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全部夜のせいだ。

休みの日の雨は嫌いだ。選択をすることも朝日の香りを吸うことも陽の光を浴びることも無く、何事もなく時は流れた。AM10:00、社員からの電話で起こされ、内容に肝を冷やした。結果は取り越し苦労で終わったようだが、私は“また”忘れていたらしい。

人生はジェットコースターだと例えたことがある。よくある例えでもあるかもしれない。上り調子も下りの時も、勢いで進む時もあれば、時には点検も必要。壊れてしまえば動けないのも同じ。

今年の私は壊れないで進めるだろうか。毎年悩んで“休養期間”とも言える思考停止期間を設けている。あくまで業務には穴をあけず、心の穴が塞がるのを待つだけ。

出会いがあれば別れは同数あるものだ。毎日そんなモノに触れてはいるが間もなく祖父の7回忌だ。感情的になるのは祖父のせいか違うのか、はたまた人のせいにしてしまいたいだけなのか分からない。

またねは、再会のためのおまじないだ。私はサヨナラが嫌いだから。あまりに片道なセリフが嫌で、敢えていつも『また逢いましょう』と口にしてきた。それでも結局片道なことも、いつも皆先に逝ってしまうことも知ってる。

きっとこの先も変わらない。今日も何処かで、また何処かで。日々もがく私を他所に、相も変わらずアナタ達は自由に羽ばたいて、知らぬ間に周囲を魅了するのだろう。場所を変えた先でも。こちらの思いは露とも知らずに。

でもきっとそれでいいんだ。ひとりの時も、独りの時も必要で、誰かの声がアナタの声が私の声さえ必要な時もきっとある。必要な時に交わる道で、握手が叶えばそれでいい。歩けば道になる。みつを先生が今日も私の支えだ。


この仕事に触れている間は、どれだけ悔しくても涙を流してもひとりで歩いていける。

『私強くなれたかな。間違っちゃったかな。』

どうせ今日も返事は来ない。

きっと夜のせいだ。

あの日と同じ雨の夜が、過ぎた日々を窓に映してるんだ。

硝子より脆い思い出、傷つくの分かってて抱え続けて何年経つだろう。失いたくないじゃない、失ってからの方が眩しいんだ何もかも。

月夜に眺めても、雨に濡れても、陽を浴びても。過ぎた頃に眺める“欠片”は憎らしいほどにいつも眩しい。

負けないから。

どれだけ願っても振り向かないくせに、後で詫びても遅いから。

それにもう、十分すぎるくらい泣いたから。

 残りは笑って過ごしていたいんだよ。

(2022/04/15)

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