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Editできることならば

 戻りたい、と思うことが、山ほどあって、僕。

すべきことを、成せなかった夜に、戻りたいって思うこと、あります。

あの時に、ごめんねって素直に言えていたら、どうなっていたのかな。あの時に、弱い自分に勝って、負けないであれたのなら、未来はどのように変わっていたかな。そう思うことは、もはや今でだってそう。この文字を起こすことなんて、しなきゃよかったなあ、なんてことも思う。重い想いを思い浮かべて、今日もなお静かな夜を、彩光している形のない心のガラス片が、なんだかたまに、寂しく思えてきたりもする。

 作り出すものじゃないって、言われてみてもやっぱり、笑顔は見えた方が素敵。そんなことがわかっていても、なかなか体が動いてくれない時がある。思いとは裏腹に、言葉は感情線を逆回りで、時速180kmで進んでいくようだった。特に腹立たしいことがないのに、言葉尻に棘を生やすことが何回あっただろう。

 その場面場面に、しおりを挟んでいる。

いつまでもいつまでも、消えることがないように。

些細な1文が、些細なニュアンスが、僕を殺すこともある

生かすこともある

そんな大切な一瞬の積み重ねを、記憶して記録して置けるように


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 でも、書き直しはできない、という

この世界の掟らしい。そのとき起こってしまったことは変えることができない、これから書かれるであろうことは、いくらでも変えることはできるけれども、一度描いてしまったことは、どうやら修正できないらしい。


・・・ああ、いくらでもEditしてみたいのに。

この世界に生まれつくところは、有無を言わさずに出させられて

去るときも、自力では判断できずに、そうなる

その瞬間の数々も、Editできたら良いのに。全てが、思い通り。


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 でもきっと

それだから面白いのだろう、と最近では開き直って見せている。編集はできなくても、Reviewや意味のさいかくにん、後付けだって自由自在。これもなかなか、素晴らしいことだと思っている。苦痛だったことは、いつの間にか良い思い出にだって変えることができるんだから、すごいもんだ、人。

僕はそこまで強くないから、一度起きてしまったことに対してはなかなか観点が変わらないこともあるのだけれど、そういうときに、縁が役に立つらしい。自分じゃどうにもできない感情に、和らぎや決心というアイテムを授けてくれる。言葉、関わりあい、存在、交わすことがなくても、それでも脳裏のどこかに記憶としてやってくるそれらが、僕の人生の編集役を買ってくれているようにも、思えてきた。

…あれ?人生って、楽しいね。

Editなんて、できなくたって、良いかもね。


t tatsu

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