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「おちゃとら」ウエディング

「あの日のあなたは、ちょっとトラみたいだったよ」

結婚式が終わってから初めて実家に帰った夜、母はそう笑った。
「トラ」とは、『山月記』で「臆病な自尊心」を抱えるあまりトラになってしまった李徴のことではなく、酔って手が付けられない状態を指す「虎になる」という慣用句でもなく、ロングセラーの絵本『おちゃのじかんにきたとら』に登場するトラのことである。

ソフィーという小さな女の子が両親と暮らす家に「ごめんください。ぼく とても おなかが すいているんです。おちゃのじかんに ごいっしょさせて いただけませんか」とトラが訪ねてきて、家中の食べもの飲みものを根こそぎ平らげてしまう。
食料がすっからかんになってしまって困っているところにお父さんが帰ってきて「レストランへ行こう」と朗らかに言い放ち、三人はディナーを楽しんだ。
その足でトラ用のご飯を買いこんだものの、二度とトラが訪ねてくることはありませんでした。

ざっくりした内容

というお話。

この絵本は当時読み聞かせをやっていた母親から持ち込まれ、またたくまに我が家で大流行し、以来「ちょっと豪勢なお茶をすること」を「おちゃとらする」というようになった。

結婚式当日の私の食べっぷり、飲みっぷりといったらまさに「おちゃとら」で、私はご馳走もお酒も、運ばれるはしからどんどん食べて、ずんどこ飲んだ。
ふと気がつくと私のすぐ後ろにビール瓶を構えたウエイターさんとワインを抱えたウエイターさんが控えていて、私だけわんこ酒しているみたいだった。

弟が残したオマール海老にも「食べないならちょうだい」と当然のように箸を伸ばし、海老のカダイフ揚げというほっそいパスタを海老に巻きつけて揚げた一品は海老の頭からバリバリと噛みしだいた。
がめつい娘の様子に父は「どんだけ海老が好きなんだ……」と若干引いていた。
でもこの日はこっちだって、トラになりたい事情があったのだ。

挙式二日前、きなこ飴を嚙んでいたら突然がりりと硬いものが出てきた。
おっかなびっくり取り出すと、かなり昔に詰めてもらった銀歯だった。
慌てて会社近くの歯医者に応急処置をしてもらって事なきを得たものの、こんなときに取れることないじゃないか。
しかも銀歯が取れたところは、ちょっと根深そうな虫歯が巣くっていたそうだ。
いま見つけてくれてよかったけれど、ご馳走まであと数日というこのときに知りたくはなかった。

そして挙式前日、生理がきた
夫とホテルに向かおうとカバンを持ち上げたそのときに、たらりと血が降りてくる嫌な感触があった。
本当は一週間前に来ているはずだったのに。
ここまできたら式の後に来てくれたらと願っていたのに。

おのれルナルナ、裏切りおって。

生理予測アプリルナルナにお門違いの怒りを抱きながら私はパンツにナプキンを貼り、夫と夫の弟が荷物を置くや否やホテルの屋内プールに飛び出していくのをひとり見送った。
私も楽しみにしてたのになぁ。

やりきれないやら暇やらで、祖母に電話をかけてみた。
「まさか今日くるとは思わないじゃん。しかも明日白無垢なのに生理二日目なんて、ほんとついてない」
せっかくの久しぶりの祖母との電話なのに、つい愚痴っぽくなってしまう。

それを聞いた祖母は、「結婚式と生理二日目がかぶるなんて、なかなかない試練じゃない!逆にこれを乗り越えたら、もう怖いものなんてないわよ!」とはじけるように笑った。

てっきり、「それはしんどいね」とか「がんばってね」とか共感&寄り添い系の言葉が返ってくるかと思っていた。
でもよくよく考えたら、祖母はそう。いつもそう。
励まし方が、ちょっと私とは違うのである。

「そっか、乗り越えればいいんだよね!もうもりもり飲み食いしてやる!」と半ばやけになって盛り上がっていたら、本当に気持ちが前向きになってきた。

お腹は痛いけど。
頭もちょっとぼーっとするけど。
でも、明日はしっかりと乗り越えてみせようじゃないの。
おばあちゃん、いつもありがとう。

そして気合十分で迎えた挙式当日。
銀歯が取れたことも生理二日目もチャラになるような、見事な秋晴れだった。
もともとは雨予報だったから、そちらにすべての運が割り振られたのかもしれない。

早朝5時に目覚ましに起こされて朝食を摂り、重たい目をこすりながら美容室に行くと、パキっとスーツを着た資生堂のお姉さまがたにテキパキとメイクをほどこされた。

手はとにかく手際よく、そして口はひたすらにちやほやと。
これまで生きてきて、こんなに褒められることあったっけ?と思うほどの、褒めちぎりの嵐。
本当はさらっと流したいのに、つい「……え、へへへ」などと不気味な反応をしてしまう。
こちらとしては「こんな不気味な反応しか取れないので、どうか無言で仕上げてください」という無言のお願いもしていたつもりだったのだが、メイクさんはそうは受け取ってくれなかったらしく、ずっとご機嫌で「本当にいい首してるわ~!」「絶対にこの首は白無垢映える~!楽しみ~!」と私の首を絶賛していた。
つる・るるるのあだ名は、だてじゃない。

庭園を歩く我々

顔面が完成し白無垢を着せてもらうと、紋付き袴を着た夫がおずおずと部屋に入ってきた。
「あ、おつかれ」
なんて声をかけていいのかわからずに、めちゃくちゃ適当に呼びかけてしまう。
対する夫は、「やだぁるるちゃん……すっごく似合ってるじゃない!!!」となぜかIKKOと化して身をくねらせていた。

その後はカメラマンさんの指示のもと、会場内のフォトスポットをめぐって写真を撮ってもらう。
カメラマンさんは笑顔が素敵な陽気なお兄さんで、「見つめ合う」写真を撮るのが好きだった。

「はーい!ではこの橋の端から、新郎さん振り返って新婦さんと見つめ合ってくださーい」

素直に振り返った夫が、私と目が合った瞬間にふいと視線をずらした。
いま照れたでしょ!ねえ照れたでしょ!
そう小声でからかうと、「はい新婦さんも笑顔くださ~い!」と注意される。

「こんなん、見惚れない方が無理やろ」
ぼそりと夫が呟く。

殺し文句一丁、入りやしたっ!!

すかさず私の中のラーメン屋が叫ぶ。
なんなんだ。なんなんだもう。
そういう夫も、見慣れた顔のはずなのにいつもより段違いに輝いて見えた。
相手の目をしっかり見つめられないのは、私も同じだったのだ。

そんな私たちの小声の攻防などいざ知らず、カメラマンさんは私たちを何度も見つめ合わせた。

「ここで新郎さんと新婦さん、見つめ合って微笑んでくださーい」
「はい、見つめ合ってーにこーっと!もっと口角上げられますか~?」

人様の目線を感じながら、見つめ合ってにっこり。
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
しかもこの式場の庭園は一般の人も散歩にきているため、人が通るたびに撮影は何度も中断された。

「撮影の邪魔してごめんなさい!おめでとうございます~」
ぺこぺこしながら祝福してくれるお散歩中のみなさま。
私たちをじいっと見つめて「なんか昔話の人たちみたい」と指さすお嬢ちゃまがた。

こっちは照れ屋なんだよ!
私たちのことなんて気にせず、一刻も早くこの橋を渡ってちょうだい!!!

控室で家族と顔合わせをしてようやく、肩の荷が半分ほど下りた。
目が合うと首をすくめてみせる父も、「あらぁ〜!いいじゃな~い」とはしゃぐ母も、ご機嫌で左右に揺れる二つ下の弟も、スマホを構えてにやりと片手を上げる四つ下の弟も。
よそ行きの服に身を包んではいるものの、彼らは私たちと比べれば限りなく素に近かった。
そんな彼らを見ると、それまでなんとなくぼやけていた視界が急にぐっと鮮明になった。
そっか、これって現実なんだ。

挙式は神前式だったので、雅楽の演奏とともに入場し、巫女さんの舞いを見つめた。
演奏が盛り上がるにつれて、二つ下の弟がその音に合わせてゆらゆらと左右に揺れ始める。

これまで何度か書いたことがあるのだけれど、二つ下の弟は重度の知的障害をともなう自閉症である。
彼は母方の祖母の三回忌のときに木魚の音に合わせて激しくヘドバンしていたから、たぶんこうなるだろうと思っていた。
あのときは、親族みんな笑いをこらえきれずに住職にいささか迷惑をかけた。

弟には絶対に出席してほしいと思いつつ、式場がどんな反応をするかはちょっと不安だった。
突然踊りだしたり奇声を発する可能性があるとプランナーさんに伝えたとき、彼女は「全然大丈夫ですよ!せっかくの家族だけの式ですし、弟さんにもしっかり楽しんでほしい」と軽やかに言ってくれた。
すでにオマール海老の虜になっていた私は、そのプランナーさんの言葉で絶対にこの式場で挙式すると決めた。

空気を読んでか普段より少し控えめに踊る弟の姿に両親も下の弟もかすかに微笑み、その様子に私もホッとする。

そうして無事に式は進み、三々九度の儀になった。
新婦の白無垢は重いから飲むふりだけでいいと挙式レッスンでも介添えさんからも言われていたのに、大柄ゆえかちんどんサークルで着物を着慣れていたためか、さほど苦もなくすいっと手が上がってしまった。

ガッツリ御神酒を飲む私

小、中、大の盃すべてすいっと飲み干した私とは対照的に、アルコールが苦手な夫は飲むふりだけで巫女さんに返し、そのたびに巫女さんが和式バケツ的な容器に御神酒を移していた。
あとで父から、「るるのときは巫女さんは暇そうで、新郎のターンになると事前に和式バケツがスタンバイしてたのがおかしかった」と笑われた。
母からも「すっごい飲む気満々で高々と盃掲げているのがなんかもう、いかにも飲んべえって感じだったわよ!」とちょっとたしなめられた。
でもそんなことは、披露宴に比べればまだマシだった。

前述のとおり、披露宴で私は食べに食べ、飲みに飲んだ。
そのためにかつらだって取って、洋髪に結い直してもらったのだ。
『おちゃのじかんにきたとら』のごとく、料理もお酒もどんどん胃に収めた。
だって、とてもお腹が空いていたのだ。

朝は5時起きだったし、朝ごはんはクロワッサンと菓子パンと野菜ジュースだけだったし。
銀歯取れるし、生理は来るし。
なんかやたら輝いてる夫と何度も見つめ合わされるし。

ここで飲まなきゃいつ飲むんだ。
こんなに豪勢な「おちゃとら」の主役になる機会なんて、もう二度とないのだ。
いや、二度目はない方がいいんだけどさ。

式が終わって緊張が解けた私は安心してどんどん飲んだ。どのお酒も、おいしかった。
料理が変わるごとにウエイターさんがスッと寄ってきて、「こちらはビールが合うかと」「このお料理には赤ワインがおすすめですよ」と注ぎにくるのがおかしかった。

さすがにお腹がたぽたぽになってトイレに立つと、介添えさんから「今まで介添えをしたなかで、一番お酒をお召しになった新婦さまです。三々九度までしっかり飲まれてご立派でした!」と褒められた。

お酒を飲んで褒められるなんて、人生初じゃない?
いかにもベテランそうな介添えさんに言われると、やっぱり新婦って大変なんだなぁと思う。白無垢はお布団みたいに重いし、主役なのにお酒飲めないし。
家族だけの超お気楽モードだったから、こんなに好き放題できたのだろう。

この人たちが、家族でよかった。

「どんだけ飲むのよ」と笑いながら、自分たちもまあまあ飲んでいる家族が、しみじみと愛しかった。

この人たちと、家族になれてよかった。

にこにこと食事を楽しみながら明るく話を振ってくれる義家族の笑顔に、ホッと心が緩んだ。

この人たちが、友だちやお仕事仲間でよかった。

小テーブルに飾られたクマのぬいぐるみ、夫婦の似顔絵、オマール婚画、祝電のバルーンが、たまらなく嬉しかった。

友だちとお仕事仲間の作品
祝電バルーン

さらになんと、上のオマール婚の絵を描いてくれたKaoRuさんは、挙式当日にオマール海老型の焼き菓子まで焼いてくれた。
大盤振る舞いの祝いっぷりに、もう泣き笑いだった。

みんなみんな、祝ってくれてありがとう。
いつか我が家で「おちゃとら」するときには、家じゅうのものを飲み食いしようね。
ご馳走、準備しておくからね。

オマール海老
とにかく快晴

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