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BAR自宅、リキュール

 バーには黒猫がいる。
 テーブルの向こう側に座る、真っ黒ツヤツヤの毛並みと金色の目、くたくたのやわらかい体が自慢の、ねこが。

 

 飼い主は最近、どうも悩んでいるらしい。
 食事に迷い、飲み物にさえ迷い、ため息を吐いては腹を撫でる。
 そう、いつの時代も世の男女の話題をさらうもの。体型についてである。
 確かに最近彼女は太った。ねこから見ても分かるくらい確実に、だ。体重計に乗って恐る恐る数値を眇め見る彼女といったら、それはもう可哀想なほどに眉を下げている。
 猫にとってみれば飼い主が太ろうが痩せようが大した問題ではないのだが、本人にとってみれば一大事なのである。元々が痩せ気味だったこともあり、服を着てしまえば大して分からない。ふんわりとしたワンピースなんて着てしまえば誰にも分からない。それがまた彼女を苦しめる。
 誰にも分からないなら「ない」ことにしてしまってもいいのではないか?なんて誘惑と、昔のようにほっそりとした体型に戻りたいという願望に挟まれて。
 けれど、どんなに食事を考えようと、どんなに運動に励もうと、変えられぬものがある。

 彼女は、酒飲みなのだ。

「……買って……しまった……」
 たった今宅配便で届いたボトル。厳重に包まれたそれを開くとき、彼女の手には確かに躊躇いが見えた。だがすべてを解いて現れた細く美しいその瓶を見た瞬間、その顔が一瞬輝いたのをねこは見逃していない。
 後悔の念と歓喜の情。そのはざまで、飼い主はそれを手にしている。
 美しい新緑のような色合いのとろりとした液体を湛え、今まさに封を切られようとしているそれ。
 ピスタチオのリキュール。
 酒飲みの彼女は当然のようにいくつかのアルコール専門通販サイトに会員登録している。ワイン、日本酒、梅酒に果実酒。なんでも画面をタップするだけで手に入る時代だ。その中で今回彼女の目に留まったのが、この一品だった。
 ピスタチオ――好きだ。
 お酒――当然好きだ。
 好き×好きは絶対に良いものだ。
 そういう理論でもって、
「絶対飲んでみたい」
 という確固たる意志を持って買ったそのボトル。と、お風呂上がりのたった今計ってきた体重。
 ああ、カロリーとはかくも無情なものである。
 だが手に入れたものを飲まないという選択肢などあるはずがない。冷凍庫では氷とアイスが待っている。
 ぎゅっと一度目をつぶり、そして開いたときには、飼い主の顔はもはやバーメイドのそれであった。


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