つれづれつづり/034

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  • つれづれつづり

    • 144本

    それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。

最近の記事

素顔で向き合ったから、今がある。

家族と同じくらい僕にとって大切なもの、それは友人や仲間です。友人たちとの思い出や、彼らとの関係がどれだけ自分を支えてきたか、そして過去の経験が今の自分をどのように形作っているのかについて、今回は振り返ってみたいと思います。 僕が20代前半の頃、初めてゲイコミュニティに属するようになりました。それまでに出会った友達とは違う、新しい感覚がそこにはありました。これまでずっと、自分がゲイだとバレることを恐れていた僕にとって、コミュニティの仲間たちと過ごす時間は大きな安心感をもたらし

    • 家族

      「大切なもの」と聞いて、一番に思い浮かんだのは家族でした。 僕が子供の頃、母親は小学校の教師で、父親はアートディレクターとして忙しく働いていました。家にはいつもアートの本や雑誌がたくさんあって、僕も自然とアートやデザインに興味を持つようになりました。母親は教育者として、厳しいけど愛情いっぱいの教育をしてくれました。家族全員で過ごす時間は少なかったけれど、一緒にいるときの温かさや安心感は今でも忘れられません。 思春期に入って、自分がゲイだと気づいたとき、家族の存在は本当に大

      • 平成の終わりと次の年号

        令和という元号を初めて聞いたとき、僕はかなりの違和感を覚えました。しかし、5年以上経った今ではもうすっかり慣れてしまいました。令和になってからも、すでに大きな事件がいくつも起きています。 令和初期に平成を振り返ると、昭和の残り香にすがっていた時代だったのかなと思います。平成は大きなテクノロジー改革があったものの、日本の不況は続き、人権問題も大きな事件が起こるまで変わろうとしない姿勢が見受けられました。特にLGBTQに関しては、平成時代には大きな変化は見られなかったと感じます

        • 震災後の社会と個人の変化

          2011年3月11日に発生した東日本大震災は、日本に大きな衝撃を与えました。東京にいた僕も、その時は「死」を意識せざるを得ない状況でした。街全体がパニックに陥り、公共交通機関は麻痺し、情報の混乱が続きました。震災直後、情報を求める中でTwitterが一躍注目され、SNSが一般的なコミュニケーション手段として広まりました。多くの人々がリアルタイムで情報を共有し合い、互いの無事を確認し合う姿が見られました。この時期、SNSの力を実感すると共に、情報の迅速な伝達とその重要性を改めて

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          テクノロジーとマイノリティ

          2000年代から2010年にかけて、テクノロジーは僕たちの生活や社会に大きな影響を与えました。インターネットやスマートフォンの普及と、それがゲイコミュニティや僕自身の生活にどんな風に影響を与えたかを振り返ってみたいと思います。 2000年代中頃、インターネットはすでに多くの家庭に普及していました。家にはパソコンが一台はあって、インターネットを使うのが普通になっていました。また、携帯電話ではiモードを使って簡単なネットやメールのやり取りができるようになっていて、それだけでも普

          テクノロジーとマイノリティ

          20世紀の終わりに向けて

          平成が始まり、バブルの華やかさが薄れていきます。それでも今振り返れば、まだまだ残り香はありました。今回は、平成の中期にあたる1990年代後半から2000年頃までの僕自身の変化と社会の動きを振り返ります。 新しい出会いと変化の始まり 中学生時代、僕は地元の中学校に通っていました。小学校時代は小さなクラスで過ごしていたため、隣町から来た大勢の生徒たちとの新しい出会いは刺激的でした。しかし、同時に先輩後輩の上下関係を意識するようになり、人間関係の複雑さを嫌でも学ぶ事になりました

          20世紀の終わりに向けて

          希望と不安の狭間での幕開け

          平成という時代が幕を開けた1989年は、僕たちにとって新たな時代の始まりを告げる年でした。昭和天皇の崩御に伴い、新しい天皇が即位し、日本全体が一つの時代の終わりと新しい時代の始まりを感じた瞬間でした。平成という元号は「平和が成り立つ」という願いを込めて選ばれましたが、その背後にはどんな変化が待っているのか、誰も予想することはできなかったでしょう。 平成元年、僕は14歳の中学生でした。親の仕事の関係で東京に住んでいた僕は、当時の熱気と活気を肌で感じていました。バブル経済の真っ

          希望と不安の狭間での幕開け