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おきあがりこぼし

僕の家のテレビがわりの24インチモニターの前には、「おきあがりこぼし」がずっと座っている。

今は、100均で見つけた畳のミニチュアの敷物の上に乗っている。以前はNintendo Switchの前に置いてあった。ずいぶんと待遇が良くなったものだ。

この「おきあがりこぼし」は、僕の失敗の証でもあり、成功の礎でもあり、生きざまの象徴ともいえる。

僕は不出来な人間だと今でも思うし、だから人よりも頑張らないと普通に生きてはいけないと思い続けている。それも、この「おきあがりこぼし」を見るたびに思い出す。

と言いながら、とってもがんばっているかというと、実はそうでもないところがある。甘えてるし、嘘ついた。本人的にはなんとかしがみついているつもり。

「おきあがりこぼし」といって何かわからない人もいると思うので動画を貼っておこうと思う。簡単にいうと、倒そうとしても起き上がってくる置物。ものによるのかもしれないが、倒すことがほぼ不可能で、昔からある原始的な仕組みの、おもちゃのようなもの。

これかわいい。便利な時代。こんなかわいいのじゃない。だいぶトラディショナルなものだ。


実はこの「おきあがりこぼし」は、今は亡き父からの贈られたものだった。その頃は、なんでこんなもの送ってくるんだ、と怒りを感じたものだった。ただ、忘れてしまうことはあったが、捨てはしなかった。なぜかはわからない。捨てるのも忍びない、と思ったんだろうか?

父からもらったものといえば、DNA半分とこれくらいで、他は何もないといってもいいくらいだ。半分くらいは近いはずなのに、人間が違いすぎた。別に仲が悪かったわけではないが、僕は嫌いだった。今はどうでもいいし、家族とは言え死んでしまった人のことをどうのこうのと断罪するのは嫌いだ。

この「おきあがりこぼし」が送られてきたのは、最初に就職した会社でひどい扱いを受けて、どうしようもなくなってバックれた(もちろん手続きはちゃんとした)後だった。

仕送りで送られてきた食品と一緒のメモに、母の字で「お父さんから」と書いてあった気がする。うろ覚え。

は??????

なんの当てつけなのか?嫌がらせか?と当時は思ったことを覚えている。きっと就職に大失敗したことを内心は笑っていて、卒業も人よりかかったし、どうしようもないヤツだとかクダを巻いているに違いない、と思った。

その当時は、自分でももうダメかもしれないと本気で思っていた。そりゃそうだ。大卒で第二新卒といえば、まだ道がありそうじゃない?と今は思えるが、留年も浪人もして、大したことない人間を喜んで採用する会社なんてない。本気でそう感じていたから、あきらめようとしていた。生きるのがきつかった。

友達の家に居候させてもらったりとか、色々ひどいこともあった。バイトをすれば面接に行けなくなるし、でもバイトしないと食べていけないし、住むところも必要だし、自分を生かすコストってすごくかかるというのを思い知った。

それでもその頃は、自分のことで精一杯だったから、父から送られてきたそれも、ダンボールのどこかにずっと忘れられたままだった。

借金もあった。奨学金も払わなければならなかった。苦しい、もうだめだ。終わる。それでも、最悪実家に戻ればいい、とは思えなかった。父のいるところには帰りたくない。顔見知りの多い田舎で、マイノリティの自分は肩身が狭い。


そしてハローワークとその紹介先である会社の面接を往復すること数十回。応募先はトータルで100社近くにはなっていたはずだ。そして、耐え続けること約3ヶ月。正社員で採用してもらえる会社が見つかった。なんとか、繋がった。

新しい安定した仕事を見つけるのに、3ヶ月以上かかってしまった。そりゃそうだ。前の会社の辞め方もダメだったし、経歴もダメ人間そのもの。そんな自分でも、何かいいものを持っていそうだとポテンシャルで採用してくれた当時の会社役員には感謝している。

採用先での仕事の内容は説明されたのだが、正直よくわからなかった。それでも、やっとの思いでありついた仕事だったから、自分なりに一生懸命に働いた。会社の人たちもいい人たちばかり・・・ではなかったが、自分なりに社会性を取り戻した感覚はあった。

その仕事がのちのちライフワークのようになっていくとはその時には想像もしなかったが、とにかく職を失わないように必死に努力した。わからないことだらけで、意識して努力をするのはもしかしたら初めてだったかもしれない。自分も努力できるんだ、という謎の肯定的認知が生まれていたのは確かだった。

そのおかげもあって、今はそこそこに安定した生活を送ることができている。本当にありがたいことだ。


今でもたまに、そんな苦しかった頃のことを思い出すことがある。それでもやってこれたのは、運が良かったのか、才能があったのか、自分ではよくわからない。生きていて、あきらめないで、本当によかった。

もしかしたら父は、僕のそういう諦めの悪いところや努力の才能があるところを小さい頃から見ていてわかっていたのかもしれない。でも、面と向かってはなかなか言えないから、「おきあがりこぼし」を贈ることで、気付いてほしかったのかもしれない。今はそう思っている。

僕はこの「おきあがりこぼし」を、生涯、大切にしていくんだろう。たとえ転んでも、転びきる前に、起き上がる。何度でも。これが父との唯一の約束だと、そう思うから。


後に父の先輩に当たる人から聞いた話だと、父も似たような経験をしていたらしかった。時代背景もあったとはいえ、なんだ、そっか。だからか。納得したわ。言えや!!!!

伝えたいことは、生きてるうちに。

それじゃ、おわりです。ありがとうございました。

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