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つれづれつづり

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それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。
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#大切なもの

素顔で向き合ったから、今がある。

家族と同じくらい僕にとって大切なもの、それは友人や仲間です。友人たちとの思い出や、彼らとの関係がどれだけ自分を支えてきたか、そして過去の経験が今の自分をどのように形作っているのかについて、今回は振り返ってみたいと思います。 僕が20代前半の頃、初めてゲイコミュニティに属するようになりました。それまでに出会った友達とは違う、新しい感覚がそこにはありました。これまでずっと、自分がゲイだとバレることを恐れていた僕にとって、コミュニティの仲間たちと過ごす時間は大きな安心感をもたらし

「俺」

大切なものですって奥さん。 皆様はじめまして。 つれづれつづり、会員番号022です。 諸事情により過去の記事は非公開にしました。だって、あまりにも「俺」すぎるんだもの。 4年前、まだ私は上京したばかりの尻の青いぺーぺーで臭い臭い文章を書いて、それでいてかわいかった。自分をどうやって知ってもらおうか必死になっていた。かーわい。 なので新人さんと思ってくれて構わないです。ここから「俺」をイチから知ってください。書き口でバレるかもね。まあそれはそれでその人のこと好きかも。「俺」

ふたつめ「花束を君に」

その日は唐突にやってきた。 後ろ足で自重を支えられないのか、前足だけで歩き、後ろ足を引きずっているようにみえる。触診して見たが痛みはないようだ。もう15歳のおばあちゃんだから、筋肉が弱ってきたのかしらねと話していたら、すぐに階段を上り下りすることができなくなった。 簡単な段差を超えることができなくなった 自力でトイレに行けなくなった 食いしん坊だったのにごはんをほとんど食べなくなった 甘えて伸ばす腕に力がなくなった 1日中目を閉じている事が多くなった トイレの回数がめっきり

2024年の遠吠え

歳を重ねるとそうそう人は変わることができない。 でも、 変わらないと僕は人生を棒に振ってしまいそうなものだ。 どんなに険しく面倒だとしても、 時間を掛けて道を作る必要がある。 それでも今の僕にとって大切なものは、 ここまで来た自分の選択だ。 自分の可能性を信じて、 自分を鼓舞して、 自分を削って、 自分を見失って、 自分を取り戻そうとして、 日々をひたすらにもがいている自分とこれからも付き合っていかないといけない。 もう半分。 まだ半分? 途方にも暮れるが、 新たな可能性を探

手放す理由

テレビを見ること、 音楽を聴くこと、 ラジオを聴くこと、 ポッドキャストをすること、 歌うこと、 曲を作ること、 絵を描くこと、 楽器を弾くこと。 どれも熱中し、 そしてどこかで一度手放してしまったことだ。 やはり大切だと思い直して必死で取り返そうとしても、 もう熱中していた頃の純粋な気持ちで取り組むことはできない。 僕はいつも自分で自分の興味を諦めてしまっている。 どうしてだろう。 より興味があるものができたからならばまだ良い。 だけど、 実際のところ大体の理由がよりや

好きだったこと

小さい頃、 ピアノを弾くことが好きだった。 テレビやゲームから流れるメロディをこんなかなと耳コピして自分なりに弾くことが楽しかった。 ピアノの教室は上達すること自体は嬉しいけれど、 普段聴く曲と違うのでいまいちピンときていなかった。 中学生になって、 ピアノの上手な同級生の演奏を目の当たりにして、 この道ではないのかも知れないなと思った。 2年生の頃、ピアノ教室を辞めた。 徐々に演奏すること自体なくなって行った。 絵を描くことが好きだった。 特別うまい訳でもないけれど、 絵

未来

ご無沙汰しております。 4年ぶりのつれづれつづりです。 前回の投稿から4年。 あれからも世界は大きく変わり続けています。 COVID-19が5類に移行してコロナ禍以前の生活が戻り、前首相が銃殺され、ウクライナとロシアで戦争が始まり、ガザでは非人道的な虐殺が繰り返され、今は南海トラフの巨大地震注意というものが初めて発令されました。 予想もできない出来事が世界中で続き、なんだか不穏な空気が流れているように感じます。 そんな状況の中、今回のテーマは「大切なもの」ということで、辿

 お久しぶりのつれづれつづりです。匿名エッセイなので前後のエピソードの事など忘れてお楽しみいただければと思います。  今回のテーマは「大切なもの」。物か者かMONOかというところですが、基本的に「物」で通します。せっかくの三回ということなので、衣食住の大切なものでお届けします。きっと。  私が大好きなテレビ番組の一つにソーイング・ビーというものがあります。イギリスのテレビ番組でソーイング(縫い物)の腕を競うコンテスト番組です。決められた課題のテーマをいかに表現するか、いかに

おきあがりこぼし

僕の家のテレビがわりの24インチモニターの前には、「おきあがりこぼし」がずっと座っている。 今は、100均で見つけた畳のミニチュアの敷物の上に乗っている。以前はNintendo Switchの前に置いてあった。ずいぶんと待遇が良くなったものだ。 この「おきあがりこぼし」は、僕の失敗の証でもあり、成功の礎でもあり、生きざまの象徴ともいえる。 僕は不出来な人間だと今でも思うし、だから人よりも頑張らないと普通に生きてはいけないと思い続けている。それも、この「おきあがりこぼし」

大切なもの

大切なものは、身体と心

記憶と記録

歳を重ねるにつれ、その分"過去"が増えていく。 今置かれている辛い現状や、不安の大きい未来のことを考えると、「こんな人生のまま俺は死んでいくのか」と思うことがある。しかし、過去を振り返ってみると「意外といい人生だったのかも」と思うこともある。 歳を重ねたといっても、人生の終わりがすぐにやってくるわけではない。今までの人生を振り返るにはまだ早いと思う。ただ、"記憶を辿る"ことは意外に楽しい。思い出を振り返るのとはまた少し違う。たとえば、布団に入ってなかなか寝付けないとき、小

家族

「大切なもの」と聞いて、一番に思い浮かんだのは家族でした。 僕が子供の頃、母親は小学校の教師で、父親はアートディレクターとして忙しく働いていました。家にはいつもアートの本や雑誌がたくさんあって、僕も自然とアートやデザインに興味を持つようになりました。母親は教育者として、厳しいけど愛情いっぱいの教育をしてくれました。家族全員で過ごす時間は少なかったけれど、一緒にいるときの温かさや安心感は今でも忘れられません。 思春期に入って、自分がゲイだと気づいたとき、家族の存在は本当に大

ひとつめ「おつう」

私は人間が大好きだ。だが興味がない。 これはアラフィフと呼ばれるようになった最近、自身と対話し続けて行き着いた矛盾とも言える結論だった。 元々人間が好きで興味もあって、人には優しく、信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つく方がいいと心の底から信じてやまなかった。先の対話でそれはただの思い込みという結論になるのだが、とにかくそんな旗を掲げて人と接してきた。 ただどうにもこうにも金八的なそのフィロソフィーと自身の行動にどんどん乖離が生まれる。いかんせん、私の脳がいろいろ追いつ