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【ショートストーリー】観客

ー1ー

バイクの操縦には自信がある。
操縦という言葉をつかった。運転といった方が一般的なのは承知している。
でもオレにとってはバイクは操縦なんだ。相手を気遣いつつ、こちらのやり方も認めさせる、そんなニュアンスを感じさせるんだ。だから『操縦』なんだ。
オレの愛車は決して、高価ではないし、希少価値があるわけでもない。ごく普通のバイク、ありふれているといってもいい。
オレがこいつにまたがり、エンジンをかけ、走る。それはこいつと一体化することを意味する。一体化した俺たちはもう別の生き物になるんだ。値段なんてつけることができない。希少価値なんてどっかいっちまえ。『俺たち』は唯一無二の存在なんだ。

その日、いつものように、ここだと決めた道をひたすらまっすぐに走っていった。国道を選んだ。交通量は多い。
目的地は設定していない。ただひたすら走る。そして気の向くままに脇道にそれる。しばらく走って、またそれて……その繰り返しだ。
日が暮れてきた。前方にファミリーレストランの看板が見えてきた。減速し、駐車場に乗り入れる。バイク用のスペースはガラガラだ。
そのファミレスは一階部分が駐車場になっていて、その上に店舗が建っている。階段をあがって店内に入ろうとしたとき、ふと遠くの方に団地群が見えた。かなり規模が大きいようだ。ほとんどの窓から明かりが漏れている。
——どれぐらいの人数が住んでいるんだろう?
そんなことを考えた。

店から出ると、外はすっかり暗くなっていた。
そろそろ帰ることを意識した方がいいのかもしれないとは思ったが、さっきみかけた団地群が気になる。帰る方向とそれほど大きくそれてはいないはず。この道を行けばおそらくたどり着けるだろう、と見当を付け、『俺たち』は駐車場を出た。

バイクは車と違う。車のように『箱』で保護されていない。別に車をディスっているわけではないが……
当然、雨が降ればぬれる。風がダイレクトにあたるから、寒いときもある。
『風を感じることができる』とバイク乗りが口にする所以だ。
日中は暖かかったため、割と軽装で出発し、それで寒さを感じることはなかったのに、このときから急にヒンヤリと冷気を感じるようになった。日が落ちたせいだろうか。それにしても、冷たさの質が気になる。
進行方向から冷気が忍び寄ってきているのだ。寒風ではない。風はほぼ吹いていない。冷気なのだ。夏、空調機の吹き出し口の前に立つと感じる冷たさに似ている……。
いや、それよりも悪意のある冷気。悪意のある冷気って、どういうことだろう。

進むにつれ、建物が減っていき、やがて、道の両側は木や植え込みしか見えなくなった。どうやら、この道、大きな森林公園を分断して伸びているらしい。そういえば団地のそばに緑地が見えたっけ。間違いなく目的地に進んでいるようだ。

カーブを曲がったとたん、車が駐車してあることに気がつく。
——くっ
発見が早かったのと、車まで若干距離があったため、かわすことはできたが、こんなところに駐めるとは非常識だ。
文句のひとつもいってやろうと思い、通り過ぎるときにガラス越しに車内を見たが、誰も乗っていなかった。
仕方ない。そのままやり過ごして少し進んだ、ミラー越しに車を一瞥したそのとき、
ものすごい音量でハードロックが流れ始めた。ヘルメットをしていても相当なボリュームだと分かる。
あの車か?
そうとしか考えられない。なかに人がいたに違いない。隠れていて、それでカーステレオで脅かしたんだ。
マズイ、と思った。犯罪に巻き込まれる。新手の「煽り」なのか?
とにかくこの場から離れないと、周囲に人通りは皆無だ。
バイクを再発進させた。加速させる。車のヘッドライトがついたような気がするが、ミラーで確認する余裕などない。相手に殺意があったとしたら、こちらは絶望的なほど、不利だ。
だが、このスピードのままでは危ない。事故が起きる。自分が、どうかなるのは仕方ないとしても、人を巻き込んだりしたら、それこそ一生償わなければならない。
前方に、あの団地群が見えてきた。たくさんの窓が、ある。
ここまでくれば、助けを呼ぶことだってできるかもしれない。
とにかく落ち着きたかった。スピードを落とし、路肩に寄せて駐めた。バイクから降り、ヘルメットも取る。
汗をかいていた。

しばらくしゃがんでクールダウンした。例の車は追ってこない。確かめる気もしない。夢だったのか。もう大丈夫と思えるまで路肩にしゃがんでいた。

実際には五分も休んでいなかったが、もっと長く感じた。
取り越し苦労だったようだ。
気を取り直して、バイクにまたがりエンジンをかける。
スタートさせる前に左右の団地を見上げる。一世代前のデザイン。正直何の魅力も感じない。なんでこんなものに惹かれたのだろう。
とにかく、道なりに進めばそのうち国道クラスの大きな道にぶつかるだろう。
時計を見た。
午後七時八分だった。

ー2ー

進むにつれて、違和感を感じ始めた。
もう一度時計を確認する。
午後七時十九分。
平日のこの時間にもかかわらず。人の気配が全くない。
進みながら、いくつかバスの停留所を通過したから、路線バスが通っているのだろう。普通ならこの時間、帰宅する人たちが歩いていてもおかしくない。だが人っ子ひとり歩いていない。バスも車も全く見かけなかった。
さらに冷気が我慢できないくらい強くなってきている。冷たさを通り越して痛みを感じるほどだ。上は強化ナイロンのジャンパーだが、下は革製のパンツをはいている。にもかかわらず足の太ももあたりが冷たくなっていて仕方がない。
この団地、入居前か何かで、実は無人なのかと考えたが、ファミレスから見たときはほとんどの窓から明かりが見えていた。
そういえば、道路に面した窓から明かりが見える部屋は一つもない。
たまたま、なのかもしれないが。これだけ多くの窓がありながら、ひとつも明かりがついていないなんて不自然だ。
改めて、窓を見上げてみる。
明かりはついていなかった。
でも、人の顔が見えた。明かりのない真っ暗な部屋から、外を、オレのことをジッと見ていた。
画質の荒い白黒写真のように。
無表情で。
顔を動かすことなく、目だけが動いて、オレの動きを追っている。
目につくすべての窓から、無表情の顔が、オレを目で追っていた。
何十いや百は超えている。おびただしい数の顔が見下ろしている。
転倒しそうになり、なんとかバランスを保った。
—— 映画か何かの撮影用セットに迷い込んだ?
—— 素人をだますテレビ番組か?
いやそうじゃない。そんな生やさしいモノではないことぐらいオレが一番よく分かっている。
視線の圧がものすごいのだ。
いったい、この団地群はいつまで続くんだ。戻ることも考えた。だがオレのなかの何かが『それは最悪の決断』だと警告する。
このまま進む。スピードを上げよう。一秒でも早く、ここから脱出したい。
そう思った瞬間、エンジンが止まった。バイクは惰性で進んでいるが、みるみるうちにスピードが落ち、とうとう停止した。最悪だ。なんでこんなことになったんだ。
オレはバイクをうち捨てると、全速力で走り出した。
ヘルメットが重い。だが、これだけは取りたくない。取ったら、何かされてしまうような気がしたからだ。
—— 相棒を見捨てるのか?
とがめる声。
仕方がないじゃないか
—— なぜそうなる
幽霊だよ。怖いんだ。何かされるに違いない
—— それで相棒を見捨てるのか
相棒じゃない。バイクだよ。意思があるわけないだろう
—— 自分さえ助かればいいのか
その通りだ。そうだ、朝になったら取りに戻るよ
—— 朝が来ると思っているのか
うるさい
—— あのときのような朝がもう一度訪れると……
その瞬間、全力疾走していたオレは、走るのをやめた。
—— もう一度訪れると本気で思っているのか?

あのときのような朝? ああそうだ。相棒との初めてのツーリング。気がつくと夜明けの海岸にたどり着いていたっけ。
綺麗だったな、あの朝日。
相棒のおかげで見ることができたんだ。だから……
ここで相棒と別れたら、もう二度とあれを見ることはできなくなるんだ。

オレは引き返した。バイクを押して一緒にここから逃げる。
一緒に朝日を見るんだ。
オレは絶対に窓を見ないように歩く。前だけを見て進んだ。
すぐにバイクにたどり着いた。思っていたほど逃げることはできなかったようだ。
『相棒』を起こす。
キズがついたかもしれないが、暗いので確認できない。
すべてはここから逃げてからの話だ。
バイクを押しながら進む。
なんだか、友だちに肩を貸してやっているみたいだ。

笑い声が聞こえたような気がした。
いや、本当に笑っている。煽ったって無駄だ。絶対にそっちを見ないからな。
見なければ、なんともないんだ。
オレを馬鹿にしたような、笑い声だ。
かと思うと、哲学的な思慮深い笑い。
乳児が喜んでいるような笑い。
——無駄だ。
ラジオのボリュームを徐々に下げるように、笑い声は小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。

右側に何かの気配を感じる。気のせいであってほしいのだが、残念だ、ついてきているらしい。
人間という生きものは本当におかしい。こういうとき、なぜかそれを見たくなってしまう。オレは、顔を向けて「それ」が何かを確認したいという、ゆがんだ衝動が頭をもたげるのを感じた。
—— 絶対に見てはいけない
ひたすら前だけを見て、バイクの重みに意識をむけながら、気をそらそうと必死になる。
「それ」がどういう形なのか分からないが、「顔」を近づけてきた。「息」がオレの頬にかかるのを感じた。匂いもなにもしない。ただ「息」が頬をなでるのだ。
街灯の下を通過した。
上からの明かりが周囲を浮き立たせ、やがて光の輪から抜け出すと、容赦ない闇が襲ってくる。
「こっちをみても、いいんだよ」
確かにそう聞こえた。
耳元で囁かれた。
オレは立ち止まり、首をそちらに向けた。
肉の塊だった。
たくさんの顔が、ぐるぐるとかき混ぜられながらも、オレに目を向けている。
様々な顔、男だったり女だったり子供だったり年寄りだったり。
全員が笑っていた。
手のような物が伸びて、オレの肩をつかんでいた。
目をそらそうとしても、できなくなっていた。
信じられないけど、操られてのことではなく、自分の意思だった。
もっとよく見てやろう。忘れることなどないように。
オレは「ソレ」に魅了されてしまった。
何かの音で我に返る。
バイクのエンジン音だった。始動させた記憶はない。
——いこうぜ、相棒、一体となるんだ
そういっているような気がした。
我に返る。
こいつのおかげで戻ってこれた。
オレはバイクにまたがると、走り出した。
加速させる。
頬に感じていた息と、気配が遠ざかっていく。
気持ちの良いスピードだ。
一体化した俺たちにもう怖いものなどない
『観客』どもを魅了してやろうぜ、相棒

前方が開けてきた。大通りとぶつかるようだ。
団地群が終わる。
最後にチラリと窓の一つを見た。「顔」はものすごい形相でこちらをにらみつけている。
『俺たち』にかなうわけはないだろう。
信号は、青だった。
スピードを下げる。ここからは人間の世界だ。
オレは相棒を駆って、大通りに抜けた。入れ違いに路線バスが団地方面に向かっていった。車内は利用者でかなり混み合っている。
団地群の窓からは、暖かそうな光が漏れている。
ちょっとあの日の朝日に似ていなくもない。

(終)







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