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手放す理由

テレビを見ること、
音楽を聴くこと、
ラジオを聴くこと、
ポッドキャストをすること、
歌うこと、
曲を作ること、
絵を描くこと、
楽器を弾くこと。

どれも熱中し、
そしてどこかで一度手放してしまったことだ。
やはり大切だと思い直して必死で取り返そうとしても、
もう熱中していた頃の純粋な気持ちで取り組むことはできない。
僕はいつも自分で自分の興味を諦めてしまっている。
どうしてだろう。

より興味があるものができたからならばまだ良い。
だけど、
実際のところ大体の理由がよりやらないといけないこと、
特に仕事が忙しいから、
という理由なのがなんとも悲しい。
仕事はうまく行くと評価と給与とやりがいに繋がる。
その世界で生きてみようかと思ったこともある。
ただ、
仕事は移り変わる。
やることも、
ひとも、
条件も。
それを楽しむことができる程の度量を僕は持ち合わせていなかった。
バランスが崩れると、
苦しさがプライベートにも及ぶ。
やがて、
僕を形成する興味すら削られて行くのである。
その結果、
僕は何のために生きているのかわからなくなった。
僕自身が壊れてしまうまでにそう時間は掛からなかった。

家族も、
恋人も、
友達も、
きっと大切な存在だ。
一瞬一瞬を供に過ごし、
かけがえのない思い出となることもあった。
僕はそんな人達に対して何をすることができたのだろう。
思いやる気持ちは空回りして、
僕はここにいるよ、
だから振り向いてと言い続けて、
振り向いてくれないことに心を閉ざし、
ようやく振り向いてくれたときにはそっぽを向くような捻くれた人間だ。
それはもちろん自分自身に対してもそうだった。
僕は自らの手で大切なものを手放し、
気づいたときには何も残らないような人生をうっかり半世紀近く過ごしている。

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