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takayama
2020年12月31日 14:43
自転車を滑らせるようにして図書館の門をくぐる。夏休みのせいなのか自転車置き場はどこもいっぱいだった。やっと置き場を見つけて自転車を置くと汗がどっと噴き出してきた。ハンドタオルで額の汗を拭きながら図書館の中に入る。冷房が火照った身体を冷やしてくれる。ハンドタオルで顔を仰ぎながら辺りをぶらつく。自習スペースは人がいっぱいで座れる場所はなさそうだった。奈々子と同じ受験を控えた学生が黙々と勉強をしてい
2020年12月30日 16:44
鳥の鳴き声がした。奈々子がゆっくり目を開けると薄暗い自分の部屋が映った。身体を起こし机の上の目覚まし時計に視線を移す。6時半。まだ起きるには早いような気もしたが、もう一度眠りにつくには遅すぎるとも思った。両手を高く上げ大きく伸びをする。身体から夢の残骸が抜け出ていく。伸びをした勢いでそのままベッドから飛び起きる。両手を組み合わせ前に伸ばす、首をゆっくり二度回す、深呼吸を大きく長く一回。「よ
2020年12月29日 16:25
『僕はどこでもない場所の真ん中から緑を呼びつづけていた』最後の文章が頭を通り過ぎると読み終えた達成感と終わってしまったという空虚感が胸で交差した。『直子』は死に『緑』は愛される。物語の中の出来事とはいえそれはあまりにも切ない結末ではないか、奈々子は揺れ動く自分の感情を注意深く観察した。交錯する出来事と複雑な感情を含んだ物語は血液のように奈々子の中を循環する。そしてある一点に集まるとそれは意
2020年12月28日 18:02
夢を見た。黒い大きな犬の夢だった。犬はサルスベリの木の周りをぐるぐるとまわっていた。小さな女の子が犬に近づき右手を差し出すと犬はその右手にかみついた。奈々子は両手で犬の口を開き、女の子の手を引き抜く。犬の口から赤い血が滴っている。女の子の右手には穴が開き、そこから無数の虫が這いだしてくる。虫は女の子の手から地面に落ち、そしてそこで死んでいった。地面には黒い虫の死骸が山となって積み重なる。女の子は笑
2020年12月27日 16:45
母が朝食の時間を告げにくるまで奈々子は『ノルウェイの森』に没頭した。『直子』が大学を辞めて京都の診療所に入り、『突撃隊』から貰った螢が飛び去ったところで本を閉じた。少しの間、目を閉じて小説の世界の余韻を味わう。そして椅子から立ち上がり母の作った朝食を食べに向かう。珍しく朝からお腹が空いていた。「おはよう」母はキッチンでベーコンエッグを作っていた。焦げたベーコンのにおいと玉子の焼けるパチ
2020年12月26日 15:59
窓から差し込む日の光の角度が変わり、影が形を変えていた。奈々子は無意識のうちにコーヒー牛乳を啜っていた。知らないうちに涙がこぼれていた。感動ではなかった。ショックだった。心が落ち着かず、今、目で追った文字たちの意味を上手く受け入れることができなかった。ただ心がどうしようもなく震えて、胸が痛くなった。これは父の作った創作なんだ、そう自分に言い聞かせた。それでも動揺は消えなかった。母はこのこと
2020年12月24日 15:38
以上が「小説と二人のキョウコをめぐる冒険」になります。この後、後日談が続くのか第三部があるのかは今のところはっきりしませんが、私はここまでの出来事だけでも、自分のことながら、とても驚いております。あらためてこうして書き起こしてみるとまるで誰か他の人の話のように思えてしまいます。しかし、これは確かに私の体験したことですし、私の感じたことです。少なからず思い出の補正がされていることは否めま
2020年12月23日 16:27
伯父は四谷で広告代理店を営んでいた。そこには彼女がいた。僕が彼女にその会社を紹介したのだ。彼女はそこで一年ほど勤めていた。まるで僕が彼女を追いかけてきたみたいだ、入社の日に僕はそう思った。会社で会う彼女はどこかよそよそしかった。僕と彼女はあまり口をきくことなく、お互いに仕事を淡々とこなした。彼女はまだ体調が良くなく、その他にもいろいろなものを抱え込んでいた。会社は休みがちだった。たまに出社
2020年12月21日 17:28
大学を辞めてからふらふらしている僕もそれなりに恋をした。僕の恋愛体験はあまり恵まれたものとはいえないもので、だいたいが悲劇的に終わった。そしてその度に傷つき、深く落ち込んだ。僕は自分の恋愛がうまくいかないと彼女に電話をし、話を聞いてもらった。僕の恵まれない恋愛体験を彼女が聞くという間柄が僕と彼女の関係だった。そのときの僕も自分のふがいなさを持て余して彼女に電話をした。彼女はひとしきり僕の話
2020年12月19日 16:08
その頃の僕は自分の存在意義とやるべき仕事について悩まされていた。どんな根拠もなかったのだけれど、自分には人と違う特別ななにかがあり、そのなにかを表現することができる仕事があるはずだと考えていた。それは思春期の男子が抱く自意識の葛藤で、僕でなくても大抵の男子が感じていることだった。僕は人とは違うことをあえてしたし、そうすることで自分を慰めていた。僕は特別なのだと。個別性を求める僕の自我は、そ
2020年12月17日 15:53
僕が(ここから春樹的文体で書かせてもらいます)高校三年生のとき、彼女と出会った。彼女は僕の二つ年下で、まだ高校に入ったばかりの初々しい女性だった。僕が彼女を知ったきっかけは僕の友達が彼女と付き合っていたからだった。その頃の僕は自意識過剰の男子で、人の目を気にしながらも自分だけの特別性があると信じていた。そして根拠のない自信とまずいことをしでかしはしないかという羞恥心を常に抱えていた。彼
2020年12月15日 16:47
******** 拝啓いつかもこうしてお手紙を宮崎さんに渡したことがありましたね。あの手紙はあまりにも唐突で不躾なものになってしまいました。今更ですが申し訳ありませんでした。あのときの私はとても混乱していて(それもただの混乱でなく病的な混乱です)、宮崎さんに手紙を書くことがとても重要な意味をもつことだったのです。それがどういう意味のことだったのかこの手紙の中で語ることができればいい
2020年12月14日 16:55
奈々子は広げた歴史の資料集をぱらぱら捲りながら小さく溜め息をついた。平安時代の天皇や都の名前は自分とは疎遠なものように思え、その文字が頭の中を素通りしていった。やかましい蝉の声に誘われて窓の外を眺めると、白い光と青い空が瞳を刺激した。勉強に集中できないのは夏のせいだ、奈々子は資料集を閉じ、大きく伸びをした。頭に詰め込んだ年号や歴史上の人物の名前が「んー」という声とともに頭から消えていく。そ