感じた時のこと。

こんにちは!ツナです。
発達凸凹(ASD)な息子との暮らし、あれこれを綴っています。

今回は若干(?)ボヤきまじりの内容です。よろしければお付き合いくださいませ。

春になると思い出すこと。

春になると毎年、息子が小学校に入学した日のことを思い出します。
誇らしげにランドセルを背負って、ぴかぴかの笑顔で跳ねるように歩む息子。入学式ではさっそく列から外れて先生に捕獲されていたなぁ。←

テンションMAXな息子を治めるのには往生したけれど、晴れやかで楽しい日として大切に記憶に刻まれています。

ただ、少しだけ。
そんな輝かしい日に影が差した瞬間があって
私はそれが忘れられないのです。
入学式を終えて(通常学級の)教室に入った時のことでした。

忘れられない一言。

入学式が終わってほっとしたのでしょう。
教室内は緊張感から解き放たれた子どもたちでなんともにぎやかでした。先生の話を聞いてる子はいるのかな?と思ったくらい。笑

当然、わが息子もテンションMAXです。
じっとすることはもはや不可能、席にも座ろうとせずおしゃべりが止まらない~。すぐ隣にいた私の制止も耳に入らない状態でした。

はたから見たらものすごく落ち着きのない子。
なんなら迷惑な子。
でも、息子の特性を考えると無理もないことなんですよね。

ところで、あくまでも私個人の感覚ですが…
"積極的スルー" とでも呼べばいいでしょうか。こういう時、他のご父兄がいい感じに見て見ぬふりしてくださるのは本当にありがたいんです。
園・学校関係では特に、周りの方々の積極的スルーに助けられていると感じます。

そんな中、唯一ぐさりと刺さったもの。
それは補助に入ってくださった先生の言葉でした。

「お母さん…この子は大変ですね…。」

辟易? それとも同情? 
そんな口調と表情でしみじみ言われた時の悔しさといったら…!今でも忘れられません。

確かにあの時、息子は「自分でやるからいいの!」「このやり方がいいの!」と、手を貸そうとする補助の先生にことごとく反発していました。先生が「大変だなぁ」と感じるのもやむを得ないと思います。
でも特性上どうにもならないことは多いし、それは入学前から(特別支援学級の利用申請をする中で)くり返し学校に伝えてきたことなのに…。

保育園の先生は、保育者。
学校の先生は、教育者。
同じく "先生" と呼ばれる存在とはいえ、その役割の違いはもちろん分かっています。必要とされる知識やスキル、ひいては子どもに対する姿勢も異なるでしょう。
そうはいっても…そんな発言、する?

保育園の先生方の親身なサポートに慣れていたせいもありますが、あまりにショックな出来事でした。

小学校の支援に一抹の不安。

もちろん、1人の先生のたった一回の言動で決めつけるのはナンセンスです。でもこれを機に「小学校では、保育園のような手厚い支援/理解は望めないかも」と一抹の不安を覚えるようになりました。

実際、ほどなくこの不安は的中します。
冗談でしょ?と言いたくなるような対応、耳を疑うような発言をされたことも数知れず。その度に愕然としました。
発達凸凹について理解している先生のなんと少ないことよ…。これについては追々書いていきたいと思います。

保育園の特別支援と、小学校のそれは全然別物。
このギャップに戸惑うのは、もしかしたら "発達凸凹育児あるある" なんじゃないかなぁ。

小学校生活も4年目。正直なところ、私は「小学校の特別支援なんて張りぼてじゃん!」との思いを募らせています…(現在進行形)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?