つくね@天☪︎*。꙳

26歳♀/葬儀社勤め7年目/日記調文体は#天ism/空想と現実は#天の世界/Lifes…

つくね@天☪︎*。꙳

26歳♀/葬儀社勤め7年目/日記調文体は#天ism/空想と現実は#天の世界/Lifestyleは96年製 某音声収録界隈で【天と書いてそらと読む人】

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青の下で私はキミに恋をする

晴れた空は好きですか。陽射しの強い、眩しい空は好きですか。目を細めて見上げる太陽と目が合って、ついニヤけてしまう感覚。伝わりますか。 ここまで書くとお分かりかと思いますが、私は青い空が大好物です。三度の飯より青い空。繁忙期の激務も休日が“☀マーク”なら耐えられる。 2月は7/8の確率で休日の☀を勝ち取りました。もう最高です、言葉が無い、例えようが無い。Give me 語彙力。青い空の下を駆ける時間に何より救われます。年齢と共に健康的な汗なんて機会減るじゃないですか。代謝と

    • 憧れという夢から醒めて

      夢の続きを記そう。 ご無沙汰しています。 最後の書置きから半年以上が経ちました。 想像通りの目まぐるしい日々の中、業務に明け暮れ、休日前夜には天気予報を検索し、 晴れた空の下を駆ける。 そして時々転ぶ。 久しぶりに膝に大きな痕を作ってしまった。 これもまた青春だと笑いたいところだが、 若さを理由に笑っていられるのもあと数年かもしれない。 憧れるのを辞めた 結論から言うと、まだ同じ職場にいます。 憧れを追うのを辞めました。 辞めるのを辞めました。 笑っちゃいけない笑える話

      • この気持ちに名前をつけるなら

        予期せぬハプニングはあったものの、事前に気づくことが出来て及第点で現場を終えた。 今日こそは呼び戻される訳にはいかなかった。 そんな今日の感情に敢えて名前をつけるなら何なのか。今日はそんな話。 ある日私は恋をした 5年間の片思いをしていました。 案外一途だと思います。 相手がひとりじゃないわけですが、 敬愛と名のつく恋であれば許されるのでは無いでしょうか。 彼等の背中に、経験から滲む自信に、それらが現れたご案内ひとつひとつに恋をしました。 一目惚れで始まったこの恋はいつか

        • 『ご無沙汰しております』の中身

          ご無沙汰しております。 いやホントに。 久しぶりに筆を取ろうと思って、と記しつつ随分とお暇を頂きました。 あの日あの時声を交わしたどこかの誰かは今でも変わらず笑えているでしょうか。 夏の終わり大好きな夏の“袖を掴んでいられるのも”残り僅か。蝉が鳴く朝があるかと思えば夜は鈴虫が鳴き始めている。毎年巡ってくると知りつつも大好きな季節なだけに夏との別れは案外切なく。秋もまた“日常”が色鮮やかな装いで満ちるだけに捨て難いものの、9月となれば“September”。プレイリストはいつ

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        青の下で私はキミに恋をする

          ビールの様な年だった

          再度久しぶりに“筆をとる”気になった。 毎日書き続けているのには意味があった。 声で録る事も筆で書き残す事にも意味がある。 忘れない為だ。 間違いなく自分の為だ。 でも強いて言うなら、続ける事は案外楽じゃない。 得意なことではある。 それでも、ひとりじゃ続けてこられなかった。 見てくれたんだ、見届けてくれたんだ。 あの日あの時出会った誰かが、いつも。 どんな時でも。 物書きも収録も、素人のお遊びなりに続くのは、聴き手がいるから、読み手がいたからだ。 あの日あの時の私の声を

          ビールの様な年だった

          手の届く月と見上げる華

          久しぶりに“筆を執る”気になった。 約2年続けた音声収録に昨晩ピリオドを打ち、ある種の意で手が空いたからとも言える。 ラジオもそう、noteもそう。 有難いことにコアなファンが居た。 居たんだ、彼等彼女は間違いなくそこにいた。 時の流れに合わせて、やっぱり彼等彼女は“旅立って”行った。 世の中に永遠なんてものはなく、縁は結ばれ円を描いても、時に解けて擦り切れて絡まって、同じ場に留まらずカタチを変えて移ろっていく。 あの日あの時の感動や心の躍動は一時の気の迷いだ。私はそれ

          手の届く月と見上げる華

          青空の下で涙を拭いた

          別に泣いちゃいません。 “演出”です。 むしろ笑顔です。 青い空は笑う為にある。 私の自論です。 雨は空にもヒトにも必要です。 “涙”は何回流れてもいい。 次にまた笑う為に、気が済むまで頬を濡らせばいい。 心からそう思います。 今年もまた大切なご縁に出逢えました。 失ってばかりだと思っていた25年。 その終わりも、26年目の駆け出しもやはり多くのものを失いました。 死神が手を叩きそうな“不幸体質”。 見送った回数は職務外だけでも数えたくないくらいです。 そのくせ明日が晴れ

          青空の下で涙を拭いた

          特別と日常

          何処にでもある様な4月末日。 如何お過ごしでしょうか。 暇すぎる業務とたわいもない雑談と 定時待ちの退勤待機。 今期の最終日は想像以上に緩やかな時間だった。 『お疲れ様です』の一言に熱が篭もる。 意味合いの違う『お疲れ様』だった。 明日以降彼等彼女達の声は事務所に響かないし、姿を見ることは無い。 ホントに最後の『お疲れ様でした』だった。 クッキーとフィナンシェと2行のメッセージカードの入った紙袋を持ち帰り、想像通り途方に暮れた。 日はとうに暮れて夜が始まった時間だった。

          あの日以来の夏の味だ

          今年の夏はどんな味なのだろう。 やはり、私の知らない味なのだろうか。 昨年の夏の日に『この夏は私の知らない味がした』と一言添えた。 とある漫画の受け売りだったりする。 知らない景色だった。 文字通り美しかった。 見たことの無い眺めがそこにはあったんだ。 二度と拝めないと知りながら、時に恋しく思うほど、それはそれは“夏夜のマジック”さながらで。 人はこうして日々を鮮やかに記憶するのかと思い知らされた。 あれ以来、夜行秘密を再生すると心が何故か痛むのは、アーティストのせいではない

          あの日以来の夏の味だ

          さよならは言わない

          私は小さな蕾をつけた。 いつ花開くか分からない、咲けるかどうかも分からない、草木の足元に小さく埋もれた名も無き蕾だ。 隣に咲く花を、早々と咲き誇っていく'仲間”を羨みながら、穏やかな季節に吹きつける”季節外れの風“に幾度となく耐えてみたりした。 いつか咲くんだと。 花開いてみせるんだと自己に言い聞かせながら。 むしろそれしかしてこなかった。 いつかの日を夢みながら、過去を肯定するために今を生きる。過去現在未来、区分訳はそんなもんだ。 明日のことは気にしない。 とは言え

          さよならは言わない

          涙の数だけそこにあった

          多分泣くんだろうな、は 多分泣いたんだろうな、に変わっていた。 必要以上に抜け落ちた記憶を、人の手を借りて埋め合わせた。酔ってしまいたかった私と、あの場所でさえ“忘れる”を防げない、記憶の遺せない自分が手を取り合ってしまった感じ。 『あと5日しか会えないなんて嫌です』と本気で泣き崩れたようで、恥ずかしいような本音だからというような。 人を好きになる感覚を忘れているはずが、“敬愛”についてはしっかりと抱いて離さない感情のようだ。 思い出すだけであと3回泣ける、との私の冗談

          涙の数だけそこにあった

          『君が吐いた嘘と本当📖』

          『君が吐いた嘘と本当📖』

          ピザを頬張る“太陽”がすき

          ピザを頬張るあなたが好き。 あなたの笑い声が好きだ。 副支社長という指揮官でいながら 時々童心に帰るあなたの心が好きだ。 あくまで、敬愛を込めてだが。 陽の昇らない静かな朝、 暇が産んだ憂鬱なひととき。 らしくないほどに朝から悩みを零した。 あなた宛てのピザを配達員の代わりに 事務所へ届けた。 『ありがとう』に文字通り✨が込められていて 『最近食べてなかったもーーーん!』という無邪気さに口角が上がったのは言うまでもない。 36歳だぞ。 入社以来ずっと眩しかった“太陽

          ピザを頬張る“太陽”がすき

          君は太陽

          君は太陽だ。 手を伸ばす程に明るさを増す、手の届かない太陽だ。 いつも眩しくて輝いている。 君が輝きを増す程に、私は深い影に落ちる。 どうしてそんなに眩しいんだ。 少し分けてくれないか。 そう思うのは我儘なんですか。 同じ景色を夢見るのは我儘なんですか。 見透かしたように微笑んでは 遠くで笑うあなたの事を 羨んでみては バレないように手を伸ばしている。 蓋をした心の中に“水”が溢れて溺れそうだ。 泳げない私を岸まで導いてくれないか。 背中を追うのが好きだ。 好きだよ。

          全部夜のせいだ。

          休みの日の雨は嫌いだ。選択をすることも朝日の香りを吸うことも陽の光を浴びることも無く、何事もなく時は流れた。AM10:00、社員からの電話で起こされ、内容に肝を冷やした。結果は取り越し苦労で終わったようだが、私は“また”忘れていたらしい。 人生はジェットコースターだと例えたことがある。よくある例えでもあるかもしれない。上り調子も下りの時も、勢いで進む時もあれば、時には点検も必要。壊れてしまえば動けないのも同じ。 今年の私は壊れないで進めるだろうか。毎年悩んで“休養期間”と

          全部夜のせいだ。

          四月は階段の途中

          桜が最後の“演出”を終えようとしている今日この頃。気がつけば4月も中頃に。どうせまた気づいたら夏が来て、“夏の日差しが弱まるように心に影が差して”、冬がやってくる。そうして季節は巡っていく。 4月は階段の途中だと思うことにしている。世間は新入社員を迎え入れ、学生は卒業式や始業式を経て新しいステップへ。弊社は新卒生は4月いっぱいは本社預り。現場へ飛び出すのは5月から。今年は何人残るかな。楽しみにしているよ。 私も今年は飛躍の年になると信じている。過ごした時間をカタチで評価す

          四月は階段の途中