【長編小説】父の手紙と夏休み 2

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 拝啓

いつかもこうしてお手紙を宮崎さんに渡したことがありましたね。あの手紙はあまりにも唐突で不躾なものになってしまいました。今更ですが申し訳ありませんでした。

あのときの私はとても混乱していて(それもただの混乱でなく病的な混乱です)、宮崎さんに手紙を書くことがとても重要な意味をもつことだったのです。

それがどういう意味のことだったのかこの手紙の中で語ることができればいいなと思っております。

この手紙はきっと長い手紙になると思います。果たしてこんなことを宮崎さんに伝えてよいものなのか、それは甚だ不安ですが、伝えることで私のこれまでが意味をなすような気がするのです。一つの物語のように。

自分勝手だと思われることは重々承知ですが、これが私の性質なのでご容赦いただけると幸いです。気分を害されましたらすぐに破いて捨ててしまって結構です。これはただの個人的な体験を綴るものですので。

一つの物語、そう私は書きました。いつかお話したことがあったかもしれません。私は文学というものに惹かれてしまった人間です。文学に惹かれる人間というものは自分の特別性に執着する人間です。いわゆるナルシストですね。この手紙読んだら「まあ、なんて自分がお好きなこと」と思われると思います。文学が好きな人種なんて大抵そんなものです。ロクでもないやつばかりです。そう思って許してください。

そう、それで私は文学というものに惹かれている人間ですので、自分の今までをつい物語的に考えてしまう傾向があるのです。いわゆる因果です。こういうことがあったからこんなことになった。原因があって結果がある。原因―結果―原因―結果、その連なりを物語にして表現する、そして自分の特別性を確かめる。そういう営みが文学だと私は思っております。

私が体験した出来事は次の出来事へと関係しその出来事が次の出来事へ、そしてそれが連なるうちにある一つの意味を帯びる。私だけの意味を。

その出来事の連なりからなる物語の中から本当に私にとって意味があるものを私は三つに絞って私の物語の表題にしました。

「小説と二人のキョウコ」

センスのない表題ですね。ただ、この三つが今までの私にとって意味のあるものなのです。そこで起こったことが(もちろん宮崎さんに手紙を書いたことも含まれます)、振り返ってみると私の今までなのだなと思えるのです。

もちろん宮崎さんと小林さんが(急に小林さんがでてきましたが、二人のキョウコとは宮崎恭子さんと小林杏子さんです、念のため)、同じ課にいたことは偶然ですし、名前が同じキョウコだったいうのも全くの偶然だと思います。こんな偶然はよくあることだと思いますし、いまさら小説の題材にしようと思う人もいないくらいありふれたことだと思います。

ただ、私の中で起こった出来事は確かだし、あのときあの場所に私と宮崎さんと小林さんがいたこと、それは本当に驚くくらい意味を持つものだったのです。

スイスの精神科医であったカール・グスタフ・ユングという人の理論の中に共時性というものがあります。「意味のある偶然の一致」のことで、まあどちらかというとオカルト的なにおいがしますが、ふとそんなことを考えてしまうくらいに私の中であのことは意味を持つことだったのです。

確かに私はふとしたことに過剰に意味を見出してしまう傾向があるのかもしれません。その傾向が私の病気にも関係しているのだと思います。

私の今までに意味などないし、全てはただの偶然で、私という存在にも意味などないのかもしれません。それはだれも一緒で、どんな人間にも生まれてきた意味などないし、どんな生き方をしてもそこに大した意味など生まれない、ただ生まれて生きて死んでいく、それだけなのかもしれません。

ただ、その意味のない過程に意味を見出し、「私」という人間が他の誰とも違う、彼でもなく彼女でもなく唯一の存在としての「私」を表現する、それが文学を書くという営みだと私は考えていますので、私自身を一つの文学として宮崎さんに語りたいと思います。

本当に自分勝手で迷惑な話だとは思います、重ね重ね失礼をお詫びいたします。ただ宮崎さんに語ることで一つの区切りができるような気がするのです。迷惑を承知で書かせていただきます。

「小説と二人のキョウコ」

うん、やっぱりセンスのない表題ですね、反省しきりです。少し表題を考えます、ダサい表題の小説など読みたくないですよね。

きっとこれは長い手紙になってしまうと思います。小説にしたらきっと三〇〇ページの上下巻分になると思います。村上春樹の『ノルウェイの森』みたいに。そう、春樹的な表題にしましょう。

前置きが長くなりましたがこれから高橋的『ノルウェイの森』、表題がダサいので春樹っぽく「小説と二人のキョウコをめぐる冒険」をはじめさせていただきます。

少し長くなりますので、まずはコーヒーでも一杯、ゆっくり召し上がってください。

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