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人生をコンテンツ化している人が眩しい
面白い話をいつも届けてくれる友人がいます。例えば、「合コンに行く時の心構えの話」「最近スパイスカレー作りにはまっている話」などなど。話し終わった後に必ず「もう今日は、つづるちゃんに面白いって思ってもらえるエピソードは無いワ~」といいます。
聞くところによると この友人はどうやら、人に面白い話をするために新しい発見を求めにいっている節がある。何か失敗したなと思うことがあっても「ネタになるからいいや」とよく言っています。この考え方、いいなぁと思ったので 友人への敬意も込めて書かせてください。
ギブの精神を尊敬したい
子供の時の「お母さん、聞いて~今日ね~」の語りだしからスタートする報告会って、自分の話を聞いてほしい!っていうのもあるけど 「お母さんが笑ってくれるかな」と 相手を喜ばせようというギブの精神だったのかもしれない。話を聞いて笑顔になってくれる人がいれば、確かにもっと面白い話をしてあげたい!と、新しい発見を自ら探し回っていく人もいるかもしれないなぁ。
ギブ精神は突き詰めると「人生コンテンツ化」につながる気がする
聞いてほしいから行動することも、行動してみた結果 面白いことが起こったから誰かに話したいっていうのもどっちも大いにアリだと思います。あとはどうやって人にギブするか、自分の新しい発見を 人にどうやって伝えるかで、その方法はたくさんあります。友達や家族に話したり、こうやってnoteにしたためるのも一つの方法かなぁ。
わたしは、周りの人に対して常にギブの精神がある人を敬します。わたしが出会ってきたギブ精神保有者の方々は、自分の人生をコンテンツ化している感じがあって、自分の経験・現在・将来についてを聞き手に受け入れやすいように上手くチューニングして話をされていると思います。そんな人になりたいな。
今日はわたしのnoteに遊びに来てくださりありがとうございます。とりあえず旦那が仕事から帰ってきたら、最高の笑顔で「おかえり」と言うところからギブ精神を培ってみようと思います。
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