【長編小説】父の手紙と夏休み 4

その頃の僕は自分の存在意義とやるべき仕事について悩まされていた。どんな根拠もなかったのだけれど、自分には人と違う特別ななにかがあり、そのなにかを表現することができる仕事があるはずだと考えていた。

それは思春期の男子が抱く自意識の葛藤で、僕でなくても大抵の男子が感じていることだった。僕は人とは違うことをあえてしたし、そうすることで自分を慰めていた。僕は特別なのだと。

個別性を求める僕の自我は、そこで文学を発見した。たいした切っ掛けではなかった。兄の本棚に並んであったある小説をただ読んだだけだった。

その頃の僕は文学、あるいは小説というものは真面目で面白みのない人間の書くものだと思っていたし、それを読む人間もまた面白みのないやつだと勝手に決めこんでいた。僕はアウトローを気取っていたし、読書をする人間を見下してもいた。

でも、そこで僕が読んだ小説の主人公はとてもまともとはいえない生活をし、僕なんか比べものにならないくらいアウトローだった。僕はそれからその小説を書いた作家の作品をほとんど読んだ。読み続けてそのまま朝になってしまうこともあった。そんな体験は生れてはじめてだった。そこに書かれていた言葉は、僕の今までの価値観を完全にひっくり返した。こんなことを言ってもいいのかと驚いたし、時には腹が立つことさえあった。でも、その言葉たちは僕の自意識を刺激し、自然と抑圧していたなにかを心の奥から引っ張り出した。

その作家の自意識と共鳴した僕の自我は自分の個別性を表現する術を見出した。この読書体験は僕にとっての啓示だった。僕は小説家になることを決めた。

そこから僕は本を読んで過ごすことが多くなった。はじめは全くの手探りだった。なにを読めばいいのか皆目見当がつかなかった。聞いたことのある作家の本を乱雑に読んだ。どの本も最初の頃のような鮮烈な印象を与えなかった。一つ一つの言葉の意味は理解できるのだけれど、それがまとまって一つの文章となるとなにを言っているのかさっぱりわからなかった。

文豪と呼ばれる作家の作品はどれも難渋で退屈だった。途中で何度も眠ってしまった。それでも僕は文字を追い続けた。そこになにかしらの真理が必ず現されているはずだと信じた。僕はそれを追い求めた。そして無防備に文学を受け入れていった。

はじめて僕が書いた小説は原稿用紙100枚ほどの私小説にちかいものだった。当時の僕はパソコンなど持っていなかったし、ワープロすら手元になかった。近くの文房具屋で買った原稿用紙に鉛筆で文字を書き込んだ。

僕はそれまで小説なんて書いたことなんてなかったし、その他のどんな文章もまともに書いたことはなかった。大学を途中で辞めてしまっているから論文だってまともに書いたことがない。原稿用紙を前にして僕は途方に暮れてしまった。さて、文章っていうのはどうやって書くんだ?と。

僕は僕が文学を志す切っ掛けとなった小説を引っ張りだし、それを真似るように一つ一つ文章を書いていった。鉛筆を持つ手はすぐに痛くなったし、なにかに集中するという経験から遠く離れていたから頭はすぐに休息を求めた。それでも自分が何者かになれるという希望みたいなものが胸に生まれ、書くこと自体は苦痛ではなかった。

僕は他人の小説の中に自分の体験を滑り込ませながら一つの物語を完成させた。それはほとんど他の作品のコピーだったし、僕の体験が混ざっているといっても、そんなものどこにでもあるありふれたものだった。

書き終わって読み返してみるとまとまりのない文章が脈絡もなく連なり、まるで物語の体をなしていなかった。陳腐で不揃いな表現は行き当たりばったりで建てました建築物を思わせたし、語彙の不足は絶望的なまでだった。

それでも僕はなにか一つのものを作り上げたことで痺れるような快感に酔っていた。どうみても陳腐なものなのにそれが自分の天才を示す特別なもののように思えた。僕はまるで無知で無邪気だった。そしてその無邪気さは愚かささと同義だった。僕は自分の愚かさに気づかぬまま小説家になった自分を想像し、自尊心を満たしていた。

出来上がった小説を文芸誌の新人賞に応募したけれど、それはどんな結果も僕にもたらさなかった。もちろんそれはあたりまえのことだし、今思えばあんなものを読まされた人がこの世に1人はいるのかと思うと、その人にとても申し訳ないことをしたような気がする。それでも当時の僕はそれなりに傷ついた。自分の精一杯がどんな結果にもならなかったことが不服だった。

僕は過激な経験を求め夜の街をふらついた。そこで起きる様々な事柄を新しい小説に取り入れ、次こそは何かしらの結果を出そうと考えた。

夜の街は確かにいろいろな人がいたし、刺激的なことに満ちていた。僕はそこで女の人の(もちろん男の人の)様々な表情を学習した。楽しいこともあったし、ひどいめにもあった。僕はそこで女性が(もちろん男性も)全く平気で嘘をつくことを知ったし、自分の善意がただの自尊心でしかないことにも気が付いた。そこはただ性欲と自尊心を満たす場であり、結局はみんなそれだけを求めているようだった。

僕はその一つ一つを覚え、どうやってそれを小説に反映させるかを考えた。でも、なかなか次に書くべきものが見つからなかった。経験は積み重なっていったけれど、それを綜合するなにかが足らなかった。そのときの僕に足らなかったのは内面の葛藤だったのだと思う。そしてそれは思わぬところから、激しい痛みを伴ってやってきた。

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